アルゼンチン(+チリ)鉄道旅行第四回(2022年11月29日〜12月9日)


   アルゼンチン鉄道路線図(2022年12月時点)

  • 12月1日
    • Dr. アントニオ・サエンス→ゴンサレス・カタン→マルコス・パス→ロボス→カニュエラス→エセイサ→ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)に乗車
  • 12月2日
    • ブエノスアイレス(オンセ)→アエド→テンペルレイ→ボスケス→グティエレス→ボスケス→ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)に乗車
  • 12月3日
    • メトロトランビア全線乗車、メンドサ(アルゼンチン)→ロス・アンデス(チリ)へバスで陸路国境越え
  • 12月4日
    • ゴンドラ・カリール(ロス・アンデス―リオ・ブランコ)に往復乗車
  • 12月5日
    • リマチェ→バルパライソに乗車、およびバルパライソのアセンソール(ケーブルカー)6箇所乗車
  • 12月6日
    • 世界の果て号(世界の果て駅―国立公園駅)に往復乗車
  • 12月7日
    • ブエノスアイレス(レティーロ)→ベルグラーノ R→バルトロメ・ミトレ‥‥マイプ→デルタ‥‥ティグレ→ブエノスアイレス(レティーロ)に乗車


 ブエノスアイレス市および近郊の鉄道路線図(2022年12月時点、地下鉄は除く)
 ・赤線は今回の旅行で乗った路線
 ・黄緑線は前回までに乗車済みの路線
 ・紫線は未乗の路線

(文章中の為替レートは乗車当時のものです。)

 前回わたしがアルゼンチンに旅行に行った2020年1月には、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染者は既に日本にも入ってきており、同年3月にはアルゼンチンでも感染者が確認され、3月20日よりアルゼンチン国鉄は全ての長距離列車および多くの地方短・中距離列車を運転休止とした。2020年11月下旬からそれらの列車は徐々に運転が再開され、2022年末にはほぼパンデミア以前と同じ運行に回復している。そんな混乱の中、アルゼンチン国鉄は全国各地でちょこっちょこっと新線開業〜正しくは廃線または旅客列車廃止区間の復活開業〜を以下の通り行なっていた1)。これは2019年12月にアルゼンチン大統領に就任した左派の正義党(ペロン党)アルベルト・フェルナンデスの政策の影響が大きいと思われる。

 当ページの一番上の図をご覧頂くと分かるが、これらの開業ラッシュのおかげで紫色で示した未乗の路線が各地に点々と散らばることになってしまった。特に私が今までに乗った地方ローカル線の延長のような形での開業路線が、よりによってブエノスアイレスから離れたチャコ州、サルタ州、コルドバ州にあり、完乗するためには再びこれらの場所へ出向かねばならない。乗る鉄道が増えたのは勿論嬉しいことであるが、アルゼンチンの鉄道の完乗がかなり遠のいてしまったのが複雑な気持ちである。

 アルゼンチンに四たび行く旅程を2022年11月29日に日本出発、12月9日に帰国と決め、私は10月中旬には往復航空券を予約・購入していた。アルゼンチン国鉄の殆どの長距離列車は全車指定席で国鉄のウェブサイトまたは駅の窓口で購入できるが、指定席乗車券は概ねバスの運賃の半額以下と安いため人気が高く、多くの列車の指定席券は発売後1〜2日で売り切れてしまう。12月乗車分の指定席券は例年11月前半に発売開始となるが、チケット争奪戦に備えて私はアルゼンチン国鉄のウェブサイトでの入力の予行演習として、既に発売中の11月の列車の購入申し込みでのクレジットカード入力の前のステップまで練習してみることにした(クレジットカード決済以前の段階までは予約は成立しない)。ヘネラル・ギド〜ディビサデロ・デ・ピナマール間乗車2時間半、のようなさほど長くない路線は日によって空席ありと表示されるが、列車選択後の乗客情報 datos pasajeros/as の入力欄に名前、生年月日、電話番号、メールアドレスなどに加えて、アルゼンチン人 Argentina / 外国人 Extranjera の選択と、DNI、Nro trámiteの項目がある。私は勿論Extranjeraを選択。DNIはDocumento Nacional de Identidadの略で公的身分証明書のことで、私のようなアルゼンチンの公的身分証明書をもっていない外国人はパスポート番号を入力する。次のNro trámiteはアルゼンチンの公的身分証明書番号とは別に同証明書に記されている11桁の番号で、三年前に同ウェブサイトでブエノスアイレスからバイア・ブランカへの指定席券を買った時にはこの項目は無かったので、新たに追加されたのであろう。当然ながら私にはこの番号が無い。ここを空欄としても、また適当な11桁の数字をいろいろ入力してみてもエラー表示が出て次のステップへ進めない。そこでアルゼンチン国鉄のお客様相談室のような所にメールするも「予約センターに電話して、事情を話して予約を取って下さい」との返事で、こんな混みいった話をスペイン語で国際電話する力量は私にはとてもない。アルゼンチンへの航空券まで買ったのに完全に詰んでしまった。11月12日から12月乗車分の指定席券の発売が始まり、アルゼンチン国鉄のウェブサイトで実際に乗りたい列車をトライするもやはり乗客情報で先へ進めず、指定席がどんどん埋まっていくのを指を咥えて眺めているしかなかった。なので今回の旅行は長距離列車はほぼ諦め、ブエノスアイレス近郊区間の鉄道、隣国チリの鉄道、世界最南端の鉄道として知られるアルゼンチン・ウシュアイアの「世界の果て号」を訪れる旅程を組んだ。

2022年12月1日:Dr. アントニオ・サエンス→ゴンサレス・カタン→マルコス・パス→ロボス→カニュエラス→エセイサ→ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)に乗車

 日本から航空機の乗り継ぎ時間を合わせて34時間をかけブエノスアイレスに着き、ホテルに投宿した時には11月30日の23時頃となっていた。明日からのハードスケジュールに備えて入浴、荷物の整理を手早く済ませベッドに入る。いつもながらのせっかちな旅行である。

