Melesio Moralesについて

 メレシオ・モラレス・カルドーソ Melesio Morales Cardoso は1838年12月4日、メキシコシティに生まれた。子どもの頃から音楽の才能に長け、9歳の頃より音楽を習った。彼の父親は息子を土木技師にしようと考え、12歳になったメレシオ・モラレスはAcademia de San Carlosに入学し建築を学んた。しかし12歳の1851年にはピアノ曲《共和主義者、ワルツ El republicano, Vals》を作曲、また作曲をセノビオ・パニアグア Cenobio Paniagua に師事。18歳の時にはオペラ《ロメオとジュリエットRomeo》を作曲し、1863年にメキシコシティの国立劇場で上演された。

 1863年、Ramona Landgraveと結婚した。

 1863年から1864年にかけ、彼の代表作となるオペラ《イルデゴンダ Ildegonda》を作曲した。イルデゴンダはイタリア人作家のテミストークレ・ソレーラ Temistocle Solera の台本に依っており、ソレーラ自身やスペインの作曲家エミリオ・アルテータにより既にオペラが作られていたが、同じ台本で異なった音楽をモラレスは作曲。1866年1月に国立劇場(当時は帝国劇場)で上演され大成功を収めた。この成功によりモラレスは当時のメキシコ帝国政府より奨学金を得て、同年ヨーロッパに留学。しばらくパリに滞在した後、イタリアのフィレンツェに約3年滞在し、作曲家のテオドゥロ・マベルリーニに師事した。モラレスのいくつかの作品はイタリアで出版された。彼は《イルデゴンダ》のイタリアでの上演に奔走し、ついに1869年1月、フィレンツェで《イルデゴンダ》が上演された。

 1869年5月、モラレスはメキシコに帰国した。帰国するやいなやメキシコ音楽院の作曲家教授に就任。また同年にメキシコシティ〜プエブラ間に鉄道が開業したのを記念して《蒸気交響曲 Sinfonía vapor》を作曲し、プエブラで初演した。1870年にはベートーベンの交響曲第2番と第5番のメキシコ初演を指揮した。1873年?にはネツァワルコヨトル楽友教会を創立。1877年には三作目のオペラ《ジーノ・コルシーニ Gino Corsini》が初演された。

 1884年10月、妻のRamona Landgraveが死去。翌1885年(または1887年)にモラレスは、女弟子で作曲家のグアダルーペ・オルメド Guadalupe Olmedo (1853?-1889) と再婚した。

 1891年、オペラ《クレオパトラ Cleopatra》が初演された(クレオパトラの台本は、ヴェルディのオペラ「アイーダ」の台本も書いたアントニオ・ギスランツォーニである)。更に1900年頃、モラレスはオペラ《アニータ Anita》を作曲。《アニータ》は1867年のメキシコ中部のプエブラが舞台で、フランス傀儡のメキシコ帝国を打倒する戦いの時代を描いている。台本を書いたのはイタリアン人のエンリコ・ゴリシアーニで、イタリア語で台本は書かれたものの、メキシコを舞台とした初の本格的なオペラである。《アニータ》の最後の場面では、メキシコ国歌の合唱にのって、プエブラの戦いに勝利したポルフィリオ・ディアス(アニータ作曲当時はメキシコ大統領になっていた)が現れる。しかしオペラ《アニータ》はモラレスの生前に上演されることはなく、1908年5月12日、メキシコシティでモラレスは亡くなった。モラレスの死後、1911年にディアス大統領は失脚。《アニータ》は忘れられていたが、約一世紀を経て、2000年にメキシコで演奏会形式での上演され、2010年に劇場版が上演された。

 モラレスは上述の通り、オペラ作曲家としてメキシコでは知られている。オペラは《ロメオとジュリエット》(1856-57?)、《イルデゴンダ》(1863-4)、《ジーノ・コルシーニ》(1867-9)、《クレオパトラ Cleopatra》(1870-?)、《アニータ》(1900?) の5作が現在までに上演されているが、その他にも《Carlo Magno》、《Claudia》、《Silvia》の3作を作っている(もっとあるという資料もある)。その他のジャンルでは、混声合唱と管弦楽のための《ミサ・ソレムニス Messa solenne》(1866)、混声合唱と管弦楽のための《神よ祖国を守り給え Dios Salve a la Patria》(1867)、《蒸気交響曲》(1869)、また数十曲にのぼる歌曲などがある。

 モラレスのピアノ曲は数十曲にのぼる。音源のあるピアノ曲は僅かのため全貌は不明だが、子どものための易しい曲から、情感たっぷりの曲まで佳作揃いである。オペラ作曲家であったモラレスらしく、全体的にアリアのような明瞭な旋律を持ち、また旋律は時おり高音域でトリルや急速な音階を伴う、19世紀前半のイタリアオペラ―いわゆる「ベルカント・オペラ」のように技巧的、装飾的な場面がしばしば見られる。

 

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