アルゼンチン鉄道旅行第五回(2023年10月22日〜11月2日)


   アルゼンチン鉄道路線図(2023年11月時点)
  • 10月25日
    • ブラガード→アエド、およびパラナ→ホルヘ・メンデス→サルバドール・カプットに乗車
  • 10月26日
    • ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)→ラ・プラタ→オスピタル・サン・フアン・デ・ディオス→シルクンバラシオン‥‥ラ・プラタ→ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)に乗車
  • 10月27日〜10月28日
    • ブエノスアイレス(レティーロ)→パルミラに乗車
  • 10月29日
    • ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)→マル・デル・プラタに乗車
  • 10月30日
    • ディビサデロ・デ・ピナマール→ヘネラル・ギド→ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)に乗車


 ブエノスアイレス市および近郊の鉄道路線図(2023年11月時点、地下鉄は除く)
 ・赤線は今回の旅行で乗った路線
 ・黄緑線は前回までに乗車済みの路線
 ・紫線は未乗の路線

(文章中の為替レートは乗車当時のものです。この頃のアルゼンチンペソは政府が決める公定レートと、「ドラル・ブルー」と呼ばれる個人間売買のレートが3倍近く異なっていて、「ドラル・ブルー」の方が実勢を表しているのでそのレートで書きました。)

 前回2022年のアルゼンチン旅行ではブエノスアイレス近郊鉄道路線はかなり制覇したものの、肝心の長距離列車は指定席乗車券が入手できなかったため成果が上げられなかった。それから一年、2023年9月6日にアルゼンチン国鉄は長距離列車の翌10月乗車分の指定席乗車券の発売を開始していた。もし指定席券が入手できたらアルゼンチンへ行くのになあ〜とアルゼンチン国鉄ウェブサイトの予約ページの乗客情報の入力で、一年前と同様つまずいていた。予約には私が持っていないDNI(アルゼンチンの公的身分証明書)の番号とNro trámite(その身分証明書に別に記された11桁の番号)の入力が必須で、DNIに日本のパスポート番号、Nro trámiteに空欄または適当な11桁の数字ではエラーで次のステップへ進めないのだ。しかし私は諦めきれなかった。アルゼンチンのDNI番号は数字だけなのでそれに倣って、日本のパスポート番号の(頭のアルファベットを省き)数字だけを入力し、Nro trámiteは同じ数字を11桁並べるとか、1個だけ異なる数字+同じ数字10桁とか何十通り試していたら、ある時突然に予約が通ったのである。「虚仮の一念岩をも通す」である。次は決済手段のステップである。外国人の私はクレジットカード一択だが、これがメルカドリブレという中南米では有名なeマーケットプレイス経由の決済に指定されている。私は以前にメルカドリブレの会員登録はしていたが、最近メルカドリブレは決済時にGoogle Authenticatorという二段階認証を導入しており、このアプリのインストールや使い方の習得に手間取る。そうこうしている間にアルゼンチン国鉄サイト側の予約仮押さえが20分位でタイムアウトしてしまい、また最初の予約からやり直し、を繰り返した末にやっと決済に成功し、予約番号とセキュリティコードを記したメールが送られてきた。私は前々から温めてきた旅行スケジュールに沿って次々と長距離列車の座席を予約した。あとは列車の乗車72時間前から24時間前までの間に、この予約番号とセキュリティコードをウェブサイトに入力すると(または駅窓口で呈示して)、実際の指定席乗車券が発券される(ウェブサイト経由の場合は指定席乗車券のpdfがメールで送られる)。アルゼンチンへの往復航空券はスカイスキャナーというサイトで価格と便利さを天秤にして調べまくった上で購入。2023年10月22日に日本出発、11月2日に帰国と決まった。

