Federico Guzmánのページ

Federico Guzmánについて

 Federico Guzmán Frías(フェデリコ・グスマン・フリアス)は1836年8月17日、サンティアゴ・デ・チレで生まれた。(1827年生まれとする資料もあるが、幼児洗礼の記録などより1836年生まれと考えるのが妥当である。)父Eustaquio Guzmánはチェロ奏者であった。また伯父Francisco Guzmánはヴァイオリニストで、チリ国立音楽院の教授を務めた。

 フェデリコ・グスマンは父よりピアノを習い、16歳の頃からは作曲をしている。この頃、父Eustaquioは楽譜出版の事業を行っていて、1853年から1858年にかけてのフェデリコ・グスマンの初期のピアノ曲の多くが父の会社から出版された。成人してからは作曲活動と平行して、ピアノ教師をしていた。

 1866年に米国の作曲家・ピアニストのゴットシャルクがチリを演奏旅行で訪れた。ゴットシャルクは演奏会でグスマンと共演し、またゴットシャルクは翌1867年にウルグアイとアルゼンチンで行った演奏会で、グスマンのピアノ曲を披露している。この時ゴットシャルクはグスマンにフランス留学を勧め、資金援助も行った。これによりグスマンは1867年にフランスに留学、兄Fernandoと、この頃にグスマンが結婚した新妻のピアニストMargarita Vacheもフランスへ同道した。パリでグスマンAlexandre Billetにピアノを、Adolphe de Grootに和声や作曲を師事した。留学中はパリやロンドンで演奏会も催していて、グスマンのピアノとAdolphe de Grootの指揮によるベートーベンのピアノ協奏曲第3番の演奏記録もある。

 1869年、グスマンはチリに帰国するや否や、チリ各地で演奏会を催し、妻Margaritaとも共演した。同年8月には妻Margaritaと兄Fernandoと共にペルーに渡り、リマではメンデルスゾーンのピアノ協奏曲を初演をするなど演奏会を多数催し、大成功だったとのこと。翌1870年1月にはグスマン夫妻は米国に渡り、ニューヨークで演奏会を開いた。1871年初めに米国を出たグスマン夫妻はチリに帰国せず、ペルーのリマに居を構え8年間在住した。グスマンはペルーでもピアニスト、ピアノ教師として活躍した。

 1879年、ボリビアおよびペルー対チリの間で勃発した太平洋戦争 (1879-1884) のためグスマン夫妻はチリに帰国。バルパライソに一時住んだが、1879年末よりアルゼンチンおよびウルグアイへ演奏旅行に出かけた。そのまま1880年8月頃にブラジルのリオデジャネイロに渡り、約2年間当地に在住。リオデジャネイロやサンパウロで演奏会を催した。彼の作品はブラジルでも出版された。

 1882年末にグスマン夫妻はポルトガルに渡り、翌1883年1月頃にはスペインのマドリードに移動、そして同年9月にフランスのパリに居を構えた。パリでは出版社J. Nausと楽譜出版の契約を行った。パリでの楽譜出版予定にグスマンは触発されたのか、彼は晩年のパリ在住の2年間は作曲に自らの精力を傾けたと思われ、そのためかパリに移ってから演奏会を行った記録は1885年4月の1回のみである。しかし、そうして手がけた新作の楽譜が出版されるのを、彼自身が見届けることはできなかった。1885年8月中旬(8月8日とする資料があるが確証がない)、グスマンはパリで死去。晩年の作品十数曲は翌1886年、J. Nausより遺作集として出版された。

 グスマンの作品は、文献によると140曲が記されている。若干の管弦楽曲や歌曲もあるが、大部分はピアノ曲である。オリジナルのピアノ曲の他に、オペラのアリアなどのピアノ編曲も多い。チリの民族音楽を用いた作品は1856年作曲の「サマクエッカ」くらいで、他はいずれも数分程度のヨーロッパサロン風の作品であり、作曲技法も当時のトレンドの後追いである。とは言えこれだけのまとまったピアノ曲を作曲したのはチリ人では初めてであり、ピアノ曲はいずれも耳に心地よく、また晩年の作風には作曲技法の進歩が見られたりと、興味深い作曲家に思います。

 

Federico Guzmánのピアノ曲リストとその解説

1853

1854

1855

1856

1857

1857-60

1858

1859

1861

1862

1864

1865

1866

circa 1866

1867-68

1869

1870

1871-73

1871-74

1872

1875

1876

1880

1880-82

1881

1882

1883

1884

1885

-1885

 

Federico Guzmánのピアノ曲楽譜

Oxford University Press

フェデリコ・グスマンの生前は、彼の作品の楽譜出版は多数あって、初期は彼の父が経営するEustaquio Guzmán社、その後ドイツのSchott社、フランスのChoudens Père & Fils, Éditeurs社などが出版、1880年から1882年のブラジル滞在中はブラジルのNarciso A. Napoleão & Miguéz社、Isidoro Bevilaqua社が、また晩年の遺作はフランスのJ. Naus社が出版したが、現在はいずれも絶版である。

 

Federico Guzmánのピアノ曲CD

 星の数は、は是非お薦めのCD、は興味を持たれた人にはお薦めのCD、はどうしてもという人にお薦めのCDです。

Federico Guzmán (1836-1885)

  • Barcarolle Op. 78
  • Nocturno en la m, Op. 72
  • Nocturno en la m, Op. 32 "Une Larme"
  • Chacone Op.75
  • Vals de salon "Papillon D'or" Op. 48
  • Menuet Op.89
  • Vals Op.52
  • Scherzo e Danza, Op. 54

Bárbara Perelman (pf)

 1999、2000年の録音。

 

Piano Chileno de Ayer y Hoy
SVR Producciones, 1026

  • Zamacueca Nº 3 (Federico Guzmán)
  • Elegía (Federico Guzmán) - en realidad, por (Enrique Soro)
  • Tonada Nº 2 (Enrique Soro)
  • Carpicho Nº 2 (Enrique Soro)
  • Miniaturas Griegas Nº 4 (Pedro Humberto Allende)
  • Miniaturas Griegas Nº 6 (Pedro Humberto Allende)
  • Estudio Nº 7 (Pedro Humberto Allende)
  • Viñetas i Galante (Domingo Santa Cruz Wilson)
  • Viñetas ii Desolada (Domingo Santa Cruz Wilson)
  • Arroyuelo (René Amengual)
  • Tonada (René Amengual)
  • Transparencia (René Amengual)
  • Homenaje a alfonso leng (Juan Lemann Cazabon)
  • Pequeño estudio (Juan Lemann Cazabon)
  • Preludio Nº 2 (Luis Advis)
  • Preludio Nº 3 (Luis Advis)
  • Poema (Cirilo Vila)
  • Tres temporarias (Santiago Vera-Rivera)
  • Preludio (Juan Amenábar)
  • Seco fantasmal y vertiginoso (Eduardo Cáceres)

Garciela Yazigi (pf), Elma Miranda (pf), Cecilia Plaza (pf), Deborah Singer (pf)

 

Isidora Zegers y su tiempo
ParMedia

Carmen Luisa Letelier (contralto), Elvira Savi (pf)

 

Federico Guzmánに関する参考文献