Corsino Duránのページ

Corsino Duránについて

 コルシーノ・ドゥラン・カリオン Corsino Durán Carrión は1911年12月30日、エクアドル南部のアスアイ県サンタ・イサベルに生まれた。彼の父は趣味でギターとバンドネオンを弾いたとのことで、幼いドゥランは父から音楽を習った。彼が12歳の頃、母は息子のために県都クエンカでヴァイオリンを買って与えた。15歳の時には兄二人と共にアスアイ県の隣のエル・オロ県に行き、トリオで演奏活動をしていた。

 20歳の時(1932年)にコルシーノ・ドゥランは奨学金を得て、首都キトの国立音楽院に入学しヴィオリンや和声などを学んた。当時の国立音楽院院長シクスト・マリア・ドゥランは彼が奨学金を受け取れるよう推薦をしている(ちなみにコルシーノ・ドゥランとシクスト・マリア・ドゥランは姓は同じだが血縁関係はない)。コルシーノ・ドゥランは学生の頃から芸術や教育機関に対する意見表明を新聞に発表していて、1936年には国立音楽院の一部の学生達と共に「学生実行委員会 Comité Ejectivo Estudiantil」を組織し、エクアドルの芸術の向上や、芸術家の地位向上などを訴えた。この時の国立音楽院院長ペドロ・ノローニャが「学生実行委員会」活動を禁止すると、ドゥランらは院長解任要求の活動を行った。しかし1937年にドゥランは国立音楽院を退学させられ、奨学金も打ち切られてしまった。

 その後はしばらく師範学校の代用教員をしていたが、1938年に催された「学校行進曲コンクール」にドゥランは「五線譜の労働者 Un trabajador del Pentagrama」のペンネームで応募し、彼が作曲した《児童教室の先生 Maestro del aula infantil》が第一位を受賞した。1939年からはキトの盲学校の音楽教員を務め、また「アンデスの声」の呼称で知られるHCJBラジオ放送局でヴァイオリニストとして働いた。1942年には教育省が催した「エクアドル音楽コンクール」でドゥランが作曲したピアノ曲《悲しいはしゃぎ、ヤラビ Tristes alegrías, Yaraví》が第二位、ヴァイオリン曲《チリミア、先住民の踊り Chirimía, Danza aborigen》が第四位を受賞した。同年には「エクアドル音楽家労働組合 Sindicato Ecuatoriano de Artistas Músicos (SEDAM)」の発起人の一人となった。1943年には、かつて退学させられた国立音楽院からヴァイオリン科教授として迎えられた。ドゥランはヴァイオリニストとして室内楽などで活動し、また1947年にはSEDAMの事務局長に就任した。更に彼はエクアドル初の国立交響楽団となる「エクアドル国立交響楽団 Orquesta Sinfónica Nacional del Ecuador (OSNE)」の創立に向け、1948年にチリ、アルゼンチン、ペルーを視察した。1950年に楽団は創立され、ドゥランは楽団のヴァイオリニストを務めた。

 1950年にはMaría Concepción Baqueroと結婚した。

 1951年からは国立音楽院合唱団を指揮し、レパートリーにエクアドルの作曲家の作品を取り入れた。また国立音楽院の教科書として『音楽理論 Teoría de la música』(1968) を著した。

 晩年までエクアドル国立交響楽団のヴァイオリニストを続けていたが、1975年1月14日にキトで亡くなった。

 コルシーノ・ドゥランの作品を列記すると、まず交響詩《タワンティンスウユの衰退 Ocaso del Tahuantinsuyo》(1960) が代表作である。タワンティンスウユとはケチュア語でのインカ帝国のことで、この作品はエクアドルの作家ベンハミン・カリオンが1934年に発表した小説『アタワルパ Atahuallpa』を元にしている。第一楽章は〈ワイナ・カパックのインカ帝国の終わり El fin del imperio inca de Huayna Cápac〉、第二楽章は〈ワスカルとアタワルパの間でのこの帝国の大きな分裂 La gran división de este imperio entre Huáscar y Atahualpa〉、第三楽章は〈スペイン人達による征服 La conquista por los eapañoles〉と民族主義的な作品であり、エクアドル文化会館 Casa de la cultura ecuatoriana (CCE) 主催の1960年コンクールで一位無しの第二位を受賞した。その他の管弦楽曲では《交響的組曲第1番、我が国のリズムとメロディー Primera suite sinfónica, Ritmos y melodías de mi tierra》(1943?, 1974?)、《交響的組曲第2番 Segunda suite sinfónica》(1974)、《交響的組曲》(遺作) があり、これらの交響的組曲の一部は、それ以前にドゥラン自身が作曲したヴァイオリン曲やピアノ曲からの編曲から成っている。器楽曲では自身がヴァイオリニストであったドゥランらしくヴァイオリン曲が多く、《君はどんなに変わったんだ!、パシージョ ¡Cómo has cambinado...!, Pasillo》、《チリミア、先住民の踊り》、《ビルカバンバ、サンフアニート Vilcabamba, Sanjuanito》などがある。またいくつかの歌曲や校歌などの合唱曲も作曲した。

 コルシーノ・ドゥランのピアノ曲は全て小品からなり、数は多くない。ヤラビ、サンフアニート、パシージョといったエクアドル民謡や民族舞踊の形式を元にした作品は、そのリズムやペンタトニックの旋律でエクアドルの雰囲気たっぷりながら、ベースや対旋律の半音階進行が醸し出す和音の響きが心地良く、彼独自のエクアドル民族主義の世界を形作ったと言っても過言ではないように思える。また民族主義以外のピアノ曲も哀愁感に溢れた美しい作品揃いです。

 

Corsino Duránのピアノ曲リストとその解説

1939

1942年頃

1945年頃

1946年頃

1947年頃

1950年頃

1973年頃

作曲年代不明

 

Corsino Duránのピアノ曲楽譜

Dirección General de Educación y Cultura, Imprenta Municipal

Archivo Equinoccial de la Música Ecuatoriana

Editorial Casa Amarilla, Chile

斜字は絶版と思われる楽譜

 

Corsino Duránのピアノ曲CD

星の数は、は是非お薦めのCD、は興味を持たれた人にはお薦めのCD、はどうしてもという人にお薦めのCDです。

Siluetas de mi Raza

Angélica María Sánchez (pf)

 2020年にオンライン音楽配信でリリースされている。

 

Piano Music by Ecuadorian Composers

Alex Alarcón Fabre (pf)

 2016年のリリース。

 

Pasional
Amine Records, CDA-466410

Jorge Saade Scaff (violín)*, Juan Carlos Escudero (pf)⁂, Orquesta Sinfonica de Guayaquil⁑, Orquesta Sinfonica Nacional de Honduras‡

 2017年のリリース。トラック5と8のみがピアノ独奏。

 

Corsino Duránに関する参考文献