2023年10月25日:ブラガード→アエド、およびパラナ→ホルヘ・メンデス→サルバドール・カプットに乗車

 日本の鉄道でも海外の鉄道でも、乗りつぶしなぞその路線を乗車すればどの列車に乗ってもいい、とは私は考えていない。列車の種別、すなわち豪華特急かローカル各駅停車かはあまり気にしない方であるが(時間が許せばもちろん後者が好き)、どの時間帯の列車に乗るかはこだわる方である。すなわち日没後から夜明けまでの景色が見えない夜間帯の乗りつぶしは避けたい。アルゼンチンなどでよくある1日から数日に1往復しかない列車では選びようがないが、昼間と夜間にそれぞれ列車があるなら極力昼間の列車に乗りたい。ブエノスアイレス(オンセ)からペウアホという所まで362kmを週1往復の列車が走っていてまだ未乗であるが、下りは金曜の20時55分発の土曜6時31分着、上りは日曜の20時30分発の月曜6時00分着と、ブエノスアイレス勤めの人が週末に郷里へ帰るのに便利なダイヤなのだろうが、これでは乗っても殆ど闇夜を眺めているだけである。この路線、途中のブラガードという所まで208kmを走る区間列車もあって、下りブエノスアイレス(オンセ)発は月水金曜の18時35分発でブラガード着23時46分、上りブラガード発は月曜の深夜2時30分発でブエノスアイレス(オンセ)着7時33分のと、水金曜の早朝5時30分発で10時30分着がある。水金曜の上り列車だけでも乗っておけば全線の57%は景色を眺めたことになる。末端のブラガード〜ペウアホ間は次回の楽しみに取っておくというのもいいかなと思う。

 10月22日に日本を出発し、一泊ストップオーバーしたドイツのフランクフルト滞在中に、10月25日水曜に乗車するブラガード発の予約済み列車のリコンファームをネットで済ませた(pdf乗車券のプリントアウトは泊まったホテルでしてもらった)。10月24日火曜日朝にブエノスアイレスに到着すると、明晩宿泊予定のホテルに大きな荷物は預けて小さなリュックサック一つの身軽になり、街中で両替をして、レティーロ駅に行って窓口で10月27日乗車の列車のリコンファームと発券をしてもらう。列車毎に乗車72時間前から24時間前までの間に予約済みの指定席乗車券のリコンファームをしないとならないのは旅先では面倒な作業だが、計画的に行って忘れないようにしなければならない。レティーロ駅の隣にあるバスターミナルを12時20分に出発する長距離バスに乗り、17時15分にブラガードのバスターミナルに着いた。日が暮れる前にブラガード駅の位置を確認がてら見学し、今晩はこの町のホテルに泊まる。


 ブラガード駅に留置されているブエノスアイレス(オンセ)行き列車 牽引機は中国製CKD8G型ディーゼル機関車で客車も中国製
 Tren de pasajeros con destino Buenos Aires (Once) parado en la estación Bragado, con la locomotora diésel eléctrica modero CKD8G

 10月25日水曜日、早朝5時にホテルを出発しブラガード駅に行く。駅には前日より留置されているブエノスアイレス(オンセ)行きがいて、列車はディーゼル機関車を先頭に、プルマン3両-食堂車-プリメラ5両-電源車の10両編成である。乗降口では車掌が身分証明書をチラッとチェックして、乗車券に印刷されたQRコードを読み取って完了である。


 ブラガード駅で発車前のブエノスアイレス(オンセ)行き152列車と、車内(写真はプルマンの座席)
 Tren de pasajeros Nro. 152 con destino Buenos Aires (Once) en la estación Bragado y Interior del coche pullman

 5時30分、まだ夜明け前のブラガードを152列車は定時で出発した。メチータ駅を発車してしばらくすると東の空が明るくなる。車窓は変哲もない草原だが、アルゼンチンの夜明けや日没時のこうした光景の美しさには何故かいつも車窓に釘付けになってしまう。6時56分、チビルコイに停車。乗車客が結構いて車内の座席の半分位が埋まった。食堂車へ行ってみる。運転時間わずか5時間の列車で食堂車が営業しているのは立派だが、提供しているのはコーヒーと菓子、パン、サンドイッチのみで、周りのアルゼンチン人に倣って私もアルファホール(ドゥルセ・デ・レチェと呼ばれるミルクジャムを2枚のクッキーで挟んだお菓子)とミルクコーヒーの朝食とした。