 12月1日木曜日のまだ夜も明けぬ5時前、市内の地下鉄は始発前であり、タクシーで市内のプラサ・コンスティトゥシオン駅に行く。アルゼンチン国鉄の長距離列車の指定席乗車券は前述の通り事前に一枚も購入できないまま来てしまったが、私には一縷の希望があった。鉄道の指定席乗車券はバスよりはるかに安いため慢性的に入手困難であることはアルゼンチン国民もよく知っている事実なのだが、満席売り切れの筈の列車がいざ乗車してみたら空席だらけだったという話が度々伝えられていて、そのため「バス会社が列車の座席を買い占めて、あぶれた客がバスの切符を買わざるを得ないように誘導している」という噂がある2)。例えばブエノスアイレス〜マル・デル・プラタ間399kmの片道だと、鉄道ならプリメラ(普通座席車)で920ペソ(790円)、プルマン(上級座席車)で1110ペソ(950円)に対し、バスだと座席クラスや前売時期によって差があるもの最低でも約6000ペソ(5160円)はするので、バス会社は自腹で列車の座席を買い占めても、その分のバスの切符が売れれば元は取れるという算段である。そこでアルゼンチン国鉄は、事前購入しても乗りそうにない座席を他の希望者に再発売できるよう、予約の再確認という仕組みを2022年12月1日乗車分から導入した。仕組みは航空会社がかつて行なっていたリコンファームの手続きと似ていて、列車の乗車72時間前から24時間前までの間に、指定席券購入時に伝えられた予約番号とセキュリティコードをウェブサイトに入力して(または駅窓口で呈示して)はじめて、実際の指定席乗車券が発券されるというもの(ウェブサイト経由の場合は指定席乗車券のpdfがメールで送られる)。航空会社のリコンファームと異なるのは、この手続きを怠ると乗車24時間前に問答無用で予約は自動的に取り消され、他の客がその座席を買えるようになっていることである。この新しい仕組みが果たしてバス会社の企み(あくまで噂)を多少なりとも阻むことができるかは分からないが、乗車直前の切符入手のチャンスが増えたような気はする。それで私は本日6時22分プラサ・コンスティトゥシオン発の列車でマル・デル・プラタか、途中のヘネラル・ギド乗り換えディビサデロ・デ・ピナマールまでの乗車券が買えないか、駅窓口で掛け合ってみた。しかし窓口係員はコンピューターで調べようともせず、無愛想に「No」と即答。本日乗車分から予約システムが変わったことを係員は知ってか知らぬか、ダメ元でも調べる位してよ〜と思うが、取り付く島もない感じなのでここは諦め、運転が始まった地下鉄に乗ってホテルへ帰った。

 もしかしたらの指定席乗車券当日入手は失敗に終わったが、これはダメ元の試みだったので気分の落ち込みはない。今日、明日の第二案は予め綿密に計画してあり、それを実行するのみである。
 午前9時過ぎにタクシーを拾い、市内のDr. アントニオ・サエンス駅へ向かう。運転手は了解してくれるも「あの辺りはは危ないぞ」と警告される。Dr. アントニオ・サエンス駅があるヌエバ・ポンページャ地区 Barrio Nueva Pompeya はブエノスアイレス市内でも一般的に治安が良くない市内南部にあり、Dr. アントニオ・サエンス駅から1km半程離れた所には「ビシャ21-24」と呼ばれる市内最大級のスラム街がある。そのことは既に調べて重々承知しているが、アルゼンチン国鉄ベルグラーノ南線の行き止まり始発駅がDr. アントニオ・サエンスで、しかも当駅は他の鉄道との接続もないので腹を決めて行くことにしたのだ。ただ地元のタクシー運転手にまで言われるとは思わなかった。タクシーがDr. アントニオ・サエンス駅前に着くと辺りは人通りはそこそこあり、普通程度に治安の悪そうなブエノスアイレス市内といった感じだが、私は足早に駅の改札口に向かう。Dr. アントニオ・サエンス駅は新しい高架駅で、今はここが始発駅だが、プラサ・コンスティトゥシオン駅まで約5kmの延長工事が行われている。将来再びこの路線に乗ることがあってもDr. アントニオ・サエンス駅で乗り降りすることはもうないだろう。


 ベルグラーノ南線Dr. アントニオ・サエンス駅、同駅東方は現在は行き止まりだがプラサ・コンスティトゥシオン駅までの高架線工事が進められている
 Estación Dr. Antonio Sáenz de la Línea Belgrano Sur

 10時2分発のゴンサレス・カタン行き気動車は定刻にDr. アントニオ・サエンスを出発。ブエノスアイレス郊外の雑然とした町並みの中を走り、タピアレス駅でマリノス・デル・クルセーロ・ヘネラル・ベルグラーノ方面への支線を分岐し、11時5分に終点のゴンサレス・カタンに着いた。跨線橋を渡った向かいのホームには別の3両編成の気動車が待っていて、これがこの先のマルコス・パスへ行く列車である。この区間はゴンサレス・カタンから隣のベインテ・デ・フニオ(6月20日)駅まで8.6kmが2019年11月13日に、ベインテ・デ・フニオからマルコス・パスまで8.6kmが2021年 7月29日に復活開業したばかりである。11時16分に発車したマルコス・パス行きは草原のような荒地のような所をゆっくりと進み、2駅約17.2kmを表定速度27km/hで走り、11時54分に終点のマルコス・パスに到着した。ベルグラーノ南線のマルコス・パス駅が開業したのは1908年らしく、古い瀟洒な駅舎が今も残っているが、駅舎の出入口はベニヤ板で塞がれた無人駅であった。


 ゴンサレス・カタン駅(左側の気動車がマルコス・パス行き、右側がDr. アントニオ・サエンスから到着した列車でいずれも中国製)と、終点のマルコス・パス駅
 Estación González Catán y Estación Marcos Paz de la Línea Belgrano Sur

 ここ国鉄ベルグラーノ南線のマルコス・パス駅から15分程歩くと国鉄サルミエント線のマルコス・パス駅に行ける。サルミエント線はここから北へのメルロまでは2年前に乗ったが、南のロボス方面は2年前は途中運転打ち切りの憂き目にあって乗れなかった区間である。2年ぶりにサルミエント線マルコス・パス駅を再び訪れることが出来て感慨深いが、駅舎は改築中で、駅舎のメルロ側に仮設のホームが設けられていた。ロボス行きはディーゼル機関車に客車3両の列車で、4分遅れの13時1分に現れ、乗車するとすぐ発車。牧草地のような草原が続くのんびりとした風景の中を列車は南下する。13時24分に停車したラス・エラスから先の区間は一日4往復のみの閑散路線で、同駅を出た時には乗客は各車両数人ずつまで減っていた。エンパルメ・ロボス駅でカニュエラス方面からの線路と合流し、14時30分に終点のロボスに到着した。ロボス駅は1871年の開業で、現在の駅舎がいつ建てられたのかは分からないが、昔ながらののんびりするようないい雰囲気の駅であった。


 サルミエント線のマルコス・パス駅に入線するロボス行き列車と、その車内(ブエノスアイレス近郊の客車列車のドアは走行中も開けっ放しである)
 Tren de pasajeros con destino Lobos efectuando su entrada en la estación Marcos Paz de la Línea Sarmiento y Interior del coche


 ロボス駅と、駅ホーム
 Estación Lobos y su andén

 先程通ったロボスの一つ手前の駅エンパルメ・ロボスは、「エンパルメ」というスペイン語が接続とか乗換えとかを意味する通り、駅北側のマルコス・パス方面からの線路と東側カニュエラス方面からの線路が合流し、南側ロボス方面への線路と西側ボリバール方面への線路(現在廃線)が分岐する、東西南北からの線路が交わる鉄道の要衝のような駅である。14時52分発メルロ行き折り返し列車に乗って一駅戻り、エンパルメ・ロボスで降りてみる。乗降客は数人しかいなかった。駅舎は白いペンキで塗り替えられ、ホームには黄色い点字ブロックを敷設するなどの改装中であったが、腕木式信号機、信号扱所やそこから信号機や分岐器へ伸びる何本ものワイヤーは、鉄道の要衝としての佇まいを漂わせる、鉄道好きには退屈しない場所であった。


