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Fernando Soriaについて

 フェルナンド・ソリア・カルペナ Fernando Soria Cárpena は1860年8月11日、メキシコ南東部のチアパス州オコソコアウトラ・デ・エスピノサに生まれた。3歳の時に父親が亡くなり、彼は(現在のチアパス州の州都である)トゥストラ・グティエレスの教会で育てられ、音楽を習った。1872年にチアパス州サン・クリストバル・デ・ラス・カサスに移り、当地の公教神学校に入学し、音楽を学び続けた。1879年に同校を卒業すると、チアパス州や北隣のタバスコ州のあちこちでピアノを教えていたらしい。20歳代前半には首都メキシコシティに出て、国立音楽院でフリオ・イトゥアルテに一年ほど師事したが、学費が続かずサン・クリストバル・デ・ラス・カサスに戻った。1884年にソリアが再び国立音楽院で学べるよう奨学金の援助をチアパス州政府に申し出たが、拒絶された記録が残されている。

 その後ソリアは、チアパス州の更に南東部にありグアテマラ国境に近いコミタンに移り住み、地元の学校で、また上流階級の子女に個人レッスンで歌やピアノを教えた。1885年から1888年頃まではしばしばグアテマラのケツァルテナンゴを訪れては、当地の学校でも音楽を教えた。(コミタンとケツァルテナンゴは約160キロ離れているが、標高3500メートルあるペーニャ・ブランカ山の麓を通る山道であり、当時は徒歩にせよラバに乗るにせよ10日から15日はかかる難路であったらしい。ソリアはコミタンとケツァルテナンゴを数ヶ月おきに行ったり来たりしていたとのこと。)ケツァルテナンゴで教えた生徒の一人であるヘスス・カスティージョ Jesús Castillo (1877-1946) は後にグアテマラを代表する作曲家・民族音楽学者となった。またこの頃ソリアは、María del Refugio Zepedaと結婚し、6人の子どもをもうけた。中でも娘のイサベル・ソリア・セペダ Isabel Soria Zepeda (1890-1976) は後にソプラノ歌手として国際的に活躍した。

 ソリアがいつ頃から作曲を行なっていたかの資料は乏しいが、1889年にフランスのパリで万国博覧会が開かれた際のメキシコからの出展物カタログにソリアのピアノ曲《収穫をする人々 Los segadores》、《イギリスの監視員 El guarda inglés》の楽譜が含まれており(いずれも楽譜は現存せず)、またソリア自身はパリの万国博覧会でピアノ曲《水に浮かんで、夢想 A flote, Reverie》が賞を得たと語っていたとのことで、この頃にはソリアの作品が印刷されていたものと思われる。1898年以降はソリアのピアノ曲がいくつも出版されている。1900年には《凱旋行進曲 Marcha triunfal》がパリで(1900年開催のパリ万国博覧会または国際音楽会議)銅メダルを受賞したとする記録が残されている。

 1901年にソリアは一家と共にメキシコシティに転居した。1905年から1913年までメキシコシティ市内の小学校で音楽を教えた。彼は音楽教育の充実のために2巻から成る《学校合唱曲集 Coros escolares》を作曲した。楽譜は1905年に出版され、市内の多くの小学校の音楽の授業で使われたとのこと。1909年から1914年にかけてはソリアの代表作となるピアノ曲集《心のアルバム第1集:ロマンティックな組曲 Ábum del corazón: nº 1 Suite romántica》と《心のアルバム第2集:哀愁に満ちた組曲 Ábum del corazón: nº 2 Suite elegíaca》が出版された。

