Ricardo Castilloについて

 リカルド・カスティージョ・カレーラ Ricardo Castillo Carrera は1891年(1894年とする資料もあり)10月1日、グアテマラ南西部の町ケツァルテナンゴに生まれた。兄のヘスス・カスティージョ Jesús Castillo (1877-1946) も民俗音楽研究に力を入れた作曲家である。

 1912年よりリカルド・カスティージョはパリに留学。始めヴァイオリンを学び、後にはポール・ヴィダル Paul Vidal に和声や作曲を師事した。第一次世界大戦中の1914年にはフランス軍に志願兵として参戦したとのこと。また当時有名なフランスのピアニストのGeorgette Contoux (1901-1958) と1918年に結婚していて、いくつかのカスティージョの初期のピアノ曲は妻Georgetteによりパリで初演された。またいくつかのピアノ曲はフランスの楽譜出版社J. HamelleおよびE. Galletから出版された。

 1922年(または1924年)、妻を連れてグアテマラに戻ったカスティージョはケツァルテナンゴやグアテマラシティで音楽を教えた。1938年にはグアテマラ国立音楽院の和声と作曲の教授に就任。民族主義者として数々の作品を作曲するとともに、音楽院で多くの生徒を育てた。1962年にはグアテマラ政府より「ケツァル勲章 Orden del Quetzal」が授与された。

 カスティージョは1966年5月27日、グアテマラシティで亡くなった。

 カスティージョの作品には管弦楽曲が多い。《交響的楽章「グアテマラ」 Movimientos sinfónicos "Guatemala"》(1934 - 同名のピアノ曲よりの編曲)、《交響詩「シバルバ」 Poema sinfónico "Xibalbá"》(1944)、《シンフォニエッタ Sinfonietta》(1945)、《キチェ・アチ Quiché Achí》(1947)、《Instantáneas plásticas》(1963)、《抽象化 Abstracción》(1965) などがある。彼はバレー音楽にも力を入れ、《乙女イシュキック La Doncella Ixquic》(1941)、《ティカルの石碑 Estelas de Tikal》(1945, 1948?)、《パール・カバー Paal Kabá》(1951) を作曲した。室内楽曲も若干ある。

 カスティージョのピアノ曲は、彼の作曲家としての作風の変化がうかがえ興味深い。フランス留学中はショパンやシューマンの影響を受け、ちょっとフランス風味がかったロマンティックな作品から、《舟歌 Barcarolle》や《水の流れ L'eau qui court...》のように「水」を印象主義で表現しようとする、ドビュッシーやラヴェルの影響を受けた作品が聴ける。そしてグアテマラ帰国以降は《グアテマラ Guatemala》、《サン・アンドレス・シェクル San Andrés Xecul》のような民族主義的作品や《二長調の組曲 Suite en Re》、《ほんの少し Un petit rien》のような新古典主義のピアノ曲を作り、1949年の《ピアノのための8つの前奏曲集 Ocho preludios para piano》以降は段々無調主義の傾向となっていく。私個人的には、やはり民族主義的作品が一番好きです。数こそ少ないが《グアテマラ》と《サン・アンドレス・シェクル》は他のどの作曲家にもない、グアテマラ音楽とカスティージョ独自の個性を上手に結合させた傑作だと思います。

 

Ricardo Castilloのページへ戻る