 V字状ホームのエンパルメ・ロボス駅と、信号扱所から伸びるワイヤー
 Estación Empalme Lobos y Torre de enclavamiento perteneciente a la estación


 エンパルメ・ロボス駅に入線する列車と、エンパルメ・ロボスとカニュエラス間の車窓
 Tren de pasajeros acercándose a la estación Empalme Lobos y Paisaje entre Empalme Lobos y Cañuelas

 15時31分にカニュエラスから来た列車でエンパルメ・ロボスを離れ、再びロボスに着き、折り返し16時11分発のカニュエラス行きに乗る。列車は広大な畑や牧草地の中をゆっくりと走り、やがてバイア・ブランカ方面からの線路と合流すると10分の遅れで17時36分にカニュエラスに到着した。ここから先のブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)までの区間は2年前にバイア・ブランカ行きの列車で乗車済みである。カニュエラスで接続予定の17時28分発エセイサ行きに乗れるか気を揉んたが、ロボスから乗ってきたこの列車がそのままエセイサ行きになり、エセイサからは国鉄ロカ線の電車に乗り換え、19時19分、プラサ・コンスティトゥシオン駅に戻ってきた。

12月2日:ブエノスアイレス(オンセ)→アエド→テンペルレイ→ボスケス→グティエレス→ボスケス→ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)に乗車

 私は旅行中ほぼ毎日早起きである。12月2日金曜日、朝6時に起床し、朝7時過ぎにはブエノスアイレスのオンセ駅に行く。7時21分発の国鉄サルミエント線モレノ行き電車に乗り、7時56分にアエド駅に到着。ここで乗り換えて、テンペルレイという所まで行く26kmの路線に乗るのが次なる目標であるが、昨日訪れたDr. アントニオ・サエンス駅と並んでこの路線は乗るのに「覚悟がいる」場所である。YouTubeで "El tren más PICANTE" と検索するとこの路線についての動画が数本現れる。picanteはスペイン語で「(食べ物が)辛い」という意味だが、俗語で「危ない」とか「ヤバい」という意味もあり、例えばビシャ・ピカンテ villa picante というとアルゼンチンの治安の悪いスラム街を指しており、"El tren más PICANTE" は「最も危ない列車」になる。この路線はブエノスアイレスの中でも貧しい人達が住む地域を通っていて途中にはビシャ(スラム街)もある。線路用地には不法に作られたバラックが列車ギリギリまで建ち、柵を設けても破壊され、生活排水で軌道の土やバラストは流れ、沿線の子ども達は列車めがけて石を投げるなど、列車運行には支障だらけである。そのため安全上の理由から2019年10月24には旅客列車が一旦休止となったが、その後多少の線路の改善が行われたのか2021年4月13日に運転が再開され、現在1日7往復の列車が運行されている。

 8時7分にテンペルレイからの一番列車がアエド駅に到着。これが折り返し列車となるが、駅ホームにはスクラップを詰めた大きな袋や段ボールの束を置いて列車を待っている数人の男達がいて、列車が入線するとそれらの荷物を客車の一角(本来は自転車を持ち込むスペースで、ブエノスアイレスの近郊列車の大部分には車内に自転車置き場がある)に積み込んでいる。彼等はカルトネロ cartonero(=ボール紙運び屋)と呼ばれていて、町中で集めてきたスクラップや段ボールを列車に乗せて運び、寄せ屋(スクラップ業者)やリサイクル業者へ売っては僅かな日銭を稼いでいる。かつてはブエノスアイレスの近郊列車のいくつかの路線の列車にはカルトネロ専用の列車があり、それらはトレン・カルトネロ Tren cartonero またはトレン・ブランコ Tren blanco と呼ばれていて、2016年までに徐々に廃止されたことになっているが、この路線では非公式な形でカルトネロ達が列車を利用している。


 ブエノスアイレスのオンセ駅と、アエド駅に入線するテンペルレイ行き列車 アエド駅のホームではスクラップや段ボールの大きな袋を持ったカルトネロ達が列車を待っている
 Estación Once y Tren de pasajeros Temperley - Haedo acercándose a la estación Haedo donde los cartoneros esperan este tren

 8時22分、ディーゼル機関車に客車3両の列車はアエドを出発。乗客は各車両に10人ずつ位で車掌も居て、時間的にも一番安全そうな頃合いを選んで来たこともあり、車内にさほど危なそうな雰囲気はない。投石対策で客車の窓はガラスからアクリル板に変えられている。でもさすがにカメラを取り出すのは止めて、この目でしっかりと車窓を見ることとした。線路は複線だが片方しか使っていないようで、列車は危なっかしそうな軌道上の線路を左右に揺れながらゆっくりと走り、7〜8分毎に途中駅に停まる。途中駅は全て無人駅のようで改札口もない。ブエノスアイレスの近郊列車に乗る時はスーベ SUBE と呼ばれる鉄道(地下鉄を含む)バス共通の交通系ICカードの利用が一般的で、駅では自動改札口にスーベをタッチすると回転バーが回せるようになっている方式だが、無人駅や駅員がいる駅でも一部では、JR東日本の無人駅にある簡易Suica改札機のように改札がなく乗客が自主的にスーベを機械にタッチする方式になっている。そういう駅で降りる客を見ていると8割方の客は機械にタッチをせず駅を離れて行く。どうもブエノスアイレスの近郊列車にはタダ乗りが多いような気がする。駅ホーム端から第三軌条方式の線路に直接降りて駅を出て行く剛の者まで私は見たことがある。運賃表には無札客への罰金も記されているが、ブエノスアイレスの近郊列車の車内で私は一度も車内改札を見たことが無い。いわんや、このアエド〜テンペルレイ路線の途中駅にはスーべをタッチ機械すら設置されておらず、降車客は駅のホームからそのまま出て行くし、乗車客に車掌が車内券を売る気配もない。運賃表にはアエド〜テンペルレイ間はスーベで14.25ペソ(12円)、現金で34ペソ(29円)とあるが、果たしてこの列車内でどれだけの客が運賃を払っているのか?、アエド駅の簡易機械にスーべをタッチして運賃を払った律儀者はもしかして私だけ?のような気がしてきた。列車はアグスティン・デ・エリア駅でベルグラーノ南線をアンダークロスし、マタンサ川の鉄橋を渡った辺りから線路両側にバラックが立ち並ぶようになる。バラックは列車の通行には妨げにならない程度に離れているが、線路敷はゴミだらけだ。9時12分、km34という駅に停車。ここでアエドから乗っていたカルトネロ達は荷物を降ろして、荷車に乗せかえている。駅周囲には寄せ屋(スクラップ業者)やリサイクル業者がいくつもあり、そこへ持っていき僅かな収入を得るのだろう。km34を出ると線路の東側にはビシャ・アルベルティーナというスラム街が広がる。次のフアンXXIII駅手前辺りから車窓右手はやっと家並みが途切れ湿地が広がり、また家並みが増えると列車は左に大きくカーブし、9時42分、終点のテンペルレイに無事到着。26kmに1時間20分かかる表定速度19.5km/hの列車であった。なお私は沿線の途中の写真は撮りませんでしたが、この路線についてはアルゼンチンの新聞「ラ・ナシオン La Nación」電子版2022年4月29日号に「"Sin el tren no comemos" El recorrido que podría desaparecer por el avance de las villas sobre las vías」という題名で記事があり、沿線の動画や写真も見れます。


