Guillermo Uribe Holguínについて

 Guillermo Uribe Holguín(ギジェルモ・ウリベ・オルギン)は1880年3月17日、ボゴタに生まれた。子供の頃からピアノを習った彼は11歳の時にボゴタのAcademia Musicalに入学。ヴァイオリン、対位法、和声などを勉強した。

 1903年から1905年まではアメリカのニューヨークに移り住み、ダンスホールの楽団でヴァイオリンを弾いたり、ポピュラー曲の編曲の仕事などをしていたとのこと。コロンビアに帰国してからはOrquesta Sinfónica de la Academia Nacional de Música(現在のコロンビア国立交響楽団)の設立に関わった。

 1907年にはコロンビア政府の奨学金を得てフランスに留学、スコラ・カントルムでヴァンサン・ダンディに作曲を師事した。またベルギーを訪れて、ヴァイオリンをCesar Thomsonにも師事した。留学中に作曲されたヴァイオリンソナタ第1番作品7はパリで初演され、Alphonse Leduc社より出版された。またパリで知り合ったピアニストのLucía Gutiérrez Samperと1910年2月に結婚した(Lucía Gutiérrezは1925年に夭折している)。

 1910年にコロンビアに帰国してからは、Academia Nacional de Músicaの学長に就任。間もなく名称をConservatorio Nacional de Música(国立音楽院)に変え、1935年まで院長職を続けた。

 作曲家として、1924年に作曲された交響曲第2番作品15 "El terruño" でコロンビア民謡の旋律やリズムを取り入れたのを初めとして、それ以降ウリベ・オルギンは民族主義作曲家としてコロンビア人らしい作品をつくり出すようになる。代表作としてコロンビア先住民の神話に基づくオペラ "Furatena" (1940)、交響詩 "Ceremonia indígena (先住民の儀式)"、バレー音楽 "Tres ballets criollos"、そして1927年よりはピアノ曲集 "300 Trozos en el sentimiento popular" を13年に亘り書き続けた。

 1933年にフランス政府より、Chevalier de la Legion d'Honneur(=レジョン・ドヌール勲5等)受賞。

 1939年頃よりは健康を害して、ほとんど公的な音楽活動は行わなくなったとのことだが、作曲は続けており、交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲などを1961-1962年まで書き続けた。

 1971年6月26日、ボゴタで亡くなった。

 ウリベ・オルギンは他作家で、オペラ "Furatena"、交響曲11曲、交響詩18曲、協奏曲(ピアノ、チェンバロ、ヴァイオリン、ヴィオラ)5曲、歌や合唱と管弦楽のための作品、バレー曲3曲、弦楽四重奏曲10曲、ヴァイオリンソナタ7曲、ギター曲、合唱曲、レクイエムなどの宗教曲、多数の歌曲などを作った。

 ピアニストでもあったウリベ・オルギンはピアノ曲を多数作曲している。その代表作が1927年から1939年まで書き続け、計三百曲に達したピアノ曲集 "300 Trozos en el sentimiento popular(民謡の感情による300片の小品)" である。この曲集についてニコラス・スロニムスキー(ロシア生まれの作曲家・音楽評論家)は「ウリベ・オルギンの作品の中でも独特であり、新鮮なコロンビア音楽の語法で書かれている。華麗な技法によるこれら卓越した作品は、ヨーロッパに於いてショパンがポーランド音楽を素材として作品を作り上げたのに匹敵している。」と絶賛した (Nicolas Slonimsky. The Colombian Composer: His Status Today. Musical America 1939; 59:3, p116)。 一方アメリカの作曲家アーロン・コープランドは「ウリベ・オルギンは近年コロンビアで最も有名な作曲家である。私は僅かな作品しか知らないが、彼は70歳までに多くの作品を作っている。ウリベ・オルギンの作品は正にパリでダンディに師事した人らしい、フランス風味の性格の作品である。ウリベ・オルギンの音楽は十分に心地よいが、入念に作られたとは私には思えない。」と評価は低い (Aaron Copland. The Composers of South America. Modern Music 1942;19:2, p82)。私個人的な印象では、フランス音楽の影響を受けているのはウリベ・オルギンの音楽に別にマイナスとは思えず、逆にフランス留学で得た和声技法が巧くプラスに作用していると感じますが‥‥。(むしろ20世紀半ば以降、中南米の若き作曲家達がアメリカへ行ってアーロン・コープランドに師事するようになってから、中南米のクラシック音楽はヤンキー風味が幅を利かせ詩情を失ったように私には思える。)ウリベ・オルギンはコロンビアの作曲家にしてはあまりメロディーメーカーではなく、旋律の美しさで勝負ーとはいかないのがちょっと欠点に感じるが、コロンビア人らしい旋律やリズムを、(ただ民謡をピアノ曲にしたのではなく)高度な作曲技法で彼独特の音楽の世界に昇華させたことは見事で、20世紀前半のコロンビアの作曲家の中でも希有な存在だと思います。

 

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