Sixto María Duránのページ

Sixto María Duránについて

 シクスト・マリア・ドゥラン・カルデナス Sixto María Durán Cárdenas は1875年8月6日、キトに生まれた。彼の母は趣味でハープとオルガンを演奏する人で、幼い頃は母から音楽を習った。12歳で神学校に入学すると、神学校に勤めていたオランダやドイツから来ていた宣教師に音楽を学んだ。20歳の時にエクアドル中央大学法学部に入学し、24歳(1899年)で卒業して弁護士の資格を得た。

 キトの国立音楽院は1870年に創立されたが、財政難のため1877年から閉校していた。1900年に時のエクアドル大統領であるエロイ・アルファロは国立音楽院の再開を決定し、ドゥランは大統領から直々にピアノ科教授就任を要請されて奉職し、ドゥランは弁護士と、ピアニスト・ピアノ教授の両方で活躍した。彼はまた修理工や靴職人としての技能も持っており、1904年にはキトの工芸学校 Escuela de Artes y Oficios の校長に就任した。1909年には最高司法裁判所の長官にも就任した。

 作曲家としては1910年に雑誌『La Ilustración Ecuatoriana』にピアノ曲《花のパレード、ワルツ Corso de flores, Valse》を出版、また同年にはサルスエラ《山の伝説 La leyenda del monte》を作曲し、上演された。1911年にValentina Mirandaと結婚した。1911年から1916年までは国立音楽院の院長を務めた(それまで国立音楽院の院長は代々イタリア人であったが、彼は初のエクアドル人の院長となった)。また1916年からは再び工芸学校校長を務めた。

 1918年7月22日、ドゥランは工芸学校の実習室で生徒に指導中、電動工具で誤って右指4本を切断してしまった。これによりピアニストとしての活動が困難になってしまったが、その代わり作曲家や教育者としての活動を広げた。1923年から1933年までは再び国立音楽院の院長を務めた。1924年にパリで開催された第8回オリンピックの芸術競技にドゥランは《サンフアニートと変奏曲 Sanjuanito con variaciones》を応募し、表彰されたとの資料があるが、楽譜は現存しない。また同年にはペルーで催された「アヤクーチョの戦い百年記念作曲コンクール」で、ドゥランが作曲・応募した交響的行進曲《アヤクーチョの太陽 Sol de Ayacucho》が一等賞となった(「アヤクーチョの戦い」とはペルー独立戦争の最後の決戦である)。また1929年には、エクアドルのコロンビアからの独立宣言百周年を記念して行進曲《祖国 Patria》を作曲し、現在でもエクアドルではこの曲が歌われることが多い。

 1941年から1943年まで、三たび国立音楽院の院長を務めた。

 1947年1月13日、キトで亡くなった。

 シクスト・マリア・ドゥランの作品を列記すると、まず劇場作品は上述のサルスエラ《山の伝説》の他にも、オペラ《クマンダ Cumandá》(1900-1911?、エクアドルの作家フアン・レオン・メラ Juan León Mera の同名の小説を元にしている)、オペレッタ《マリアナ Mariana》を作曲したが、後2作は現在に至るまで上演されず、また楽譜も作品の一部が現存するのみである。管弦楽曲では《無言のロマンツァ Romanza sin palabras》などがある。器楽曲ではフルートまたはヴィオリンとピアノのための《インカの伝説 Leyenda incásica》(1916年頃) が代表作で、この曲は1917年に米国でエミリオ・ムリージョのフルート演奏で録音された。またヴァイオリンとピアノのための《キトの伝説 Leyenda quiteña》でエクアドルのアンデス地域(シエラと呼ばれる)を描き、《熱帯の伝説 Leyenda tropical》で太平洋岸地域(コスタと呼ばれる)を描いた。また歌曲も多数あり、《祖国 》、《エクアドル中央大学校歌 Himno de la Universidad Central del Ecuador》(1932) などの合唱曲も作曲した。

 シクスト・マリア・ドゥランのピアノ曲は全て数分の小品である。ワルツやガボットなどヨーロッパのサロン音楽風の作品が十曲程度あるが、その他の多くのピアノ曲はサンフアニート、ヤラビ、パシージョ、アイレ・テイピコ、フォックス・トロット・インカイコといったエクアドルの民族舞踊または民謡の形式の作品で、一部の曲は今ではピアノ曲よりフォルクローレのアンサンブルで奏されている。ドゥランは生前に「アメリカ(大陸)の芸術はアメリカ(大陸)の人のものでなければならない。ヨーロッパ芸術の奴隷から逃れなければならない。」と語っていたとのことで、ピアノの書法も和声も単純だが、エクアドル民族主義音楽の礎を築いた作曲家の一人として評価すべきであろうと思う。

 

Sixto María Duránのピアノ曲リストとその解説

 シクスト・マリア・ドゥランのピアノ曲の作曲年は殆ど不明であるが、彼のピアノ曲の多くは、当時のいくつかのエクアドルの雑誌に楽譜が掲載される形で初版となった。雑誌への掲載年が判明している作品は、その雑誌の発行年を (pb.) と記した。

 

Sixto María Duránのピアノ曲楽譜

CONMUSICA (Corporación Musicológica Ecuatoriana) / Archivo Sonoro de la Música Ecuatoriana

Archivo Equinoccial de la Música Ecuatoriana

 

Sixto María Duránのピアノ曲CD

星の数は、は是非お薦めのCD、は興味を持たれた人にはお薦めのCD、はどうしてもという人にお薦めのCDです。

Grandes temas de música ecuatoriana

Guillermo Meza (pf), Marcelo Ortiz (pf)

 

Souvenir de l'Amérique du Sud

  • Pasillo (pasillo) (Gerardo Guevara)
  • Fiesta (albazo) (Gerardo Guevara)
  • Tonada (tonada) (Gerardo Guevara)
  • El espantapájaros (pasillo) (Gerardo Guevara)
  • Apamuy Shungo (danzante) (Gerardo Guevara)
  • I. Amanecer de trasnochada (pasillo) (Luis H. Salgado)
  • Brindis al pasado (pasillo) (Luis H. Salgado)
  • II. Romance nativo (sanjuanito) (Luis H. Salgado)
  • VI. Nocturnal (pasillo) (Luis H. Salgado)
  • Pasional (pasillo) Arrangement: Marcelo Ortiz (Enrique Espín Yépez)
  • Articulo 8 del Código Civil (pasillo) (Sixto María Durán)
  • Sumac shungulla (Bonito corazoncito) (fox-trot) (Sixto María Durán)
  • Brumas (pasillo) (Sixto María Durán)
  • Souvenir (Sixto María Durán)
  • Lamparilla (pasillo) - Arrangement: Marcelo Ortiz (Miguel A. Casares)
  • Vasija de Barro - Arrangement: Marcelo Ortiz (Miguel A. Casares)

Marcelo Ortiz (pf)

 1995年および2000年の録音。Marcelo Ortizはエクアドル出身のピアニストで、現在カナダに在住し活動中とのこと。

 

Piano Music from Latin America, Vol. 3

Martin Söderberg (pf)

 

Sixto María Duránに関する参考文献