 テンペルレイ駅に到着した列車
 Llegada a la estación Temperley

 テンペルレイからも引き続き、ブエノスアイレス近郊路線の乗りつぶしを続ける。9時49分に来るはずの国鉄ロカ線ボスケス行き電車は10分程遅れてテンペルレイに来た。列車ダイヤが乱れている上に、この駅は5面9線もあって、また駅の南側で(先程乗ったアエド方面の線路も含めて)線路は4方向に別れるので乗り間違いしないか心配だったが、乗った電車は幸いテンペルレイを出ると大きく左にカーブしてボスケス方面へ向かう。車内は菓子や文房具の物売りが多く、物売りによっては勝手に客の膝の上に売り物を置いていくが、買う気がなければ義理立て無用で、殆どの乗客は1〜2分後にさっきの物売りがまた回って来た時に返している。聖書の一節とイラストを書いたような小さな紙を何枚も持った男が乗客に一枚ずつ渡しながら回っているが、これは寄付か物乞いのようなもので、その気がなければ先程同様に後で紙を返せばよい。10時25分、ボスケスに到着。駅前に出てみると、この辺りも近郊の住宅街とは言え、ブエノスアイレス市の中心街とは異なり緑の木々の間に平屋建ての住宅が並ぶ落ち着いた雰囲気だ。ここからフアン・マリア・グティエレス(一般的にはグティエレスと略される)まで4kmの非電化の盲腸線が伸びていて、私はそれに乗り換える。ボスケス駅の東側でベラサテギ方面の電車線は左にカーブして北へ、グティエレス方面は直進して東へ伸びているので、線路配置を考えるとグティエレス方面は南側の線路から発車するものと思い込んでいたが、先程乗ってきた電車が駅舎に接した一番南側の線路に止まったままで、グティエレス行きがどこから出るのか分からない。駅舎の掲示パネルもテンペルレイ方面とベラサテギ方面電車の発車時刻しか表示されない。果たしてグティエレス行きに乗れるのか不安になったが、駅の周りを一周してみることとし、駅西側の踏切を渡って駅舎があるのとは反対の北側を線路に沿って歩くと、屋根付きの小さな入口があって「グティエレス行き列車 Trenes a Gutiérrez」と表示があり、その先に短いホームがあった。待っていると、11時7分に西方からディーゼル機関車牽引のグティエレス発列車がゆっくりと近づき、渡り線で複線の電車線を跨いで短いホームに到着。これが折り返し11時14分発のグティエレス行きで、ディーゼル機関車は直ちに機回しされ、列車は3両の客車に十数人の僅かな客を乗せて11時18分に発車した。列車は電車線を跨いで、東へ直進する。かつてはグティエレスの先も列車が走り、ビシャ・エリサという所でラ・プラタ方面への路線に合流していたが1995年に廃止され、今は僅か4kmの盲腸線を一編成の列車が1時間毎に振り子のように往復するだけだが、かつての名残なのか線路は複線だ。車窓は工場や住宅が散在した殺風景な所で、間もなく11時31分に終点グティエレスに到着。再びディーゼル機関車は機回しされ、11時44分にグティエレスを出発し、11時58分にボスケスへ戻る。この盲腸線を列車は一日19往復しているので、このディーゼル機関車はボスケスとグティエレスで合わせて一日38回も機回しをしていることになり、御苦労さんと言いたくなる。


 ボスケス駅のグティエレス行き乗り場と、グティエレス駅
 Entrada a trenes a J.M.Gutiérrez en la estación Bosques y Estación J.M.Gutiérrez

 ボスケスからベラサテギ経由プラサ・コンスティトゥシオン行き電車に乗り、13時30分過ぎにプラサ・コンスティトゥシオン到着。この1日半でまずまずの乗車成果を上げた感じで、気分は良い。いつも慌ただしい鉄道旅行だが、せっかく日本から地球の裏側まで来たので、たまにはゆっくりと昼食をとる。夕方にブエノスアイレス市内にあるホルヘ・ニューベリー空港(通称アエロパルケ)へ行きメンドサ行き国内線に搭乗予定だが、19時5分出発予定が遅れ、離陸したのは20時31分で、メンドサ空港に着陸し、メンドサのホテルに到着した時には23時を過ぎていた。

12月3日:メトロトランビア全線乗車、メンドサ(アルゼンチン)→ロス・アンデス(チリ)へバスで陸路国境越え


 アルゼンチン・メンドサ州およびチリ中部の地図

 メンドサ(またはメンドーサ)はアルゼンチン西部にあるメンドサ州の州都で、上質なワインの産地として有名である。メンドサ近郊のボデガ(ワイナリー)を巡るツアーや、メンドサの西に聳える南米最高峰のアコンカグアなどのアンデス山脈見学など、観光の拠点となる場所であるが、初めてメンドサを訪れたにも関わらず私がここで観光に費やすことのできる時間は、本日夜明けから午前10時発のサンティアゴ行き国際バスに乗るまでの僅か約4時間で、我ながら慌ただしいにも程があると詰りたくなるスケジュールである。その貴重な時間で私が成すことは、メンドサ市内唯一の旅客営業鉄道である、メトロトランビアと呼ばれるライトレールの全17kmの乗車である。

 昨晩の飛行機の遅れのせいでホテルで眠れたのは5時間位だが、気合いを入れて、まだ夜明け前で暗いメンドサの街中を歩きメトロトランビアの停留所に向かう。7〜8分歩いた所にベルグラーノという停留所があり、5時57分にここを通る北行の一番電車に乗る。6時15分に終点のアベジャネーダに着いた時には丁度日の出で明るくなってきており、目論み通り明るい時間帯に全線を乗ることができる。メトロトランビアは右側通行の複線なので、到着ホームから電車は一旦停留所の北側引き上げ線を経て出発ホームに移動し、定刻の6時20分に折り返しの南行の一番電車となって出発した。メトロトランビアは旧アルゼンチン国鉄サン・マルティン将軍鉄道(軌間1676mm)が廃線になった区間の一部(メンドサ市内中心部では軌間1000mmの旧ベルグラーノ将軍鉄道も乗り入れて三線軌条の区間もあった)を1435mmに改軌し、電化整備を行い2012年に一部が開業、2019年に全17kmに延長されて現在に至っている。路線の殆どは専用軌道だが、市内中心部の一部は併用軌道となっている。2両編成の電車は停留所に停まる毎に乗客が増え、併用軌道が始まるメンドサ駅、先程乗ったベルグラーノ停留所、併用軌道が終わるペドロ・モリーナ停留所を通り、中心街から郊外へとに出て、やや家並みが疎らになると7時6分に終点のグティエレスに到着。グティエレスの駅舎はライトレールに似つかわしくない古いレンガ造りで、ブエノスアイレスへの長距離列車が走っていた旧サン・マルティン将軍鉄道時代を思わせる。


