鴨川市・富津市・鋸南町 日東交通バス金谷線 廃止目前路線の旅

 千葉県民の私は、内房線が房総西線と、また外房線が房総東線と呼ばれていた頃より何度となく房総へ日帰り旅行していたが、父に連れられていた幼い頃は途中の五井駅で見かける小湊鉄道、木更津駅の久留里線、大原駅の木原線(現いすみ鉄道)の気動車を、どんな山の中へ連れて行ってくれるんだろうと羨望の眼差しで眺めていたものであった。小学校高学年になって日帰り一人旅を許されるようになってからは、現在に到るまでそれらのローカル線をどれも十回以上は乗っているが、それと同時に内房線や外房線の沿線の小さな途中駅の駅の外で停まっているバスも子どもの頃から気になっていた。高校生頃になると安房白浜方面への国鉄バスとか、安房鴨川駅と上総亀山駅を結ぶ日東交通バスは乗ったがそれ位で、その後は国鉄完乗から世界中の鉄道乗車までうつつを抜かしていて、その間、自分が気が付かない内に房総半島内部の路線バスはじわじわと廃止されつつあった。

 2024年3月中旬、ネットサーフィンしていた所たまたま、房総半島南部にバス路線網を持つ日東交通の金谷線(亀田病院 - 鴨川駅東口 - 東京湾フェリー)が3月31日をもって廃止される旨を見つけた。房総半島を横断して内房線の駅と外房線の駅を結ぶ路線バスは今や日東交通の木更津鴨川線と、この金谷線のみである。2024年3月27日水曜、久しぶりに私の御膝元の房総半島へ旅に出た。


 は日東交通金谷線:亀田病院 -(安房)鴨川駅東口 - 平塚入口 - 東京湾フェリー
 は日東交通長狭線:亀田病院 -(安房)鴨川駅東口 - 平塚入口 - 平塚本郷

 内房線で木更津に向かい、木更津から何年振りかの久留里線に乗って終点の上総亀山へ行き、途中の久留里へ戻って久留里城址を見学して、久留里城三の丸跡というバス停から高速バスに乗って安房鴨川駅西口に3分遅れで11時1分に到着した。乗り継ぎ時間が際どいので駅東口への連絡通路を走り、東口駅前の日東交通鴨川営業所で発車を待つ11時5分発の平塚本郷行きのバスに間に合い、定刻に発車。バスは駅前の狭い道を抜け、内房線の踏切を越え、長狭街道と呼ばれる県道を西へ走る。車窓は田んぼの中に家々が点在するのどかな眺めで、左手には加茂川が見える。11時19分、主基駅というバス停を通る。この日東交通の金谷線の途中には、鉄道が無いのに「〜駅」と名乗るバス停がここを含めて3つある。こうした「駅」は、JRバス(かつての国鉄バス)の主要な停留所(自動車駅と呼ばれた)に多く存在するが、民間のバス事業者でも鉄道と連絡運輸を行なっている場合、連絡乗車券を発売している窓口をバス停留所に設置した上で「駅」と称した名残りである。主基駅も昔は切符売り場の建物があったのであろうが、現在は道路の両側に、ポールに丸い標識板の付いた普通のバス停があるのみで「駅」の面影は見られなかった。バスは長狭中学校前の交差点で左折し、みんなみの里という所まで300mほど寄り道して、長狭中学校前の交差点へ戻って再び西へ進む。間もなく吉尾駅というバス停を通過するが、ここも普通のバス停であった。バスは、日本の棚田百選に選ばれて有名な大山千枚田への入口バス停を過ぎ、左手の山の頂きに大山不動尊が見え、金束(こづか)の集落に入ると金束駅のバス停に停まる。ここで乗客が一人下りると、バスの乗客は私だけになった。平塚入口というバス停の過ぎると、左折して長狭街道から外れる。ここから先は盲腸線で、田んぼや畑の中を進み、平塚というバス停の所で更に脇道に入り、11時42分、終点の平塚本郷に到着した。1日4回しかバスは来ない所だが、バス停脇には待合の小屋があって郵便ポストと自動販売機もあり、乗って来たバスは広い転回場でポツンと折り返し時刻を待っていた。

 平塚本郷の折り返し発車は約1時間後なので、今しがた乗ってきた道を金束駅まで歩くこととする。今日は晴天である。車の通行は僅かで他に歩く人も見かけず、近くを流れる加茂川のせせらぎや小鳥やカエルの鳴き声を聞きながら、田んぼから吹いてくる春のそよ風を感じつつの散歩は気持ちいい。バス停4つ分を歩くと長狭街道に合流する。平塚入口のバス停の時刻表は金谷線が廃止された後のものに既に変更されていて、平塚本郷行きと鴨川駅前・亀田病院行きのみとなっていた。更に2つバス停を進んで歩くと金束駅のバス停に着く。ここで東京湾フェリー行きのバスを待つこととする。私の手元にある1972年日本交通公社発行の時刻表を見ると、当時は金束駅を始発・終着とするバスが多数あり、バス停すぐ近くにある商店脇の砂利が敷かれた駐車場はかつてはバスの車庫が建っていたらしい。切符売り場もあったかもしれない。

 東京湾フェリー行きのバスは12時55分にやって来た。乗客は私ともう一人しか乗っていない。先程通った平塚入口を過ぎると、いよいよ廃止予定区間に入る。人家は途切れ、両側を山に囲まれた見通しの悪い道路をバスは進む。数軒の人家が現れると、そこにはバス停が佇んでいる。鴨川市から富津市に入り、1キロ程進むと横根峠を越えて鋸南町に入る。湯沢というバス停には日東交通のポールと鋸南町営循環バスのポールが立っていて、ここから先の保田方面へは日東バスに加えて鋸南町営循環バスが平日5往復・土日祝日3往復運行している。次の鋸東コミセンというバス停で一人乗客が下りると、バスの乗客はまた私だけだ。バスはスイスイと下り坂を走り、高速道路の富津館山道路の下を潜り、内房線の踏切を渡り、国道127号に入ると保田の町のくねくねとした道を通り、海沿いに出ると北に進み、鋸山の麓をいくつものトンネルで抜け、金谷の町中を通って13時23分に終点の東京湾フェリーバス停に到着した。金谷と久里浜を結ぶ東京湾フェリーの乗り場はすぐの所にある。

 日東交通金谷線は前身のバス会社まで遡ると1918年(大正7年)7月1日の開業で、106年間運行されていたことになる。長年の念願の南房総バス横断が出来て満足であるが、房総半島の山中を走る路線がまた一つ消えていくのは寂しいとしか言いようがない。

 

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