千葉市・市原市 千葉中央バス廃止目前路線の旅
私、鉄道ファンなことは回りには公言しているのですが、実は鉄道に限らず乗り物全般(但し公共交通機関に限ります、自家用車は除外)に興味があるというか、ともかく「路線」というのがあると、鉄道は勿論(国鉄時代に日本の国鉄は全線完乗)、航空路線も日本国内では37の空港の離陸または着陸で搭乗しています(松本空港だの南紀白浜空港だのは興味深かったです)。まあここまでは同行の志というか物好きがそれなりに居るとは思われのですが、バス路線の乗りつぶしを趣味とするーまで行くとかなり少数派になります。第一、JR東日本の大船渡線の一部区間などのバス専用道路を除けば、自分で車の運転が出来れば、わざわざバスに乗らずとも日本全国の道路を走る事は出来ますからね。私のバス路線の乗りつぶし趣味は中学生時代くらいに始まり、その頃は地元の市内のバス路線完乗などやっていてました。大学時代に国鉄全線を完乗して国内の鉄道で乗る所が殆どなくなると、例えば宮崎県椎葉村の宮崎交通バス路線完乗などをしていました。そういう過疎地で1日2〜3往復しか運行ない路線では、運転手も数人の客も全員顔見知りで私だけがよそ者。特に行き止まりの枝線の場合、終点のバス停は周囲に農家が数軒のみの山の中、着いたら即折り返し運行なのでそのまま今来た道を乗り続けて戻るしかない、そういう時に限って行きも帰りも私しか乗客がいなかったりすると、運転手に「アンタいったい何しに乗ってんの」と詰問されて完全に不審者扱いーと結構肩身の狭い思いをする、まだ市民権を得てない趣味です。
さて先日、ネットで地元の千葉周辺関係のサイトを何となくあちこち眺めていた所、サイト1688というブログで、「千葉中央バス誉田ローカル各線 4月4日休止」という記事を発見しました。千葉中央バスのHPで確認すると、千葉市南東部から市原市北東部にかけてのかなりの路線が廃止になるよう。時刻表を見るとそれらの路線の運行は既に一日数本以下のかなりの閑散路線で、しかも多くは土曜休日全便運休と私にとってはかなり「萌える」ダイヤです。4月4日は月曜日なので、平日のみ運行の路線は4月1日金曜日が事実上の最終日となります。今を逃したら一生この路線に乗る機会はない!と、久しぶりに趣味に火がついた感じになりました。地図で調べてみると、ちょっと離れた所には新興住宅地などが造成されているのですが、これらのバス路線沿線は人家も疎らでどう考えても田舎。千葉市、市原市といったありふれた首都圏近郊に、過疎化のために今まさにバス路線が廃止されようとしている所があるなんて、ということで2016年3月22日火曜日に乗ってきました。以下に紹介する千葉中央バス路線は全て2016年4月4日をもって廃止となりました。
まずはJR外房線の土気駅に向かいます。土気駅は千葉市内ですので、私の自宅の最寄り駅から電車に乗って約30分とすぐです。土気駅は首都圏近郊によくある変哲のない普通の駅ですが、駅北口のバス停に行くと、千葉中央バスのHPに載っていた通り、火の見(正式には金剛地火の見)経由誉田駅ゆきは平日のみ運行の1日2本で、うち1本は火の見止まり(火の見→誉田駅は別に区間運行が一日4本あり)と、いきなり乗車難易度Aクラス?の路線です。これから乗る午前11時発のバスは(午前中だけど)終バスで、大椎台団地という所を始発として10時59分にやってきました。
定時の11時に発車したバスは外房線の線路を陸橋で越えて南へ向かいます。乗客は私ともう一人だけで、最初は「あすみが丘」という造成されたニュータウンの中を走ります。余談ですが、あすみが丘の一部は「ワンハンドレッドヒルズ」という超高級住宅街が1989年から造成され、各家にプライベートプールまで付いている、分譲価格数億円という豪邸が販売され「チバリーヒルズ」と呼ばれ当時は有名だったそうですが、その直後にバブルがはじけて売れなかったり手放されたりで空き家だらけとなり、現在土地代は一区画最低8000万まで下がってはいますが、バブルの遺産と化しているそうです。