 メトロトランビアのアベジャネーダ停留所と、グティエレス駅 車両はシーメンス社1995年製SD-100形連接式電車
 Parador Avellaneda y Estación Gutiérrez del Metrotranvía de Mendoza

 折り返し電車でメンドサ中心部へ戻り、メンドサ駅を見学し、朝食、ホテルのチェックアウトを済ませるともう9時である。タクシーでメンドサのバスターミナルへ行く。両替所でチリ・ペソを手に入れ、チリのサンティアゴ行きの国際バスに乗るためバス会社の窓口に並んでパスポートやワクチン証明書のチェックを受けるともう9時45分、乗り込んだバスは二階建てで10時過ぎに発車した。20日前にネットで予約購入したバスの私の席は二階の最前列という、景色を見るのに最上の席である。


 バスはアンデス山脈を目指して平原地帯を走る
 Ómnibus Mendoza - Santiago de Chile circula por la planicie mendozina dirigiendose a la cordillera de los Andes

 ところが平原地帯が終わりアンデス山脈のアップダウンの多い道に入ると、登り坂でバスのスピードが異様に落ちる。登り坂だから〜の程度では済まない程の徐行になり、運転手は時々停車してエンジンをかけ直すがよくならない。ウスパジャタという町の道端に停車すると運転手はエンジンを調べたり、携帯でどこかに電話していた末にまた出発するが、バスはメンドサ川沿いのアンデス山脈の渓谷に入ると登り坂では歩くような速度まで落ちて、13時半過ぎについに運転を断念して近くの小さな村の駐車場にバスを止めてしまった。メンドサから替わりのバスを呼んだらしく、3時間は待ちぼうけだろう。幸い駐車場の向かいに小さな食堂があり、のんびり昼食をとる。


 バスはメンドサ川沿いのアンデス山脈の渓谷を走る 車窓からはかつてのアンデス横断鉄道の廃線跡が見える
 Vista del valle del río Mendoza. Se puede observar un puente del antiguo ferrocarril transandino.


 乗ってきたバスは故障で村の駐車場に止まる
 Avería del ómnibus

 メンドサを13時に出た後続便のバスが15時40分頃にここを通り、数人なら乗れるとのことだが、二階最前列の席を放棄したくないので辞退する。替わりのバスは16時半過ぎに来た。空車で来たバスなので、前と同じ二階最前列の席を確保できて出発。今度は登り坂も何の支障もなくすいすいと走り、やがて右手車窓に一瞬アコンカグアが見える。


 アンデス山脈の中を走る
 Circulando en la cordillera de los Andes

 アルゼンチンの国境検問所は停まらず通過し、17時28分に国境のクリスト・レデントール国際トンネル(全長3080m、標高約3200m)に入る。


 国境のアルゼンチン側のラス・クエバス村と、クリスト・レデントール国際トンネルの入口
 El pueblo Las Cuevas próximo al límite internacional y El túnel internacional del Cristo Redentor

 トンネルを抜けてチリ側に入ると、17時37分にチリの国境検問所に到着した。


 チリの国境検問所の建物と、チリ側のつづら折りの坂道
 Complejo fronterizo Los Libertadores en Chile y Herradura de Los Caracoles

 入管の係員達はラテンアメリカらしく同僚とずっとお喋りしていて30分位待たされたが、入国審査も税関も無事通過し、18時50分頃にバスは出発。つづら折りの坂道をバスは慎重に走って山を下り、フンカル川沿いの道路を順調に走り、20時過ぎにロス・アンデスのバス停でバスを降りる。予定より約4時間の遅れだが、無事にアンデス山脈を越えてほっとである。

12月4日:ゴンドラ・カリール(ロス・アンデス―リオ・ブランコ)に往復乗車

 今回の旅行で隣国チリまで足を伸ばした最大の理由は、ここロス・アンデスから出る「ゴンドラ・カリール Góndola Carril」に乗車できることである。ゴンドラ・カリールは直訳すると「線路のゴンドラ」となるが、これはかつてアルゼンチンのメンドサとチリのロス・アンデスを結んでいたアンデス横断鉄道のチリ側の一部で今も運行している観光列車の愛称である。アンデス横断鉄道は1910年の開業でメンドサ〜ロス・アンデス間は248km。険しいアンデス山脈に分け入り、チリ側の一部の区間ではアプト式ラック鉄道となっており、また両国国境を貫くトンネルの標高はそれぞれアルゼンチン側出口3188m、トンネル内最高地点3205m、チリ側出口3177mである。かつてはアルゼンチンとチリを結ぶ重要な交通路で、チリ側はほぼ全線の電化もされたが、やがて道路交通に取って代わられて1979年に旅客列車が廃止され、1984年には貨物列車も廃止された。その後アルゼンチン、チリの両側で何か所も線路沿いの土砂崩れや雪崩が発生するも補修されずほぼ廃線となっているが、チリ側のロス・アンデス〜リオ・ブランコ間34kmのみは、リオ・ブランコ近くのサラディージョという所にあるアンディーナ銅山からの銅の運搬に貨物列車が運行されている。この「生きている」線路を利用して2017年頃より不定期に観光列車が運転されていて、2020年中頃に一旦運休になったが、2022年9月より再開されて1〜2週毎の日曜日にロス・アンデス〜リオ・ブランコ間を一往復している。列車は一両編成で全席指定の定員28名と僅かであり、チリ国鉄の専用サイトで往復のツアーとして料金45000チリ・ペソ(6700円)で予約購入できるが、私の場合どのクレジットカードを使っても決済が通らない(外国のサイトではよくあること)ので、一ヶ月前にメールで事情を説明して、乗車当日に現金払いの条件で一席を確保してもらっている。

 12月4日日曜日、午前10時にロス・アンデスの指示された乗り場へ行く。乗り場は駅ではなく車庫兼操車場だが、車庫には古い蒸気機関車や気動車、客車、除雪車が保存されていてる。10時過ぎになるとこれから乗るゴンドラ・カリールが扇形庫から現れ、転車台に乗ると職員が手で押して回転させている〜と鉄道好きには退屈しない光景である。本日乗るゴンドラ・カリールは強いて言えば「気動車」だが、元々は(道路を走る)バスとして作られたもので、1926年米国Yellow Truck & Coach Manufacturing Company(後にゼネラルモーターズ社に吸収される)製。中古としてチリに輸出された後に鉄道車両に改造され、1950年代よりアンデス横断鉄道に投入されている。1998年にはチリ政府によって歴史的有形物に指定されている。「観光列車」の類いは国内外を問わず私はあまり好きではないのだが、この車歴96年の古兵は例外で、地球の裏側まで赴いてでも乗らずにはおれない代物である。


 ロス・アンデス駅の車庫に保存されている蒸気機関車(1908年イギリス製)や気動車(1955年スイス製)と、転車台で回転中のゴンドラ・カリール
 Se conservan una antigua locomotora a vapor (construida en Inglaterra en el año 1908) y un automotor diésel (construido en Suiza en el año 1955) en ex maestranza de los Andes, y Góndola Carril en la mesa giratoria.


