Alfredo Carrascoについて

 アルフレド・カラスコ・カンディル Alfredo Carrasco Candil は1875年5月4日、メキシコ北西部にあるシナロア州クリアカンに生まれた。4歳の時に一家はグアダラハラに引っ越した。11歳でグアダラハラのサグラド・コラソン・デ・ヘスス孤児院 Orfanatorio del Sagrado Corazón de Jesús に入り、音楽を学んだ。また、グアダラハラ大聖堂のオルガニストのフランシスコ・ゴディネス Francisco Godínez にオルガンを師事。1902年にゴディネスが死去すると、カラスコがオルガニストを引き継いだ。また音楽学校の教職も務めた。1901年にはMaría de la Luz Camarena Castroと結婚した。

 1918年にはメキシコシティに移り、いくつかの学校でピアノやソルフェージュを教えた。1943年にメキシコ国防省と新聞エル・ウニベルサル El Universal が第二次世界大戦のメキシコの連合国側参戦を記念して作曲コンクールを共催、カラスコの作曲した《予備役のための国家行進曲 Marcha nacional de las reservas》が一等賞を受賞した。

 1945年12月31日に心筋梗塞のためメキシコシティにて亡くなった。

 カラスコは大聖堂のオルガニストを務めていた影響か、カンタータ《アヴェ・マリス・ ステラ Ave Maris Stella》(1904)、モテット《聖体モテット Motete eucarístico》(1913)、《レクイエム Misa de Requiem》(1929-1930) など宗教音楽を多く書いている。またサルスエラ《神の恵みまたは殉教者たちの勝利 La gracia divina o El triunfo de los mártires》(1896)、《ユダヤの女 La judía》(1908)、《ある王女の愛のために Por el amor de una princesa》(1915)、ピアノ伴奏の児童オペラ《道化師 El bufon》(1923?) を作曲した。また《ピアノ四重奏曲、作品24》(1918)、《交響的前奏曲 Preludio sinfónico》(1921)、《弦楽四重奏曲》(1943-1944) や、歌曲、合唱曲も作っている。

 カラスコのピアノ曲は、一言でいうと最初から最後までロマン派である。同年代の作曲家のポンセに比べると、生涯その作風の発展などあまりないように思える。カラスコは外国留学の機会が無かったためかも知れない。それでも、彼の代表作の《¡Adiós...!》や、《Melodía》 などを聴くと、天性の歌心に溢れたカラスコの魅力に惹かれるものがありますがいかがでしょう。

 

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