あすみが丘の中を走るバス路線は他にもあってそちらは毎時数本運行している普通の路線ですが、私がいま乗っているバスはそれらとは微妙に走る道路が異なり、また、あすみが丘路線は土気駅南口発着なのに対し、こちらのバスは土気駅北口発着で1日2本じゃあ、あすみが丘の住民からも無視されているのだろうなと思います。バスはあすみが丘を抜けるといきなり畑の中に家が点在する田舎の風景になります。「板倉」というバス停で乗客の一人が降りると、車内は運転手と私だけに。渋滞なんか絶対起らないであろう田舎道をバスは時速30kmくらいでゆっくり走り、千葉市から市原市に入って、11時14分、金剛地火の見に到着しました。降りたバス停で土気駅方面の時刻表を見ると、(土気駅経由)大椎台団地ゆきは平日のみ1日1本の10時22分発だけと、横綱級の過疎バスダイヤでした。
さて、ここ金剛地火の見から出るバスは14時30分まで3時間以上ありません。ではさっきまで乗っていたバスはどこに行ったのかと辺りを見回すと、バス停から数十メートル離れた空き地に止まっていました。既に運転手もおらずバスは無人です。このあたりは民家と集会所が点在するのみで、商店もありません。バス会社はここ周辺に住んでいる誰かを運転手として雇っているのかな〜と考えないと合点がいかない運用です。3時間の時間の潰し方ですが、ここから3キロ程離れた所に、「奈良の大仏」という知る人ぞ知る名所があるので、そこまで歩くことにしました。千葉県なのに奈良の大仏?、まったく千葉県って何でも他都道府県の名称を盗ってくるんだよね〜、東京ディズニーリゾート、東京ドイツ村、東京歯科大学、新東京病院とか(全部東京か)〜といつも批判の矢面ですが、この「奈良の大仏」については、ちゃんと当地に「千葉県市原市奈良」という住所があります。Wikipediaにも載っていて、あの平将門が建立させた大仏とのことで、オートバイや自転車のツーリングのついでここを訪れる方は結構いるらしい。てくてく歩いて訪れるのは私くらいかもしれないけど、ともかく歩きます。金剛地火の見バス停から誉田駅方面へのバス路線の山道を約30分歩くと市原市立市東第二小学校が現れます。この小学校は創立104年と歴史はあるのだが現在の過疎さはバスと同様で、全校児童は25名、クラスは2学年づつの複式学級。この3月には6年生の7人が卒業してしまい、今後一層の児童減少が予想されるため平成29年の廃校が検討されていて、保護者などと調整中らしいです。
小学校の先を左折し、車一台がやっと通れるかの細道を下ったり上ったりと10分ほど歩きます。何もない田舎の景色ですが、こういう所って好きです。
やがて誰もいないベンチが置かれた公園らしき広場が現れました。近くに「奈良児童遊園」という看板があって、「道路に出るときは気をつけましょう」と書いてあるが、さっきの細道に入ってから一台の自動車にも出会っていません。「奈良の大仏」は公園の奥の、鬱蒼とした木々の中にありました。大仏は立位の釈迦如来像で、大きさは等身大くらいと小さい。本家の奈良県の東大寺の大仏には比ぶべくもないですが、足元には新しい花が供えられており、地元の人には愛されているのでしょう。ひととき手を合わせて拝ませて頂きました。
さて、現在お昼の12時40分で時間はまだ余っている。さっきの誰もいない公園のベンチに腰掛け、持参の弁当とお茶で一人ランチとしました。公園の桜はまだ三分咲き位ですが、今日は花曇りに時々日が射すと言った感じの春らしい穏やかな天気です。あと2週間後位に来ていたら満開の桜の横でお花見だったのにとも思いましたが、その桜の満開の頃には当地には路線バスはもう走っていないんだなと思いながら桜を見ていると、ちょっと感傷的になります。公園と大仏には結局40分くらいいましたが、私の他には誰一人として訪れる人もいませんでした。
奈良の大仏から、さっき着た道を引き返し、金剛地火の見バス停に戻ってきました。次に乗るバスは「潤井戸」という所でへ行く路線で、平日のみの14時30分と17時05分発の2本のみ。この路線は起点から終点までの全区間で鉄道駅との接続が全くないというのも珍しいですが、金剛地火の見→潤井戸の一方向しか運行がないという、「千と千尋の神隠し」に出て来る海原電鉄みたいな変わった路線です。