 ゴンドラ・カリールは1926年製 元はバスとして作られたので乗降口は右側にしかない 車体にはチリ・アンデス横断鉄道(FC Transandino de Chile)と記されている
 La Góndola Carril, que fue construido en el año 1926, fue originalmente un vehículo de calle y reconvertida y se le instaló el sistema de ruedas ferroviarias. Se indica "FC Transandino de Chile" en la caja.

 満員の観光客を乗せたゴンドラ・カリールは10時54分にロス・アンデスの操車場を出発。市内を抜けると畑だったり川沿いだったりののどかな風景が車窓に流れる。11時29分ビルクージャ着。山に囲まれた小さな駅だが列車交換駅となっていて、しばらくすると銅鉱石を運ぶ貨物列車と交換した。


 ビルクージャ駅と、列車交換で現れた銅鉱石を運ぶ貨物列車
 Estación Vilcuya y Tren de carga que transporta concentrado de cobre

 12時16分にビルクージャを出ると、やがて側を流れるフンカル川の川幅は徐々に狭く、川の切れ込みは深くなり峡谷地帯となる。列車は2つのトンネルの間に架かる鉄橋上で12時42分に停車。ここはサルト・デ・ソルダード(兵士の跳躍)と呼ばれる場所で、地名の由来は、チリ独立戦争中の1814年にスペイン軍に追われた現地の独立軍の兵士がこの峡谷をジャンプして逃れたという伝説に基づく。周囲の散策のため15分程停車するとのことで列車を降りると、橋の下は両側を絶壁に挟まれた深い谷で、谷底を流れる川まで数十メートルはあろう。周囲で歩けるのは線路上くらいで、カーブするトンネルを抜けた先まで行ってみると遠くに鉄橋と停車中の列車が見えて絶景である。


 サルト・デ・ソルダード峡谷に引かれた線路
 La vía en el Salto del Soldado


 サルト・デ・ソルダード峡谷の橋の上で停車中のゴンドラ・カリール(下にフンカル川が見える)と、トンネルを出るゴンドラ・カリール
 Góndola Carril en el puente cruzando sobre el Salto del Soldado (se puede observar el río Juncal abajo) y Góndola Carril saliendo del túnel

 再び出発し、やがて谷がやや開け集落が現れると13時18分、リオ・ブランコに到着した。リオ・ブランコは標高1420m、アンデスの山並みに囲まれた小さな村である。ここから東へはアンデス横断鉄道の廃線跡が伸び、西へ少し戻った所からはスイッチバックを登ってサラディージョのアンディーナ銅山へ伸びる貨物線がある。


 リオ・ブランコ駅
 Estación Río Blanco

 このツアー料金には昼食代が含まれていて、マイクロバスで4km東にあるレストランに送迎してもらい、エンパナーダと鶏肉のシチューを頂く。行きのマイクロバスで何となく会話した三人連れのチリ人(夫婦と高齢の父親)がレストランで相席を勧めてくれ親切である。彼らは日本での私の仕事は?家族は?何で一人で旅行してるんだ?と私の拙いスペイン語にも構わずに結構グイグイ聞いてくる。チリの女性はどう?なんて聞いてくるのはお互いに心を開いた会話になった気がしてちょっと嬉しい。帰りは16時38分にリオ・ブランコを出発し、途中のビルクージャで山に戻る貨物列車と再び交換し、18時29分に夕暮れのロス・アンデスに戻ってきた。昼食で一緒だったチリ人の自家用車でロス・アンデスのバスターミナルまで送ってもらい、19時に出るサンティアゴ行きバスに間に合い、20時40分頃に首都サンティアゴのバスターミナルへ到着した。今晩はバスターミナル内にあるホテルに泊まる。


 リオ・ブランコからの帰途の車窓と、ロス・アンデスのバスターミナル隣にある旧ロス・アンデス駅舎
 Paisaje entre Río Blanco y Vilcuya y ex Estación Los Andes

 (なお、この約半年後の2023年6月23日の大雨と洪水により沿線の複数箇所で崖崩れや路盤流出を起こし、ゴンドラ・カリールは運休となったが、2024年1月に復旧して運転が再開されている。)

12月5日:リマチェ→バルパライソに乗車、およびバルパライソのアセンソール(ケーブルカー)6箇所乗車

 12月5日月曜日、本日のスケジュールで確定しているのは、夜22時55分サンティアゴ国際空港発の飛行機でブエノスアイレスに向かうことだけである。連日のハードスケジュールであり、疲れていたらチェックアウト時間ギリギリまで寝てようかと思っていたが、朝7時に目が覚めて体調も良い。8時50分発のリマチェ行きバスに乗り、11時10分頃にリマチェに到着。ここからバルパライソ市内のプエルト駅までの43kmをチリ国鉄の電車が走っていて、平日昼間は約12分毎の運行である。4両編成の電車はほぼ満席になり11時26分にリマチェを出発。しばらく野原を走り、キルプエという町中を通り、暫し山の中を走り、ビニャ・デル・マール市内に入ると線路は地下区間となり、レクレオ駅の手前で地上に出ると車窓右側に太平洋が広がる〜と結構変化に富んだ車窓だ。バルパライソ市内に入り、終点プエルトの3つ手前のバロン駅で電車を降りる。


 リマチェ駅と、バロン駅 電車はアルストム社製
 Estación Limache y Estación Barón, Los trenes eléctricos fueron fabricados por la empresa Alstom.

 バルパライソは山の斜面に出来た街と言ってよく、急な坂道や石段の両側には古い家々が並び、海に面した美しい街並みは2003年にユネスコの世界遺産に登録されている。私にとってリマチェ〜バルパライソの鉄道に乗ることと並んで、この世界遺産の街でしたいことは、いくつかある「アセンソール」に乗ることである。スペイン語のアセンソールを和訳するとエレベーターになるが、ここバルパライソでアセンソールと言うと急斜面の屋外でケーブルで繋がれた箱をウインチで巻いて上下する、要はケーブルカーのような乗り物を指す。但し各路線の長さは50m前後と短く、一方傾斜角度はどれも40度以上と急勾配で、最急勾配のアセンソールは角度70度(勾配2747‰)と垂直に近く、ケーブルカー(和名だと鋼索鉄道)と鉄道に分類するか屋外エレベーターと見做すか(斜行エレベーターと呼ぶのが正しいのかな)、ともかく面白そうな乗り物である。バルパライソ最初のアセンソールは1883年に開業で、坂の多いこの街ではかつて約30ヶ所にアセンソールがあったが、現在も運転しているのは6ヶ所のみである。

