Enrique Soroについて

 エンリケ・ソロ・バリーガ Enrique Soro Barriga は、1884年7月15日、チリ中部のコンセプシオンに生まれた。彼の父ジュゼッペ・ソロ Giuseppe Soro はイタリアからの移民で作曲家・ピアニストであった。音楽を習い始めた彼は5歳にして「モーツァルトの再来」と噂される神童で、サロンなどで度々ピアノを演奏していた。5歳の時に既に作曲をしている記録もある。その後イタリア出身でチリ在住の作曲家Domenico Bresciaに師事して作曲などを学んだ。

 1898年、チリ政府の奨学金を得て、イタリアのミラノ音楽院に留学し(彼の父もかつてミラノ音楽院で学んだ事があった)、ピアノ・オルガン・和声・対位法・作曲・音楽史などを学んだ。1901年に対位法の終了として発表した、チェロとオルガンのための《情熱的なアンダンテ Andante appassionato》は高く評価された。また毎年、音楽院ではソロの作品が初演された。1904年の卒業に際して「作曲特別賞」が授与された。卒業後にはパリのサル・プレイエルで自作の演奏会を行うなど、イタリアやフランス各地を訪れては演奏会を催し、またマスカーニやサン=サーンスと知り合う機会を持った。

 1905年にチリに帰国すると、間もなく政府の公立学校音楽部門の責任者に就任。ピアニストや指揮者として活躍しつつ、1906年からは国立音楽院で和声などを教え、1909年には同院の副院長に、1919年には院長に就任した。1915年から1916年にかけて米国を訪れ、カーネギーホールで演奏会を催し、レコード録音を行い、また米国の楽譜出版社G. Schirmerと今後の楽譜出版の契約を取り交わした。1921年には "Tea Room" という名の音楽サークルを主宰し、サークルの演奏会ではドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーなどの最新の作品から、チリの作曲家ーアジェンデやレンーの作品が演奏された。1921年にAdriana Cardemil Fuenzalida (1903-1944) と結婚し、三男一女をもうけた。1922年から1923年にかけて妻を連れて米国とヨーロッパ各国を訪問し、1922年12月にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による全曲ソロの作品による演奏会が催されるなど、指揮者およびピアニストとして演奏会を行った。1927年にチリの大統領に就任したカルロス・イバニェスと政敵関係であったソロは1928年に国立音楽院の院長を解任された。1929年には同じチリの作曲家ペドロ・ウンベルト・アジェンデと共にスペインを訪れ、バルセロナ万国博覧会に合わせて開催されたイベロアメリカ交響曲フェスティバル Festivales Sinfónicos Iberoamericanos で自作の《ピアノ協奏曲》を演奏して金メダルを受賞した。また同年に完成した《チェロソナタホ短調》はバルセロナでパブロ・カザルスにより初演される予定であったが、実現しなかったらしい。

 1938年にペドロ・アギーレ・セルダがチリ大統領に就任すると、ソロの公的な名誉が回復され、1940年のサンティアゴ開市四百周年に際してソロは名誉市民として表彰された。1948年にはチリ国家芸術賞を受賞した。

 1954年12月2日、サンティアゴで亡くなった。

 2012年にはソロのドキュメンタリー映画『En busca del piano perdido』がチリで制作された。

 エンリケ・ソロは生涯、約三百曲を作ったとされている。主な作品を記すと、管弦楽曲では、《主題と変奏 Tema con variazioni》(1904)、《弦楽オーケストラのための組曲》(1905)、《交響曲》(1911)、《交響組曲第1番 Suite Sinfónica nº 1》(1914)、《交響組曲第2番 Suite Sinfónica nº 2》(1918)、《ロマンチックな交響曲 Sinfonía romántica》(1921)、《3つのチリ民謡 Tres aires chilenos》(1942)、《古風な様式の組曲 Suite en estilo antiguo》(1943) などがある。協奏曲は、ピアノと弦楽オーケストラのための《抒情的な印象 Impresiones líricas》(1908?)、《チェロ協奏曲》(1917) と、彼の作品を代表する《ピアノ大協奏曲》(1918) がある。室内楽曲では、《弦楽四重奏曲イ長調》(1903)、《ヴァイオリンソナタ第1番ニ短調》(1903)、《ヴァイオリンソナタ第2番イ短調》(1914)、《ピアノ五重奏曲ロ短調》(1911)、《ピアノトリオト短調》(1924)、《チェロソナタホ短調》(1929) などがある。また歌曲、合唱曲、学校校歌などの作品も残されている。

 ソロは自身がピアニストであったためか、作品の約6割はピアノ曲でかなりの作品数である。その内、チリ民族主義作曲家としてのピアノ曲は十曲足らずであるが、チリの民謡「トナーダ」や民族舞踊「サマクエッカ」などを題材としたそれらはいずれも分かり易い和声で、いい雰囲気の曲である。他の多くの曲は、伝統的な作曲技法によるヨーロッパロマン派といった感じだが、楽譜や録音が少ないためピアノ曲の全貌はまだ不明で、まだ知られざる宝が眠っているような気がします。

 

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