Oscar Lorenzo Fernândezについて

 オスカル・ロレンゾ・フェルナンデス Oscar Lorenzo Fernândezは1897年11月4日、リオデジャネイロで生まれた。両親は共にスペインからの移民であった。当初両親は彼を医学部に進学させたく、また彼もそのための勉強をしたのだが、最後の試験の直前にノイローゼ?になりしばらく自宅療養しなければならなかったとのこと。しかしその間彼は更にピアノに親しむ時間を持てたようである。

 1917年に国立音楽学校 Instituto Nacional de Música に入学し、エンリキ・オスワルドにピアノを、フランシスコ・ブラガに作曲や対位法を師事した。1920年には初めてコンサートを行い、自作のピアノ曲 "Arabesca" と "Miragem" を演奏している。1922年にIrene Soto Lorenzo Fernândezと結婚し、一男一女をもうけた。1923年に早くも国立音楽学校の和声学の教授に就任している。作曲家としては1922年にはピアノ曲 "Noturno, Op. 3" がリオデジャネイロ音楽文化協会コンクールで一等賞を獲得したのに引き続き、1924年にはピアノトリオ "Trio Brasileiro, Op. 32" が国際室内楽コンテストで一等賞を得ている.更に1929年にFrancisco Bragaの指揮で初演されたバレー音楽 "Imbapara" により有名作曲家となっていく。

 1940年にはアメリカNBC交響楽団のリオデジャネイロ公演において、トスカニーニの指揮で彼の "Batuque" が演奏された.
 1941年にはブラジル民族主義を強く意識したオペラ "Malazarte" がリオデジャネイロで初演。

 1936年にはブラジル音楽院 Conservatório Brasileiro de Música の創立、1945年にはヴィラ=ロボスと共にブラジル音楽アカデミーの設立に関わる。1947年には彼の50歳を記念して、数々の賞が授与された。またRadio GloboとIrmãos Vitale社(楽譜出版社)は若い歌手のためのロレンゾ=フェルナンデス賞を創設した。

 1948年8月26日、リオデジャネイロで国立音楽院オーケストラを指揮したが、その翌朝27日亡くなっていた.50歳であった。

 ロレンゾ・フェルナンデスの作品は、ブラジルの音楽学者Vasco Marizらにより、作曲時期から3期に分けることが出来るとされている。第1期 (1918~1922) はヨーロッパのロマン派や印象主義などの音楽を自分の作曲技法として吸収していた時期で、ピアノ曲では "Noturno, Op. 3" や "Miragem" などが該たる。第2期 (1923~1938) はブラジル民族主義の作曲家として代表作品を作った時期で,出世作の "Trio Brasileiro, Op. 32" (1924) や、ピアノ協奏曲 (1924)、"Suíte sinfónica" (1925)、弦楽四重奏曲第1番 (1927),バレー音楽 "Imbapara" (1928)、4幕のオペラ "Malazarte" (1931~1933) など。ピアノ曲では、3編からなる "Suíte Brasileira" が代表作である。第3期 (1939~1948) は民族主義を脱して、普遍主義的になる。交響曲第1番 (1945)、交響曲第2番 (1946~1947)、ピアノ曲 "Sonata breve" (1947) などが挙げられる。

 ロレンゾ・フェルナンデスにとってピアノは最も親しい楽器であり、ピアノ作品が多い。子供のための多数の組曲や、お伽話や人形を題材にした愛らしい曲から、"Noturno" のような印象主義的な作品や、3編からなる"Suíte Brasileira" のようなブラジル情緒たっぷりの曲まで多彩である。ピアノ書法の点からは(私見ですが)やはり3期に分けることができるかなと考えています。1925年頃までの初期は印象主義を更に一歩踏み込んだような複雑な和声や頻回の転調からなる曲が主で、高度な作曲技法ながらちょっと取っ付き難い感じ。1925年頃以降は機能的和声にのっとり分かりやすい和声を使いつつ、ブラジル風味をだんだん色濃くしていく時期となる。そして1947年の作品 "Sonata Breve" だけが晩年の普遍主義と呼ばれる、20世紀の作曲家らしいやや難解な作品となる。彼のピアノ曲の楽譜を見ていると、ピアノ曲においてこそ、自分の本当に書きたい曲を自由に作ったように思えます。しかし本国ブラジルでさえ彼のピアノ曲を含んだCDは少ない。このHPをきっかけにロレンゾ・フェルナンデスのピアノ曲に興味を持ってくれる人が一人でも増えれば、と思います。

 

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