 まず最初に乗るのはバロン駅近くにあるアセンソール・バロンである。傾斜角度は59度らしく、乗ってみるとバルパライソの街並みと海が一望出来て絶景である。バロン駅に戻り、再び国鉄電車に乗って終点のプエルトで降りる。これでリマチェ〜プエルト間完乗である。


 アセンソール・バロン(1909年開業)と、プエルト駅駅舎
 Ascensor Barón (inaugurado 1909) y Edificio de la estación Puerto de la ciudad de Valparaíso

 プエルト駅前のソトマヨール広場にはチリ海軍総司令部の建物が立ちはだかり、その後ろにはバラパライソ高等裁判所の石造りの建物があり、その左脇にあるビルの中にアセンソール・エル・ペラルの入口がある。これに乗って上まで行くと、目の前には1916年に建てられたパブリッツァ宮殿と呼ばれる豪邸があり、一方の眼下にはバラパライソ港が一望でき、軍艦も見える。高等裁判所の前まで戻り、その右脇の登り坂を西へ200m程歩くと、2つの建物の間の狭い隙間にアセンソール・サン・アグスティンの入口がひっそりとある。料金所のテレビは折しもサッカーワールドカップの日本対クロアチアを生中継していて、料金所のおじさんとアセンソールが来るまでひとときテレビを見る。アセンソールに乗って上まで行き、出口から小道を北東に200m程歩くと、アセンソール・コルディジェーラの乗り場がある。このアセンソールの勾配は角度70度もある。これに乗って丘を下りて市街地中心部に戻り、ソトマヨール広場を過ぎて南東に200m程歩くとアセンソール・コンセプシオンの乗り場があるが、数ヶ月前から運休中である。更に200m程先に進みアニバル・ピント小広場で右に曲がり少し歩くとアセンソール・レイナ・ビクトリアの乗り場がある。レイナ・ビクトリアとはイギリス女王ヴィクトリアのことで、彼女が崩御した1901年の翌年に建造され、翌々1903年に開業した時にこのアセンソールをレイナ・ビクトリアと称することにしたとのこと。このアセンソールは全長40mと現役のアセンソールの中でも最も短い。これに乗って上まで行ったあたりは狭い路地の両側にレストランなどが並ぶ観光地となっていた。アニバル・ピント小広場に戻って、ここからチリ国内では現存する唯一のトロリーバスに乗って市内東部へ移動し、アセンソール・ポランコの入口で行く。


 アセンソール・エル・ペラル(1901年開業)と、アセンソール・サン・アグスティン(1913年開業)
 Ascensor El Peral (inaugurado 1901) y Ascensor San Agustín (inaugurado 1913)


 アセンソール・コルディジェーラ(1886年開業)と、アセンソール・レイナ・ビクトリア(1903年開業)
 Ascensor Cordillera (inaugurado 1886) y Ascensor Reina Victoria (inaugurado 1903)

 バラパライソのアセンソールの中で、このアセンソール・ポランコのみが屋内を垂直に上下する、即ち一般的なエレベーターに相当する乗り物である。斜面に空いた入口から150m程歩くと地下乗り場がある。今迄乗ったアセンソールでは下の乗り場に料金所があって係員一人、上の乗り場は機械操作の係員一人で、アセンソール車内は乗客のみだが、ここアセンソール・ポランコはエレベーター内に操作係が一人乗っている。エレベーターは地上階で一旦止まり、更に塔を上って頂上階まで行く。60m昇った頂上階からは空中に通路があって、斜面の上の住宅地へ繋がっている。


 アセンソール・ポランコ(1916年開業)の入り口と、頂上階からの眺め
 Entrada a la Ascensor Polanco (inaugurado 1916) y la vista panorámica de la ciudad desde la parada en la zona más alta de la torre

 これで現在運転中のアセンソール6ヶ所を完乗した(但しこの数ヶ月後にアセンソール・コンセプシオンが運転再開したので、私のアセンソール完乗記録は潰えた3))。バラパライソのバスターミナルを17時20分に出るバスに乗ってサンティアゴに戻り、22時55分サンティアゴ国際空港発のアルゼンチン航空便でブエノスアイレスに向かった。

12月6日:世界の果て号(世界の果て駅―国立公園駅)に往復乗車

 12月6日火曜日、夜中0時50分にブエノスアイレス・ホルヘ・ニューベリー空港に到着しアルゼンチンに再入国。5時発のウシュアイア行きアルゼンチン航空便まで暫く時間があり、空港内のベンチで時を過ごす。私同様にベンチで夜を明かす乗客は周りに結構いるので深夜でも危険な感じはないが、それでも私は一睡もしなかった。ほぼ定刻に出発したウシュアイア行きフライトは南部パタゴニアに入ると山頂に雪を抱き荒涼とした山々の上を飛び、8時27分にウシュアイア空港に着陸。空港の外に出ると寒い!、季節は夏なのにおそらく気温10度以下で、持参した冬用コートを着込む。


 ウシュアイアの町を着陸直前の飛行機より望む
 Vista de la ciudad Ushuaia desde un avión

 南米大陸の南のフエゴ島にあるウシュアイアは、ブエノスアイレスから約2300km南に位置するアルゼンチン最南端の都市であり、また南極大陸まで約1200kmと世界中で南極大陸に最も近い都市でもある。そのためフエゴ島国立公園や郊外にある氷河、ペンギンが生息するビーグル水道、更には南極訪問までウシュアイアは観光の基地となる町である。そんな世界の果ての町まで遥々と私が来た目的は唯一つ、世界最南端の鉄道である「南フエゴ鉄道 Ferrocarril Austral Fueguino」に乗ることである。19世紀末よりウシュアイアは流刑地となっていて、囚人達が監獄周囲で伐採した木を運搬するためにこの鉄道は建設され、最初の区間は1902年に完成している。その後軌間600mmで路線は延長されたが、1947年に監獄は廃止され、また1949年に起きた大地震で多くの箇所が寸断され1952年に鉄道は廃止されていた。しかし1990年代初めに観光鉄道として線路の一部の復旧が始まり線路は500mmに改軌され、1994年に復活開業している。列車は "El Tren del Fin del Mundo" と呼ばれ(日本語では「世界の果て号」と訳される)、観光列車としてウシュアイア郊外の「世界の果て駅 Estación Fin del Mundo」から「国立公園駅 Estación Parque Nacional」まで約7kmを現在は1日1〜2往復している。世界の果て号は予約定員制で、運営会社のウェブサイトで購入可能である。一番安いクラセ・トゥリスタが往復46.71米ドル(6270円)で、加えて国立公園入園料3200ペソ(2750円)を現地で払わなければならない。12時の発車まで時間があるので、博物館として公開されている元監獄などを見学し、その後バスでウシュアイア中心部より8km西にある「世界の果て駅」へ向かう。メールで送られて来た予約済み領収書を切符売り場で見せて乗車券に引き換えて貰い、国立公園入園料を支払い、駅舎内の待合室に入ると中は内外の観光客で一杯だ。かつてはこの駅舎内にプラットフォームがあったが、現在は列車の長編成化に伴ってプラットフォームは屋外にある。列車はガーラット式蒸気機関車(重油炊き)に客車9両で、軌間500mmという超狭軌なので客車には通路が無く、各車両に4つある扉からそれぞれ入るボックスシートの4人室(一部2人室)になっている。


