Barrozo Nettoについて

 ジョアキン・アントニオ・バホッゾ・ネット Joaquim Antonio Barrozo Netto(BarrozoはBarrosoと、NettoはNetoと綴られることもある)は1881年1月30日、リオデジャネイロに生まれた。幼児期よりピアノを習った彼は、作曲家・ピアニストのFrederico Mallioに師事した。シキーニャ・ゴンザーガに師事したことを示す資料もある。彼が作曲した《ガボット第1番 Primeira Gavota》は11歳の時の作品とされている。リオデジャネイロの国立音楽学校 Instituto Nacional de Música に進学するとアウベルト・ネポムセノらに師事し、弱冠19歳で同校を卒業。後の1906年には同校のピアノ科教授となった。1911年にイタリアのローマで催された国際音楽会議にブラジル代表として出席し、リサイタルを行い、またヨーロッパの音楽教育を調査している。

 バホッゾ・ネットはピアニストとしての活動は勿論、ピアノトリオも活発に演奏した。このピアノトリオの為に、ネポムセノは《ピアノトリオ嬰ヘ短調》を、エンリキ・オスワルドは《ピアノトリオ第3番 作品45》を作曲した。ピアノ教育者および楽譜校訂者としても当時は有名で、1926年にヨーロッパに渡航した際、イタリアの楽譜出版社リコルディの依頼でツェルニーの練習曲集を編集・校訂した教本を作り、全6巻が出版された。これは現在でもブラジルではピアノ教則本として定番として用いられている。また合唱に興味深かったようで、1936年に250名の団員から成る「バホッゾ・ネット合唱団」を結成している。

 1941年9月1日にリオデジャネイロで亡くなった。

 バホッゾ・ネットの作品には、オペラ《夜の女王 A Rainha da Noite》(1905)、歌曲は《幸福の歌 Canção da felicidade》(1928?) 、《カンチーガ Cantiga》など数十曲、また《森林の声 Vozes da floresta》などの合唱曲が残されているが、彼の作品の中心はピアノ曲である。楽譜を見るとそれぞれの曲の難易度が記されており、指使いも丁寧に書かれていて教育者らしい楽譜だ。作風はヨーロッパロマン派風の作品が多いが、《ショーロ Chôro》とか《我が故郷 Minha terra》のような親しみやすいブラジル風味満点のピアノ曲もあり興味深いです。

 

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