Moisés Moleiroについて

 Moisés Moleiro(モイセス・モレイロ)は1904年3月28日、Guarico州Zaraza(首都カラカスより南東200キロの町)に生まれた。6歳よりピアノを始めた彼は、9歳の時には早くも公開演奏をしたとのこと。

 1917年に一家は首都カラカスに移転。モレイロはカラカスのEscuela de Música y Declamaciónに入学。1922年にはクリオールアカデミーで和声をVicente Emilio Sojoに師事している。

 モレイロの作品は1923年頃のものより存在するが、1929年より歌曲やピアノ曲を次々と発表。

 1936年には国立音楽院のピアノ科教授に就任し、現在活躍しているベネズエラの多くのピアニストを育てた。モレイロの娘Carmencita Moleiroはピアニストとして活躍中である。

 1974年にはベネズエラ国家音楽賞を得ている。

 1979年6月19日、カラカスで死去した。

 モレイロの作品は殆どが歌曲や合唱曲、またはピアノ曲である。例外は弦楽四重奏のためのMinué、ヴァイオリンとピアノのためのMinué y Evocaciónのみである。彼の作品カタログには14曲の歌曲と19曲の合唱曲があり、一部の曲は作詞もモレイロ自身による。どんな曲だかベネズエラの人にしか分からないだろう。

 モレイロのピアノ曲は、ベネズエラの民族舞曲を元にした代表作 "Joropo" を別にすれば、大きく二つに分けられる。一つは「ソナチネ」や「トッカータ」など、スカルラッティ、バッハ、ベートーベンなどのバロックや古典派のへのオマージュとも言える作品群。もう一つは「噴水」や「平原の印象」など印象主義の影響を多少受けている描写的な作品がある。後者の作品には一部、複雑な和声が出てくるが、全体的には20世紀の作曲家としては作曲技法の点で百年位時代遅れの感じがある。中南米の他の有名な作曲家のようにヨーロッパ留学の経験がなく、ベネズエラ国内での勉強のみだった影響もあるかもしれない。彼の作品を聴いて、作曲家として技法上やや未熟な「二流」と見るか、ありきたりのヨーロッパ近代音楽に影響されていない「個性的な一流」と評価するかは意見の分かれるところだろう。

 

Moisés Moleiroのページへ戻る