Edino Kriegerについて

 エジノ・クリーゲル Edino Krieger は1928年3月17日、ブラジル南部のサンタ・カタリーナ州ブルスキに生まれた。彼の父方の曾祖父はドイツからの移民、父方の祖母はイタリアからの移民であった。父親のAldo Krieger (1903-72) は洋服の仕立屋をする傍ら、ジャズバンドや合唱団の指揮などをする音楽家・作曲家で、後の1954年にはブルスキの町に音楽院を創立している。エジノ・クリーゲルは幼い頃から父からヴァイオリンを習い、8歳で初めて演奏会に出演し、13歳の時にはヴァイオリンリサイタルを催している。14歳で州政府の奨学金を得てリオデジャネイロのブラジル音楽院に入学した。この頃、ドイツ出身の作曲家ハンス・ヨアヒム・ケルロイター Hans Joachim Koellreutter (1915-2005) がブラジルに移住し、無調主義と十二音技法の使用を唱えて "Movimento Música Viva" というグループを作っていた。クリーゲルはケルロイターに作曲を師事し、1945年作曲のオーボエ、クラリネット、ファゴットのための《ムジカ Música》はMúsica Viva賞を得た。

 1947年、米国の作曲家アーロン・コープランドは作曲を学ぶ中南米の若い学生達を米国に留学させようと考え、中南米の作曲家何人かに、彼らの弟子の作品を送るよう依頼した。ケルロイターはクリーゲルの作品の楽譜をコープランドに送り、クリーゲルはブラジルからの留学生に選ばれた。翌1948年、クリーゲルは奨学金を得て、米国タングルウッドのバークシャー音楽センターでアーロン・コープランドやダリウス・ミヨーに作曲や管弦楽法を師事した。またその後はニューヨークのジュリアード音楽院でも作曲とヴァイオリンを学んだ。1949年にブラジルに帰国すると、Rádio MEC放送局での音楽番組制作者として働いた。1955年にはブリティッシュ・カウンシルの奨学金を得てイギリスの王立音楽院に留学し、レノックス・バークリーに作曲を師事した。1956年にブラジルに帰国すると、再びRádio MECで音楽ディレクターとして働き、またRádio MEC交響楽団の副指揮者を務めた。1959年には弦楽オーケストラのための《ディヴェルティメント Divertimento》が第1回ブラジル教育省作曲コンクールで一等賞を受賞、また1961年には《弦楽四重奏曲第1番》がブラジルレコード大賞を受賞した。

 1976年にはリオデジャネイロ劇場財団の音楽監督に就任し、リオデジャネイロ市立劇場の上演プログラムを監督した。またブラジル芸術基金 Fundação Nacional de Artes (FUNARTE) から多数のLPのリリースや楽譜の出版を主導し、1989年にはFUNARTE理事長に就任している。1995年にクリーゲルは来日し、東京で催された「日本・ブラジル修好百周年記念ブラジル音楽祭」では、管弦楽のための《調和の霊感 Estro armonico》が村方千之氏の指揮で日本初演された。1998年にはブラジル音楽アカデミー会長に就任し、数年の任期を務めた。2014年には《ナザレのためのパッサカリア Passacalha para Nazareth》というピアノ曲を、また2017年には《月光のシャコンヌ Mondschein Chaconne (Chacona ao luar)》、2018年には《アラビアータ風トッカータ Toccata arrabbiata》というピアノ曲を作曲している。90歳を越えても尚お達者なようであったが、2022年12月6日、リオデジャネイロにて亡くなった。

 エジノ・クリーゲルの作品は多岐に渡っている。まず管弦楽曲では《コントラスト Contrastes》(1949-52)、《ブラジル序曲 Abertura brasileira》(1955)、《基本的な変奏曲 Variações elementares》(1964)、《交響楽の遊び Ludus symphonicus》(1965)、《調和の霊感》(1975) などが代表作。協奏曲ではピアノと管弦楽のための《コンチェルタンテ Concertante》(1955) などがある。合唱と管弦楽のための作品には、オラトリオ《リオデジャネイロ Rio de Janeiro》(1965)、《愛と平和の3つの歌 Três cantos de amor e paz》(1967)、《サンタ・セシリアのロマンス Romance de Santa Cecília》(1989)、《ブラジルの男の子のテ・デウム Te Deum puerorum brasiliae》(1997) など、またソプラノと管弦楽のための《カンチクム・ナトゥラーレ Canticum Naturale》(1972) もある。室内楽曲では《弦楽四重奏曲第1番》(1955)、弦楽オーケストラのための《ディヴェルティメント》(1959)、木管五重奏のための《セレナーデ Serenata》(1968)、弦楽オーケストラとチェンバロのための《ノヴァ・フリブルゴの3つの映像 Tres imagens de Nova Friburgo》(1988)、弦楽四重奏のための《音のカンバス Telas sonoras》(1997) などがある。器楽曲ではピアノ曲以外にも、ギターのための《リトマータ Ritmata》(1974) などがある。その他、合唱曲、歌曲、十数本の映画音楽など多くの作品がある。

 クリーゲルのピアノ曲は、初期のいくつかの作品ー《ピアノのための作品 Peça para piano》(1945)、《エピグラム集 Epigramas》(1947-51)、《3つのミニアチュール 3 Miniaturas》(1949-52)ーはその頃の師であったケルロイターの影響を受けた、十二音技法などを用いた前衛音楽であったが、その後に作風は変わり、ブラジル民族主義に新古典主義を融合したようなソナタやソナチネ、先輩作曲家のナザレやミニョーネを思わせる小品などを作曲している。更に、2001年から2012年にかけて作られた《ピアノのための音程の練習曲集 Estudos intervalares para piano》では再び実験的な作品に挑戦しており、多様な彼の作風が窺い知ることが出来る。

 

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