 メチータ〜アンドレス・バッカレッサ間の車窓と、チビルコイ駅
 Paisaje de amanecer entre Mechita y Andrés Vaccarezza y Estación Chivilcoy

 8時13分に停車したメルセデス駅から先はブエノスアイレス近郊区間に入り、各駅停車のみの駅を通過していく。9時23分に通過したモレノ駅からは電車区間で、9時32分に通過したメルロ駅から先は3年前に乗車済みである。概ね8分毎に走っている各駅停車の隙間を縫って走るので当列車の速度が落ちる。私は時計を睨みながら、今日のこれからの旅程を頭の中であれこれシュミレーションしていた。今日はこの後、飛行機でブエノスアイレスから約400km離れたエントレ・リオス州のパラナという所へ飛び、そこに離れ小島のような所で走っているローカル列車を往復乗車し、夕方の飛行機でブエノスアイレスに戻るという予定だが、そのスケジュールがあまりにも絶妙で華奢なのである。そのスケジュールとは左図のフローチャートの左端の矢印を下↓へ進むのだが、今乗っているブエノスアイレス(オンセ)行き列車の遅延、タクシーでの道路渋滞、空港の保安検査場の混雑、飛行機の遅延などのどれか一つにでも捕まってしまったら計画は完遂できないのだ。ましてやここは時刻の正確さを誇る日本ではなくラテンの国アルゼンチンである。日本の国内線飛行機だって到着が20〜30分位遅れるのはよくあることだが、今日はここでそれが起こっただけで旅程が狂ってしまう。そういうあらゆる想定外の可能性をシュミレーションして、左図のフローチャートを頭の中で考えていた。

 ブエノスアイレス(オンセ)行き列車は6分の遅れで10時2分、ブエノスアイレス近郊のアエド駅に到着した。ブエノスアイレスの国内線空港であるホルヘ・ニューベリー空港(通称アエロパルケ)へはこの駅で降りて行くより10時30分に到着する終点のオンセ駅から方が近いのだが、アエド駅から空港までは約23kmでほぼ高速道路で行けるのに対し、オンセ駅から空港までの約10kmは市内中心部の一般道路を行くことになる。アルゼンチン航空のウェブサイトに記されている「国内線搭乗客はアエロパルケ空港には60分前には現れること」は到底不可能だが、仮に遅くとも出発30分前の11時空港着を目標としたら、58分間で約23kmほぼ高速道路と、30分間で約10km市内中心部の一般道路なら前者の方が成功可能性が高いであろう。アエドは2年前にテンペルレイという所まで行く列車に乗り換えたことのある駅だが、今日はそんな思い出に浸る暇もない。駅前のタクシー乗り場に直行し、幸い止まっていた空車のタクシーに乗って空港へ行ってもらう。タクシー運転手には「高速道路を通って行って下さい、高速道路の料金は払うから」と伝え、タクシーは私が地図で確認していた通りの高速道路に入り6kmほど東へ順調に走り、インターチェンジで方向を北にして進むが、間もなく渋滞に嵌ってしまった。朝の10時過ぎに高速道路が渋滞することは予想外であった。タクシーは止まったり走ったりを何度も繰り返し、時間は刻々と過ぎて行く。やっと渋滞を抜けた時には既に10時55分、空港の車寄せは混雑していて中々入れないのでその手前で降ろしてもらったのが11時2分。首都の空港であり建物は結構横に長く、車寄せから空港内を出発階の2階へ上り、荷物は機内持ち込みだけなのでそのまま長いロビーを走りに走り、息を切らせて保安検査場に入ったのが11時7分。アルゼンチン航空は出発48時間前からウェブ上でチェックイン手続きが可能で、私は昨晩の内に手続きを済ませており、保安検査や搭乗口ではメールで送られてきた電子搭乗券のQRコードをスマホで呈示すればいい。幸い保安検査場はさほど混んでなく11時12分に通過。出発案内板を見ると、搭乗する飛行機はオンタイムで、搭乗口は端っこにある2番ゲートだ。保安検査場で外したズボンのベルトも着けないまま2番ゲートまで小走りしたらちょうど優先搭乗が始まるところであった。現在11時15分、間に合った!。搭乗前にトイレに行く時間もある。無事搭乗し、11時30分定時ぴったりにドアクローズとなり、パラナ行きフライトは11時42分に離陸した。

