Emilio Murilloについて
Emilio Murillo Chapull(エミリオ・ムリージョ・チャプル)は1880年4月19日、Guatequeに生まれた。ピアノとフルートを習った彼は、16歳の頃には首都ボゴタで音楽活動をしていたとのこと。1898年には "Revista Ilustrada" 誌には彼のピアノ曲の楽譜が掲載されたとのこと。
1904年、ムリージョはMaría Elena Escobar Larrazábalと結婚。妻の実家も音楽家一族であった。ムリージョは妻との間に6人の子供をもうけたが、誰も音楽の道には進まなかった。
ムリージョはビール工場を設立にも携わり、"Maizola" というブランドのビールを発売し、その有名さのお蔭で時の大統領ラファエル・ヌニェスにも知られ、大統領宮殿で演奏する機会も与えられた。しかし "Maizola" は、後にBavaria社のビール "Carbito" に圧されて衰退してしまったとのこと。(Bavaria社のビールは現在でもコロンビア国内では独占的地位にある。)
1910年にはコロンビア独立100周年を記念して、ムリージョは政府の援助によりアメリカを訪問、RCA Victor社と契約して自作のパシージョを含めたコロンビアの音楽を録音した。また同年にはM. Whitmark and Sons社が出版した "South American Melodies for piano" という楽譜にムリージョのピアノ曲が何曲か収められた。3年のアメリカ滞在中に彼はワシントン、ニューヨーク、シカゴ、カリフォルニア州まで訪れたとのことである。
1924年創刊のコロンビアの新聞 "Mundo al Día" 誌にはムリージョの作品の楽譜が度々掲載された。特に、1928年4月28日号は「エミリオ・ムリージョ特集号」となった。
1929年にはスペインのセビリア万博に参加、自作曲を含むレコーディングを行った。スペイン滞在中はファリャにも会ったとのこと。
1942年8月9日、ボゴタにて死去。
ムリージョは多作家で、約90曲のPasillo、50曲のBambuco、45曲のValse、18曲のDanza、その他Tango、Fox、Ranchera、Rumbaなどの様式による多数の小品を作ったとのことである。また彼はピアノの即興演奏の名手だったようで、出版されている楽譜は、彼の作品のほんの一部に過ぎないという見方もあります。彼の作品の当時の出版譜は殆どがピアノ譜として書かれているが、現在コロンビアでは(おそらく昔も)バンドーラ、ギター、ティプレなどから成る小楽団で演奏するのが主流で、コロンビアで録音されている多くの音源を聴くと、ムリージョの音楽がコロンビア大衆に愛され親しまれているのが伝わってくるようです。