14時30分発のバスは予想通り空き地で休憩していたバスで運転手も同じ。運転手と客は私一人だけを乗せたバスは、先程歩いた道を西に走り、例の市東第二小学校前のバス停では下校の小学生3名が乗ってきました。バス停まで先生が一緒に来て見送ってくれるのは、過疎地の学校らしいほのぼのとする光景です。次のバス停「奈良入口」で小学生のうち2人が降り、その次の「東国吉」でもう1人が降りると乗客はまた私だけになります。東国吉を出ると左折して、誉田駅方面の道路と別れると、ここからが本当に1日片道2本のみの区間になります。人気のない畑の中の道をバスは走り、ゴルフ場の脇を通り、1日2回しかバスが来ない「吉野谷」というバス停を通過し、間もなく人家が増えて来ると、「下野」というバス停で誉田駅〜潤井戸を結ぶ路線と合流し、県道14号にぶつかる「潤井戸交差点」というバス停で降りました。
次は潤井戸と誉田駅を結ぶ路線に乗ります。今回の廃止路線の中では平日10往復、土休日4〜5往復と本数は多い方です。誉田駅ゆきバスは潤井戸交差点に時刻表通り14時56分にやって来ました。
予想はしていましたが、バスも運転手もまたまたさっきと同じです。乗客はまた私一人だけなので、運転手から見たら目立つよな〜、朝から変な乗り方をしてるので不審に思っていないかな〜。とは言え、運転手の所へ行って「私、廃止直前の記念にあちこち乗ってるんです」と聞かれもしていないのにわざわざ白状するのもな〜と思いつつ車内後方の座席で小さくなって乗っています。
バスは交差点で左折して、「吉野谷」方面と別れると、しばらくは人家がそこそこありますが、間もなくまた田んぼや畑の中の一本道になります。やがて右手に畑の中に市原市立市東第一小学校という、先程の市東第二小学校よりは少し大きな小学校が現れ、バスは右折し、校門前までの小道を100メートル少々走り、校門の前で180度転回します。時刻表ではこの路線の朝の下り1本と、(私が今乗っているのを含め)午後の上り4本が市東第一小経由と記されています。登下校の時間を意識したダイヤのこの寄り道は小学生にとっては便利かもしれませんが、小学生のために高々100メートル少々を枝線とする必要ってあるのかな?、結局、誰一人としてここでは乗ってきませんでした。バスは金剛地火の見方面と誉田駅を結ぶ道路と交差点で合流し、次の「瀬又倉庫」というバス停で降りました。
瀬又倉庫の周辺も、畑の中に人家が散在するのどかないい所で、交差点の脇を流れる村田川の橋に立つと、川のせせらぎがチョロチョロと聞こえてきます。この地区では五月の節句の時期には村田川の上にはたくさんの鯉のぼりが泳ぐそうですが、今年の五月にはこの地区も路線バスは完全に無くなっています。次に乗るのは金剛地火の見ゆきのバスですが、このバスのミソは、途中の「金剛地二軒屋」という所で枝線に入り、「郡境」という所に寄り道していく所で、個人的にはこういった寄り道の枝線乗車はワクワクします。誉田駅〜金剛地火の見路線で郡境に寄り道するのは朝の上り1本と午後の下り3本のみです。
15時27分、瀬又倉庫バス停に郡境経由金剛地火の見ゆきバスが来ました。もしかしたらとは思っていましたが、また同じバスに同じ運転手!、に今日4度目の乗車です。但しこのバスには私以外に高齢の女性客が2人ほど乗っていて会話しています。バスは畑沿いの道を南へ走ります。「光徳寺」というバス停前には「光徳寺裏参道入口」と看板があり、そのちょっと先には表参道を思われる石畳と三門が見えます。こういった所では人口の少ない過疎地に不釣り合いなお寺や神社をよく見かけます。昔はもっと人が住んでいた事を偲ばせるような光景です。「農協前」バス停で乗客の一人が降り、次の東国吉で1時間前に通った道路に合流して東に走り、「金剛地二軒屋」バス停の所で右折して小道に分け入って進みます。ここから郡境までは自由乗降区間と言って、バス停以外でも運転手に声をかければ好きな所で乗り降りできる制度で、超過疎地のバス路線ではしばしば見かける運行です。