Remo Pignoniについて

 レモ・ピニョーニ Remo Pignoni は1915年5月4日、アルゼンチン北部のサンタフェ州ラファエラに生まれた。父親はイタリア移民であり、名字の "Pignoni" もイタリア語の綴りである。ラファエラは州都サンタフェ(グアスタビーノの生地)から約80キロ西に行ったところにある。音楽は父から習い、更に地元の音楽学校に通ったが、作曲は独学だったらしい。生涯ピニョーニは妻Dora María Bertolotti(愛称Dorita)と3人の息子と共にここで暮らし、ラファエラの "Domingo de Oro" 師範学校で音楽教師を約40年間勤め、ラファエラ市中央合唱団を創立して指揮者を17年勤めた。また作曲活動は43歳から始めたと自ら語っている。1986年にはラファエラ市の「公式行進曲」募集のコンクールで、ピニョーニの作曲した行進曲《ラファエラ市 Ciudad de Rafaela》(歌詞はMario Vecchioliによる)が選ばれた。ピニョーニは、1988年5月15日に73歳でラファエラで亡くなっている。

 彼の没後、1992年に地元ラファエラの音楽学校が「レモ・ピニョーニ市立音楽学校 Escuela Municipal de Música Remo Pignoni」と改名された。また毎年8月にレモ・ピニョーニ合唱フェスティバル Festival Coral "Remo Pignoni" がラファエラで行われている。アルゼンチン国内でも、おそらくローカルな作曲家なのであろう。生前にピニョーニは「私の息子達を音楽家にはしたくないね、飢え死にさせたくないよ」(1977年)と語っていたとのことで、ちょっと切ない話です。

 ピニョーニの作品は未出版の曲も多く、その全貌はアルゼンチンでも不明らしいが二百曲以上は作曲したとされている。大部分がピアノ曲だが、歌曲やギター曲、バンドネオン曲もあり、《学童のための12の歌 Doce canciones escolares infantiles》、《2台のギターのための6つの伝統的な舞曲集 Seis danzas tradicionales para dos guitarras》、《ギターのための8つの練習曲 Ocho estudios para guitarra》などが出版された。ピニョーニは主にフォルクローレを素材にした曲を作った、というか彼の作品自体フォルクローレそのものである。彼のピアノ曲にはバイレシート、チャカレーラ、クエッカ、ガト、ウエジャ、トナーダ、トリウンフォ、サンバなどのフォルクローレがふんだんに使われていて、その雰囲気は正にアルゼンチンの田舎を彷佛とさせます。書法には凝ったところなど殆どなくシンプルに書かれた曲ばかりなのだが、ともかくいい曲ばかりです。また演奏家にとって、ヘミオラやシンコペーション混じりの独特のフォルクローレのリズムを(ちょっとつんのめるような感じで崩して)上手に弾くのは難しく、アルゼンチン人以外のピアニストがピニョーニの作品を上手に弾こうと思ったら、まず現地でフォルクローレの演奏経験を積まないと、とさえ思います。

 

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