Harold Gramatgesについて

 アロルド・グラマッチェス・レイテ=ビダール Harold Gramatges Leyte-Vidal は1918年9月26日、キューバ東部のサンティアゴ・デ・クーバに生まれた。(私、以前はGramatgesはスペイン語の標準的な発音でグラマトヘスと読むと思っていたのですが、キューバの動画をいくつか聞いてみると、どうもキューバの人達はグラマッチェスとかグラマチェス、グラマッチなどと発音しているいことが判明しました。またアロルドをハロルドと発音している人もいました。)彼の父は建築家だったが、音楽に造詣がありヴァイオリンを弾けたとのこと。グラマッチェスは地元サンティアゴ・デ・クーバにあるオリエンテ州立音楽院 Conservatorio Provincial de Oriente でピアノを学んだ。17歳で首都ハバナに出て市立音楽院に入学し、ピアノに加え作曲などを音楽院院長のアマデオ・ロルダンに師事、その後はホセ・アルデボルにも師事した。1942年には奨学金を得て米国タングルウッドに留学し、作曲をアーロン・コープランドに、指揮法をセルゲイ・クーセヴィツキーに師事した。

 キューバに帰国してからは、師のホセ・アルデボルが1942年に結成した「新音楽グループ Grupo de Renovación Musical」の一員として斬新な作品〜《フルートとピアノのためのデュオ》(1943)、《クラリネット・チェロ・ピアノのためのトリオ》(1944)、ピアノと打楽器のためのバレー音楽《イカロス Ícaro》(1944)、弦楽オーケストラのための《セレナーデ Serenata》(1947) などを作曲した。《交響曲》(1945) では、デトロイト交響楽団が催した「Reichhold賞」を受賞した。また指揮者として1944年にハバナ市立音楽院青年オーケストラを創立し、1948年まで指揮をした。またハバナ室内オーケストラの副指揮者を1946年から1957年まで務めた。

 1948年から1949年まで再び米国に渡り、コープランドやエリオット・カーターに学んだ。キューバに帰国した1949年からは市立音楽院の教授を1959年まで務めた。1950年には五重奏曲で、ハバナ室内楽賞を受賞した。1951年から1961年まで「我々の時代」文化協会 Sociedad Cultural "Nuestro Tiempo" 会長を務めた。1958年にはジョルジェ・エネスク国際ピアノコンクールの審査員としてルーマニアを訪問している。

 グラマッチェスはキューバ革命の中枢の一人であるエルネスト・ゲバラと親交があり、革命政権下で1960年から1964年までキューバ駐フランス大使を務めた。エルネスト・ゲバラが1967年にボリビアで殺害されると、《ゲリラ兵の死 La muerte del guerrilleroーキューバの国民的詩人ニコラス・ギジェン Nicolás Guillén の詩「司令官・チェ Che Comandante」の朗読と管弦楽のための作品ー》を1968年に作曲した。

 キューバ政府が創立した文化団体カサ・デ・ラス・アメリカス Casa de las Américas の音楽部門の長を1965年から1970年まで務めた。1976年には新たに開校したキューバ高等芸術学院 Instituto Superior de Arte (ISA) の作曲科長に就任した。

 1996年には、第1回トマス・ルイス・デ・ビクトリア賞 Premio Tomás Luis de Victoria(スペイン・ポルトガル・ラテンアメリカ諸国で最も功績のある現役作曲家に、おおよそ2年に一度与えられる賞)に選ばれた。

 2008年12月16日、ハバナにて死去した。

 グラマッチェスは多作家である。代表作品を記すと、上記以外に管弦楽のための《シンフォニエッタ Sinfonietta》(1955)、ピアノ・管楽器・打楽器のための《コンチェルタンテ Concertante》(1957)、バンドネオンのための《トッカータ Tocata》(1960)、ホセ・マルティの詩の朗読とソプラノ・管弦楽のための《三部作 Tríptico》(1972)、合唱と打楽器のための《アベルのためのカンタータ Cantata para Abel》(1973)、朗読・ソプラノ・ピアノ・管楽器・打楽器のための《いつかまた来るであろう、サルバドール・アジェンデが殺害されたチリへ捧げるOtros días vendrán, Homenaje a Chile en la muerte de Salvador Allende》(1975)(注:1970年にチリの自由選挙により政権を得たサルバドール・アジェンデ大統領が、米国の内政干渉による軍事クーデターで殺された事件を元に作曲された)などがある。

 グラマッチェスはCD2枚分のピアノ曲を作曲している。多くの中南米の作曲家がヨーロッパに留学したのとは異なり、グラマチェスは米国に留学した影響か、音に、フランスあたりの近現代作曲家の豊潤な響きが乏しい一方、コープランドあたりの現代的でやや無機質な響きが感じられて、聴き手の好みが分かれるような気がします(キューバを題材にした作品でも今一つキューバ情緒に浸れない)。とは言え、作曲技法は高度で洗練されており、20世紀キューバを代表する作曲家と呼ぶに相応しい作品揃いです。

 

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