Oriano de Almeidaのページ

Oriano de Almeidaについて

 オリアノ・ジ・アウメイダ Oriano de Almeida は1921年7月15日、ブラジル北部パラー州の州都ベレンに生まれた(本名はオリアンネ Orianne であったが、フランス語ではOrianneは女性名であるため、彼は20歳の時に芸名をオリアノ Oriano としたとの説がある)。彼の母は薬剤師で、またピアノを弾けたとのことで、オリアノは子どもの時から母にピアノを習い、その後9歳の頃からリオ・グランデ・ド・ノルテ州州都のナタール(ナタウ)で、彼の従兄弟にあたるピアニストのワルデマール・ジ・アウメイダ Waldemar de Almeida に師事した。1934年のワルデマール・ジ・アウメイダ門下の発表会では、リストのピアノ曲《伝説》の第2番〈波の上を歩くパオラの聖フランチェスコ〉を演奏している。同年には自身のソロリサイタルも行い、またブラジル北東部の諸都市で演奏会をしている。レパートリーはバッハやベートーヴェンからドビュッシーやヴィラ=ロボス、ミニョーネまで幅広かったが、特にショパンの演奏に力を入れていた。

 1939年にリオデジャネイロに出て、翌年よりピアニストのマグダ・タリアフェロに師事した。1944年から1945年にかけてはヴァイオリニストのヘンリク・シェリングと共にブラジル北部・北東部にあるブラジル軍および米軍のいくつかの基地を訪れて慰問演奏を行った。1946年にはタリアフェロに勧められ、フランス・パリで開催されたロン=ティボー国際コンクールに出場したが予選で落選した。しかし彼はその後も約一年近くパリに留まり、ピアノを練習し、またジョルジュ・ダンドローに作曲を師事した。1947年4月にはパリのサル・プレイエルでソロリサイタルを行い、同年6月にはローマでもリサイタルを行った。

 1949年5月、同年秋にポーランドのワルシャワで開かれる第4回ショパン国際ピアノコンクールの出場者を決める、ブラジル国内のコンクールがリオデジャネイロで催された。オリアノ・ジ・アウメイダはこれに出場して予選を通過し、本選ではショパンのピアノ協奏曲第2番を演奏して一等を受賞した。同年9月、第4回ショパン国際ピアノコンクールはオリアノ・ジ・アウメイダも含め65名のコンテスタントの参加のもと、ワルシャワで開催された。審査結果は、第1位から第12位までの入賞者(第1位が2名のため計13名)が全員ポーランド人とソ連人で占められ、オリアノ・ジ・アウメイダは「Distinction」であった。コンクール終了後、オリアノ・ジ・アウメイダはは翌年7月までヨーロッパに留まり、演奏会を催した。

 ブラジル帰国後は彼はピアニストとして精力的に演奏会活動を行った。またナタールで「Curso Oriano de Almeida」と称した公開ピアノレッスンを開いた。1952年にはマグダ・タリアフェロ門下のピアニストのイリス・ビアンキ Íris Bianchi と結婚し、二人は「Duo Íris Bianchi-Oriano de Almeida」として活動した。(1962年に二人は離婚した。)

 1954年には米国を訪問し、各地で演奏会を行い、またニューヨークではNBC交響楽団との共演でショパンのピアノ協奏曲第2番を演奏した。1958年から翌年にかけて、毎週金曜夜のテレビ番組「O Céu é o Limite」という勝ち抜きクイズ番組に彼は出演した。この番組ではクイズに正解し続けると賞金がどんどん増え、翌週の番組にも出場できるというものであった。オリアノ・ジ・アウメイダはクイズの解答者として毎週正解を続け、クイズに関する音楽をピアノで演奏し、テレビの人気者となった。また1960年にはショパン生誕150周年を記念した毎週月曜夜のラジオ番組「Ciclo Chopin」に出演し、一年間かけてショパンの生涯を解説し、ピアノ曲を演奏した。レコード録音としては、1959年にはLP「Oriano de Almeida Interpreta Chopin」をリリースした。作曲家としても、1966年に自作の歌曲集をソプラノ歌手のMaria Helena Coelho Cardosoと共にLPに録音した。また教育者としてもリオ・グランデ・ド・ノルテ連邦大学音楽学部などで教鞭を執った。

 1972年にはヨーロッパを再訪し、スイスのローザンヌでショパンに関する8回に亘る講演会・演奏会を行い、スペインのバルセロナとマドリードでは演奏会を行った。ポーランドではワルシャワのショパン博物館で調査研究を行い、ジェラゾヴァ・ヴォラにあるショパンの生家の日曜日の演奏会に出演した。

 1982年には自作のピアノ曲を3枚のLPに録音した。

 1988年に心臓手術を受けたのを機にピアニスト引退し、以降は主に執筆活動に専念した。著書には、師のマグダ・タリアフェロとの思い出を書いた『マグダレーナ、マグダレーナさん:マグダレーナ・タリアフェロとの私の思い出 Magdalena, Dona Magdalena: minhas lembranças de Magdalena Tagliaferro』(1993)、ドビュッシーに関して書いた『パリ‥‥、ドビュッシーの時代 Paris... nos tempos de Debussy』(1997) などがある。

 2003年、彼は前立腺癌および骨転移と診断された。2005年5月11日、ナタールで亡くなった。

 オリアノ・ジ・アウメイダの活動の中心はピアニストとしてであり、おそらく作曲は折りに触れて余暇でしていたものと思われる。彼の作品で残されているのは歌曲とピアノ曲のみである。歌曲は十数曲あり、《カシューナッツ Cajueiro》、《Quando as nuvens eram nossas》(1950) が代表作である。彼のピアノ曲はまだ全ての音源が入手できていないのでその全貌は不明ですが、代表作《ポチグアルの前奏曲集 Prelúdios potiguares》を聴くと、自分の故郷の思い出を自然体で音楽に描いたような作品揃いである。作曲技法は比較的単純で、ピアノ作品の歴史に名を残すような作曲家ではないのだが、だからこそ肩肘張らずに聴けるいい音楽です。

 

Oriano de Almeidaのピアノ曲リストとその解説

-1938

1947

1947-1982

1950

1958

作曲年代不詳

 

Oriano de Almeidaのピアノ曲楽譜

Fundação José Augusto, Natal

Escola de Música da UFRN (Universidade Federal do Rio Grande do Norte)

  • Prelúdios potiguares (2021)

Ricordi Brasileira S.A.

  • Valsa de Paris

斜字は絶版と思われる楽譜

 

Oriano de Almeidaのピアノ曲CD・LP

星の数は、は是非お薦めのCD、は興味を持たれた人にはお薦めのCD、はどうしてもという人にお薦めのCDです。

Oriano interpreta Oriano (LP)
Universidade Federal do Rio Grande do Norte, Projeto Memória-2, UFRN-002

Oriano de Almeida (pf)

 

Oriano interpreta Oriano Vol. II: Prelúdios potiguares (LP)
Universidade Federal do Rio Grande do Norte, Projeto Memória-19, UFRN-019

Oriano de Almeida (pf)

 

Oriano interpreta Oriano Vol. III (LP)
Universidade Federal do Rio Grande do Norte, Projeto Memória-20, UFRN-020

Oriano de Almeida (pf)

 これらの3枚の自作自演LPは1981-1982年の録音。現在入手している音源はVol. IIのみで、Vol. I、Vol. IIIも聴いてみたいです。

 

Keys to Rio
Sorel Classics, SC CD 010

Grace Alves (pf)

 2017年のリリース。

 

Oriano de Almeidaに関する参考文献