Marlos Nobreについて

 マルロス・メスキータ・ノブリ・ジ・アウメイダ Marlos Mesquita Nobre de Almeida(発音ではノブリだが、ノブレと記してある資料も多い)は1939年2月18日にブラジル北東部、ペルナンブーコ州の州都レシフェに生まれた。ノブリの父はギターを、母はピアノを弾けたとのこと。4歳の時から、ピアノ教師をしていた従姉のNysia NobreとHilda Nobreよりピアノを習い始めた彼は、6歳の時には作曲も始めていたとのこと。1948年から1955年まではペルナンブーコ音楽院で学んだ。ペルナンブーコ音楽院での授業はとても伝統的というか旧態依然だったらしく、一方マルロス・ノブリは、誰に教わるわけでもなく、街で聴いた音楽を即興演奏にして自由に弾いていたとのこと。ある日、ノブリが自作の "Frevo"(ノルデスチ=ブラジル北東部のカーニバル音楽の一つ)を音楽院で弾いていた所、音楽院院長のマノエル・アウグスト・ドス・サントス Manoel Augusto dos Santos に呼び出され、「お前が街中の音楽を弾いていたのを聴いたぞ。そんなもんを音楽院で弾く事は禁止だ!」と言われたらしい。1956年から1959年までレシフェのErnani Braga研究所で学んだ。またヴァイオリニストのInácio Cabral de Limaらのグループでヒンデミット、シュトックハウゼン、メシアンなどの現代音楽作品を知るようになった。

 1960年にリオデジャネイロに出てからは、「民族主義」作曲家グループの代表ともいえるカマルゴ・グァルニェリと、相対してブラジルで無調主義と十二音技法の使用を唱える "Movimento Música Viva" の創立者であるケーレルロイターの両作曲家に師事した。ケーレルロイターの元では、ノブリは十二音技法とブラジル音楽を混ぜた作品を作ったが、ケーレルロイターに「そんな作曲法は間違っている」と言われて仲違いになってしまった。一方カマルゴ・グァルニエリにブラジル民謡の主題で作曲するよう言われたとき、ノブリは十二音技法を混ぜた所、カマルゴ・グァルニェリには「ばかげている、犯罪だ、民謡から十二音技法だと〜」怒鳴られてしまった。当時のブラジル両派の代表的作曲家いずれからも酷評されたのは、何とも皮肉と言うか、むしろ興味深い話である。1963年から1964年まではブエノスアイレスのTorcuato di Tella研究所に留学し、ヒナステラに師事。ノブリの作曲技法にヒナステラは良く理解を示してくれたとのことである。またメシアン、コープランドにも師事したとのこと。

 マルロス・ノブリは20歳(1959)の時の「ピアノと弦楽のためのコンチェルティーノ、作品1」で作曲家デビュー。1964年作曲のソプラノ・木管三重奏とピアノのための "Ukrinmakrinkrin, Op. 17" で有名になる。その後も現在に至まで精力的に作曲を続けている。また国内外の音楽団体から作曲の委嘱作品も多い。

 彼は数々の作曲やピアノコンクールなどの審査員を務め、ブラジル国立交響楽団指揮者(1971-1976)、ブラジル音楽アカデミー会長 (1985-1995)、ユネスコ国際音楽評議会 (International Music Council) 議長 (1986-1987) などの要職を歴任している。数々の賞を受賞しており、2006年には、第6回トマス・ルイス・デ・ビクトリア賞(Premio Tomás Luis de Victoria、スペイン・ポルトガル・ラテンアメリカ諸国で最も功績のある現役作曲家に、おおよそ2年に一度与えられる賞)に選ばれた。

 マルロス・ノブリの作品は、作品番号でOp. 105まで確認されており、曲数はおそらく200曲以上になると思われる。管弦楽曲では弦楽のための "Biosfera, Op. 35" (1970)、管弦楽のための "Mosaico, Op. 36" (1970)、管弦楽のための "In Memoriam, Op. 39" (1973) など、協奏曲ではピアノと弦楽のための "Concertino, Op. 1" (1959)、ピアノの管弦楽のための "Divertimento, Op. 14" (1963) など、室内楽曲ではピアノトリオ, Op. 4 (1960)、ソプラノ・木管三重奏とピアノのための "Ukrinmakrinkrin, Op. 17" (1964)、ギター曲では "Momentos I, II, III, IV, V, VI, VII, Op. 41, 54, 55, 62, 63" (1974-84)、"Homenagem a Villa-Lobos, Op. 46" (1977) などがある。

 マルロス・ノブリは数々のピアノ曲を作曲したが、やはりブラジル風味のある作品が興味深い。彼自身「私は幼い頃から "Frevo" や "Maracatu"(いずれもノルデスチ=ブラジル北東部のリズム)を聴いて育った‥‥」と語っている通り、ノルデスチの特徴的なリズムや音階を彼独自の現代的な音楽語法で表現したピアノ曲は個性的で、ちょっと音が現代的不協和音で難解なのですが、現代ブラジルの代表する作曲家と呼ぶにふさわしいでしょう。

 

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