 もしパラナ空港の到着が予定より20分以上遅れたらパラナ発13時30分の列車にはまず間に合わないので、その時は始発駅のパラナからではなく、空港により近い所にある途中駅のサルバドール・カプットから乗車するつもりであった。ただその場合、復路の列車は終点のパラナまで乗らないとこの路線の完乗にはならない上に、復路をパラナまで乗ると、その先の夕方のスケジュールがまたもや綱渡りになる。しかし幸い私が乗ったパラナ行きフライトは出発時の誘導路での待ち時間が短かったおかげで12時33分にパラナ空港に着陸、民間便は1日2〜3往復しかない小さな空港なので降機はスムーズで、12時42分に空港にいるタクシーに乗り、州都とは言えのんびりした雰囲気のパラナの市街をゴトゴトと走り、13時7分に国鉄のパラナ駅前に到着した。タクシーの運転手は自分の名前や出発到着時間、料金を印字したレシートを丁寧にもくれた(アルゼンチンのタクシーで頼みもしないのにレシートをくれたのは後にも先にもこの時だけである)。駅舎はかつてブエノスアイレスまでの長距離列車が走っていた往時を思わせる堂々とした建物だが、現在は1日3往復のローカル列車が発着するだけなので、駅前は人通りも少なくひっそりと静かで、客待ちタクシーもいない所であった。


 パラナ駅と、発車を待つホルヘ・メンデス行き列車
 Edificio de la estación Paraná y Tren de pasajeros con destino Jorge Méndez

 これから乗る路線は旧アルゼンチン国鉄時代にウルキサ将軍鉄道として運行していた区間で、1992年に一旦廃止されたが、2011年にパラナ〜コロニア・アベシャネーダ間15kmの旅客列車が復活開業し、2022年9月にコロニア・アベシャネーダからエンリケ・ベルドゥックまで8kmが延長開業、そして2023年3月31日にエンリケ・ベルドゥックからホルヘ・メンデスまで2kmが延長開業している。この旅客列車は他のどの路線とも繋がっていない上に、貨物運行も廃止されているので飛び地のような所である。駅には2両編成の気動車が待っていて、徐々に乗客が集まり、座席の半分位が埋まってホルヘ・メンデス行き3202列車は13時32分にパラナを発車した。

 乗車券は車内販売のみで、パラナからホルヘ・メンデスまで39ペソ(約5円)とアルゼンチンの物価を考えても格安である。出発後は線路脇に粗末な家というかバラックが立ち並び、線路敷にゴミが散乱した中をおそるおそると走る。このような光景はアルゼンチンの都市の中心部の線路敷であちこち見かけるが、世界的にも多くの国の大都市の鉄道沿線で私は見かけたことがあり、日本など一部の国はむしろ例外であろう。一つ目の停車駅を過ぎると、数分毎に駅舎もないプラットフォームのみの駅に停まり、駅毎に乗客が下りていく。サルバドール・カプットを出た辺りから家並みは途切れ、木々が散在する草地を列車はトボトボと走り、14時23分にコロニア・アベシャネーダに到着。ここからは2022年9月に開業した区間で、14時40分にエンリケ・ベルドゥックに到着。駅周辺は人家は殆どないが、豊かな森がある自然公園となっていて林間学校もある。丁度ハイキングを終えたらしい中学生達が三々五々に駅に来ていて、彼らはおそらく折り返し列車に乗る予定だったのだろうが、都合良く列車が停まっているので乗り込んで来る。それを車掌ものんびり待っててあげたためエンリケ・ベルドゥックを発車したのは7分延の14時47分であった。この先は2023年3月に開業したばかりの区間である。数十人の賑やかな中学生を乗せた列車は次のラ・ピカダ駅は降車客がいないことを車掌も運転士も把握しているのか通過し、14時56分、終点のホルヘ・メンデスに到着した。駅周囲は集落となっていて、線路は駅の僅か数メートル先にある車止めで遮られていた。列車の写真を撮ってホームへよじ登ろうとしたら中学生が手を貸してくれた。