ここに至ってローカル路線もいよいよ大詰め!とひとり胸が躍りますが、実はこの道は市原市と茂原市を結ぶ道路の一つで、千葉中央バスの前身である千葉郊外自動車が昭和10年に、旧本千葉駅ー誉田ー東国吉ー郡境ー茂原という長距離バス路線を開設した歴史ある区間なのだが、その後の過疎化による利用者の減少で平成11年に郡境から先は廃止されたという激動の運命?の路線です。バスは80年前とあまり変わってないんじゃないかなと思われる風景の林の中の道を走り、少し開けた畑の中をしばらく進むと、15時39分、郡境バス停に着きました。ここで、もう一人の高齢のお客も下車。私も朝から4回乗ったこのバスともお別れとするので、運転手に「4月からこの辺のバスは全部なくなっちゃうんですか?コミュニティバスとかは走らないんですか?」と聞いてみると、一言「スクール専用は走るよ」との返事。1時間前に見た例のバス通学の小学生のために登下校時間に合わせて地元がマイクロバスでも運行するのだろう。これについては千葉中央バスのHPにも、市原市のHPにも全く案内はなく、少なくとも公共交通機関としてのバス運行はこの地域からは無くなるのは確実、と判断せざるを得なかった。
郡境の周辺は2〜3軒の人家と、畑と林があるだけの所であった。ちなみに「郡境」というバス停の名前ですが、このバス停から道なりに500メートルほど進んだ所が市原市と長生郡長柄町の境で、市原市側は昭和38年までは市原郡市津町だったので、ここが文字通り「郡境」なのだろう。今日の旅の最後は、かつてバスが走ったこの道を辿って長柄町側まで歩いてみよう。以外ときれいに舗装された道路を数分歩くと市原市と長柄町の境界の看板が現れ、長柄町に入って更に10分くらい歩くと、長柄町町民バスの「西山入口」バス停が現れた。長柄町町民バスは1日5本がこのバス停を通る。
16時30分、今日の最終便となるマイクロバスは時刻表より5分早く現れ、ロングウッドステーションという所で小湊バスに乗り換え、京成電鉄ちはら台駅で電車に乗り換えて18時過ぎには自宅に帰りました。今回の「旅」にかかった費用は電車代987円、バス代1606円にお弁当代でした。
千葉県ではバス会社から休廃止の申出があると「千葉県バス対策地域協議会」という会議を開き、交通確保方策を協議します。千葉中央バスの今回の廃止路線は平成27年12月28日に協議会を開いたものの、協議不調となり、協議終了となったとのことです。今回の過疎路線廃止の経緯については、私はよそ者なので分かりませが、協議不調の原因を推察すると、1)乗ってみると分かるのだが、登下校の数人の小学生を乗せる以外は殆ど空気を運んでいるような乗車率の低さ、2)ということは、自家用車を使えない交通弱者は僅かで、路線廃止反対を声高に上げる人が少ない、3)こういうケースだと(隣の長柄町のように)地元自治体の予算で市営・町営・村営のコミュニティバスが運行されることが多いのだが、市原市は広大でバスのない市内全域を走るコミュニティバスが運行し難い、4)運行区域の大部分は市原市だが、ターミナル駅が千葉市内にある誉田駅や土気駅なので、コミュニティバスを運行してもメリットのある商店街は千葉市内で、すなわち地元市原市商店街からの協賛援助がもらえない、などが考えられます。
鉄道でローカル線の廃止が決まると、今は北海道だろうが九州だろうが全国各地から鉄道ファンが押し掛けて大騒ぎとなります。そうなると私なんかからすれば「廃止ローカル線の旅情」なんて微塵もないので訪れる気もないのですが、観光地でもない田舎のバスが廃止される時は大抵ひっそりで、今回の路線も廃止が10日後に迫っているにもかかわらず、私のような人は誰も乗っていませんでした。こんな旅日記を公開した所で読む人も僅かだろうし、路線廃止の事実が変わるものでもありませんが、何年後かにこの辺りの住民の方や関係者が「そういえば昔は路線バスが走っていたな〜、でもその記録となる写真なんて地元民でも乗らなかったんで残ってないかな〜」なんて声にこのページが役に立てるかもしれない、とちょっと思いました。