 ソリアは、コミタン出身でコミタン市長を務めた政治家のベリサリオ・ドミンゲス Belisario Domínguez (1863-1913) と知己の仲であった。ソリアはドミンゲスに献呈したピアノ曲《我が大地に万歳! Viva mi Tierra!》は1913年に出版されている。1913年2月に軍人ビクトリアーノ・ウエルタがクーデターを起こしメキシコ大統領に就任したが、その直後にドミンゲスは国会議員になると、同年9月に国会でウエルタ大統領を批判する演説をした。しかしドミンゲスは反ウエルタ派として10月7日に暗殺されてしまった。ドミンゲスと親しかったソリアは身の危険を感じ、同年末にメキシコシティを逃れてベラクルスに移った。ベラクルスで彼はピアノを教え、演奏会を催し、音楽雑誌を主宰した。

 1921年(または1922年初め)にソリアは再びメキシコシティに転居した。いくつもの音楽雑誌に評論を書き、また自宅でピアノの個人レッスンを行いながら暮らした。1934年にメキシコシティでソリアは亡くなったが、死亡月日は不詳である。

 ソリアが1933年に書いた短い自叙伝によると彼は三百以上の曲を作ったと述べているが、楽譜が現存するのはその内の(出版譜および自筆譜合わせて)約90曲である。ピアノと管弦楽のための序曲《栄光を! Gloria!》はピアノ独奏版の楽譜のみが現存、またサルスエラ《Un rival allende el Bravo》は楽譜は現存せず、台本のみが残されている。歌曲は《チアパス賛歌 Himno a Chiapas》など9曲が現存、合唱曲は《学校合唱曲集》が残されている。

 ソリアのピアノ曲はサロン向けの小品、愛国曲、そして詩と音楽のコラボレーションと言える曲集《心のアルバム》から成る。各曲の構成や和声はヨーロッパロマン派で、取り立てて新たな音楽を切り開いたという作品もないのだが、《心のアルバム》での心情表現などはなかなかの優れた作品揃いである。ソリアのピアノ曲にメキシコ民族主義は殆ど見られない。惜しむらくは、独特の文化を持ったチアパス州に生まれ育った貴重な作曲家なのだから、現地の民俗音楽を元にしたピアノ曲とか作曲してくれたらな〜と思わずにはいられない。

 

Fernando Soriaのピアノ曲リストとその解説

 斜字は出版もされず、手稿譜も現存していない(要は存在が現在確認できない)作品です。
 ソリアのピアノ曲は手稿譜・出版譜ともに作曲年の記述が全く無いです。下記のリストで「1889年頃」にある4曲は、楽譜が現存しない曲も含めて、1889年のパリの万国博覧会に作品(楽譜)を出展したとするいくつかの文献に依ります。他のピアノ曲の出版譜で出版年が判明しているものは、出版年順にリストしました。

1889年頃

1898年出版

1898-1906年頃出版

1901年出版

1902年出版

1903年出版

1906年出版

1909-1914年出版

1910年出版

1913年出版

1915年出版

作曲年および出版年不詳

 

Fernando Soriaのピアノ曲楽譜

Edición del autor, Imprenta musical C. G. Roeder (ライプツィヒ)

Modesto González (タマウリパス)

Wagner y Levien

Enrique Munguía

Juan M. Prado Sucr. (ベラクルス)

  • La miel de tus besos, Vals, Op. 168
  • Linda pecadora, Gavota, Op. 153
  • Lirios azules, Vals, Op. 140
  • Morelos, Marcha o Paso doble, Op. 145

斜字は絶版と思われる楽譜

 

Fernando Soriaのピアノ曲CD

星の数は、は是非お薦めのCD、は興味を持たれた人にはお薦めのCD、はどうしてもという人にお薦めのCDです。

Antología, Volumen I
Universidad de Ciencias y Artes de Chiapas

Max A. Ruíz (pf), José Alfredo Torres (pf), Glenda Courtois (pf), Douglas Bringas (pf), Enrique Palomeque (pf), Carlos Chacón (pf), Adaney Cruz (pf)

 

Álbum del corazón
Universidad de Ciencias y Artes de Chiapas

Douglas Bringas (pf)

 2014年の録音。

 

Fernando Soriaに関する参考文献