 世界の果て駅と、発車を待つ「世界の果て号」
 Estación del Fin del Mundo y Tren de pasajeros "Tren del Fin del Mundo" parado en la estación

 列車はほぼ満席の観光客を乗せて12時13分世界の果て駅を出発。時速10km位でゆっくりと進む。個人的には観光列車の類いは好きではないのだが、車窓に広がる川沿いの荒涼とした原野と、その向こうに聳える雄大な雪山は正に絶景で、車窓に釘付けにならざるを得ない。12時29分に唯一の中間駅であるマカレナ駅に到着、15分程停車する。少し坂道を登った所にマカレナの滝という小さな滝がある。


 マカレナ駅
 Estación Macarena

 再び発車すると、列車は国立公園内に入る。線路の回りには昔、囚人達が伐採した木の切り株が多数残っている。13時15分、森の中の国立公園駅着。ここで半分以上の乗客は国立公園を巡るツアー車に乗り換えて行った。私はそのまま折り返し列車で世界の果て駅に14時4分に戻り、ウシュアイア市内で昼食を取り、折角ここまで来て日帰りで去る観光客はもしかして私くらいかもと思いながらも、19時10分発のアルゼンチン航空便でブエノスアイレスへ帰った。ブエノスアイレスに到着し、ホテルにチェックインした時には23時半頃であったが、ホテル近くのレストランに行き遅い夕食をとる。アルゼンチンのレストランは夜は20時開店という所が多く、私には宵っ張りだなぁと不便に感じることもあるのだが、その分夜中の1時くらいまではやっているので、今日みたいな日は重宝する。


 マカレナ駅〜国立公園駅間の車窓と、終点の国立公園駅 国立公園駅では機関車の機回しが行われる
 Paisaje entre Macarena y Parque Nacional y Estación final Parque Nacional

12月7日:ブエノスアイレス(レティーロ)→ベルグラーノ R→バルトロメ・ミトレ‥‥マイプ→デルタ‥‥ティグレ→ブエノスアイレス(レティーロ)に乗車

 12月7日水曜日、本日は今晩22時20分発の飛行機で帰国の途につく予定である。昨日訪れたウシュアイアはせめて一泊して、本日の午後にブエノスアイレスに着くフライトの2便のどちらかに乗って戻り帰国便に当日乗継という手も考えたが、自然条件の厳しいウシュアイアからのフライトの欠航または遅延のため帰国便に間に合わないというリスクを考えると、そこまで危ない旅程は組めなかった。

 たまには寝坊をして、ブエノスアイレス市内を散歩して、土産物を買って、ゆっくり昼食をとったらもう13時だが、ブエノスアイレス北部に路線網がある国鉄ミトレ線(線群)の乗り残しを完乗するのに余裕の空き時間である。2年ぶりにブエノスアイレスのレティーロ駅へ行く。レティーロ13時37分発ホセ・レオン・スアレス行き電車に乗り、13時56分にベルグラーノ R(Rはロサリオ方面への路線という意味)で降り、ここを始発とするバルトロメ・ミトレ行き電車に乗り換え14時12分に発車。私にとってここからが未乗区間である。電車は各車両数人しか乗っていない。沿線は住宅街だが、線路の両脇にはかつて防風林として植林されたと思われる木々が並んでいて趣がある。電車は木立の中を7km走って終点のバルトロメ・ミトレに14時30分着。駅のホームは木々に覆われていた。


 ミトレ線ベルグラーノ R駅と、バルトロメ・ミトレ駅
 Estación Belgrano R y Estación Bartolomé Mitre de la Línea Mitre

 この駅の連絡通路で大通りをオーバークロスし先へ進むと、トレン・デ・ラ・コスタ(沿岸列車)と呼ばれる鉄道のマイプ駅が現れる。トレン・デ・ラ・コスタははマイプ駅とデルタ駅を結ぶ15kmのアルゼンチン国鉄の一路線だが、ラプラタ川の近くを走り、終点のデルタ駅のあるティグレ市はクルージングの拠点で遊園地やカジノもあるリゾート地である。そのため旧アルゼンチン国鉄が民営化されていた時代の1995年に休止路線を軌間1676mmから1435mmに改軌して私鉄として復活開業し、各駅構内にはカフェを、一部の駅前にはショッピングセンターを開業して国内外の観光客を集めるリゾート鉄道として運営されていた。しかしその後の経済の落ち込みで商業施設は閉鎖が続き、トレン・デ・ラ・コスタも利用客が減少して経営状況が悪化したため、2013年に国有化されてアルゼンチン国鉄の路線となっている。ライトレールの趣きの電車は30分毎に運転されていて、私が乗ったデルタ行きは14時50分に発車した。3つ目のフアン・アンコレーナ駅付近では右手遠くに海ともつかぬラプラタ川の沿岸が見えるが、トレン・デ・ラ・コスタと名乗るほど沿岸が間近に見える訳ではない。一部の駅舎では駅ホームに椅子とテーブルを並べたカフェが営業しているが、電車の乗客は殆どが地元客といった感じで普通のブエノスアイレス近郊電車にしか見えない。電車はヨットハーバーや豪邸が並ぶ運河沿いを通り、15時19分に終点のデルタに到着した。


 トレン・デ・ラ・コスタのマイプ駅と、デルタ駅
 Estación Maipú y Estación Delta del Tren de la Costa

 ここからお洒落な店や観光船乗り場が並ぶ川沿いを10分程南へ歩くと、テーマパークの入園口のような駅舎のティグレ駅が現れる。ここからの列車にビクトリアまで乗れば国鉄ミトレ線(線群)の完乗である。レティーロ行きの電車は15時43分に発車、住宅街の中を4駅走り、2年前に乗ったカピシャ・デル・セニョールへの支線が右手から合流すると15時54分にビクトリアに停車。私が感慨に耽る間もなく電車は出発し、16時41分にレティーロに到着した。


 ミトレ線ティグレ駅の駅舎と、駅ホーム
 Exterior y Andenes de la estación Tigre

1) Trenes Argentinos(アルゼンチン国鉄)ウェブサイト, 2023 - Extensión y mejoras en servicios regionales.

2) Tiempo Argentino 電子版 (https://www.tiempoar.com.ar), 16 de octubre, 2022 - Trenes de larga distancia: alta demanda, mitos urbanos y el problema de la desinversión.
 Codigo Baires 電子版 (https://www.codigobaires.com.ar), 28 de noviembre, 2022 - Trenes Argentinos negó irregularidades en la venta de pasajes.

3) バルパライソのアセンソールの現在の運行の有無は、La agrupación de Usuarios y Usuarias de Ascensores de Valparaíso のここのウェブページで見れる。

 

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