Pedro Humberto Allendeについて

 Pedro Humberto Allende Sarón(ペドロ・ウンベルト・アジェンデ・サロン)は1885年6月29日、チリの首都サンティアゴに生まれた。母Celia Sarónはピアニストであり、母よりピアノを習った彼は、1899年にサンチアゴの国立音楽院に入学し、ヴァイオリン、ピアノや作曲を学んでいる。

 1910年から1911年まで以、政府の奨学金を得てフランスとスペインを訪れている。

 1922年にはチリ大学の教授に就任。1922年から1923年にかけてスペインとフランスを訪れ、自作の室内楽曲を初演した。

 彼はチリの民族音楽の調査・研究に力を入れた。マプチェ族など先住民の音楽を調査しにチリ南部に出かけたり、また先住民の音楽家を首都サンティアゴに連れてきて国立音楽院で演奏してもらっている。

 1928年には、プラハで開かれた国際民族芸術会議に出席し、音楽部門の副議長に選出された。同1928年より1944年まで母校の国立音楽院の作曲科主任教授を務めた。1929年には、バルセロナ万国博覧会に合わせて催された音楽祭に出席し、自作の交響詩 "La voz de las calles" を指揮した。

 1945年にはチリ芸術国家賞を得ている。

 1959年8月17日、サンティアゴで74歳の生涯を閉じた。

 アジェンデの作品は、管弦楽曲では交響曲変ロ長調 (1910)、交響組曲 "Escenas campesinas chilenas(チリの田園風景)" (1913-4)、交響詩 "La voz de las calles(通りの声)" (1920) などがある。協奏曲ではチェロとオーケストラのための交響的協奏曲 (1915)、ヴァイオリン協奏曲 (1940)、ピアノとオーケストラのための交響的協奏曲 (1945)など。室内楽曲では弦楽四重奏曲1番 (1925)、2番 (1932)、3番 (1948) などがある。歌曲や合唱曲もいくつか作曲している。

 アジェンデのピアノ曲は、私自身 "12 Tonadas de carácter popular chileno" とその他数曲しか聴いたことがないので詳しいことは言えないのですが、チリの民謡をヒントに、和声的にはフランス印象主義を更に発展させ、調性はさらにぼかしてやや取っ付き難い音楽になっています。ただその独特の雰囲気こそ、本当の昔のチリの民謡の姿を描写しているようにも思え、ちょっと分かりにくてもたまには聴いてみようかな~、という気分になります。

 

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