 エンリケ・ベルドゥック駅と、終点ホルヘ・メンデス駅
 Estación Enrique Berduc y Estación final Jorge Méndez donde el paragolpe detiene la vía

 折り返しのパラナ行き3203列車は中学生達と共に15時1分にホルヘ・メンデスを発車。次のラ・ピカダは乗車客が一人いたので停車。15時55分に途中のサルバドール・カプットに停まり、ハイキング帰りの中学生達の一部十数人がここで下りる。私もここで列車を下りた。実は、パラナ空港はこの駅と直角に交差する道路を3km程まっすぐ南に行った所にあり、ここから歩いたとしても本日最終便である17時35分発の飛行機のチェックインに間に合うであろう。というか、列車に乗ったまま16時20分到着の終点のパラナまで行ってしまうと、パラナ駅前には客待ちタクシーも流しのタクシーもいないので飛行機に間に合うか危うい。往路の列車を始発のパラナから乗れたのは僥倖であった。更にありがたいことに、サルバドール・カプットの駅前の道路には中学生を迎えに来た親達の自家用車が何台も止まっていたので、ダメ元でその一台に乗っている父親に「私は日本からの旅行者で、この道の先にある空港まで乗せてはもらえないだろうか」と頼んでみると、親切にも快諾してくれる。父娘が乗る車の後部座席に乗せてもらい、5分程で空港の入り口に到着。僅かながらのお金を渡そうとするも固辞されてしまった。アルゼンチンなど中南米の旅行は強盗だのスリだのに常に警戒しながらなのだが、一部のそうした輩を除けば大部分の人達はとても親切であることを改めて実感する。私も日本に来る外国人観光客には親切にするよう努めようと思う。


 サルバドール・カプット駅
 Estación Salvador Caputto

 アルゼンチン航空ブエノスアイレス行き最終便は17時40分に夕暮れのパラナ空港を離陸した。往復飛行機にまで乗って来たパラナ滞在は僅か5時間で、パラナ市内は昼間のタクシーの車窓からちょっと見ただけで、市の北部を流れる大河パラナ川も見ずじまいであった。ここでパラナに一泊くらいしてもと旅程を組む時は考えたが、そもそも往路でパラナに行けるかも危うい乗り継ぎであり、パラナのホテルを予約するまでのことはできなかった。自ら決めた旅程とは言え後ろ髪を引かれる思いというか、パラナの人達に申し訳ない気までする位だが、学生時代に日本の(当時の)国鉄約2万kmを完乗した経験からは「そんなのんびり甘いことを言っているようじゃ完乗などできぬ」という気持ちもあり、複雑な思いである。飛行機は18時25分にブエノスアイレスのアエロパルケに着陸。タクシーで市内中心部へ行き、夕食をとって、ホテルにチェックインして長い一日が終わった。

10月26日:ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)→ラ・プラタ→オスピタル・サン・フアン・デ・ディオス→シルクンバラシオン‥‥ラ・プラタ→ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)に乗車

 10月26日木曜日、本日乗車する路線の行程は既に決めてあるが、比較的運転本数の多いブエノスアイレス近郊区間のみの乗車であり、何時の列車で行くかは起床した時間次第として目覚まし時計もつけなかった。目が覚めたのは6時10分で、急いで支度すれば7時までにプラサ・コンスティトゥシオン駅へ行けるだろう。ホテルからタクシーに乗って、ブエノスアイレスの鉄道の南の玄関と言えるプラサ・コンスティトゥシオン駅に着いたのは6時51分であった。朝の通勤時間なので到着する電車はどれも超満員だが、これから私が乗るロカ線ラ・プラタ行きは逆方向なので、座席の3割くらいの乗車率で7時4分に発車した。7時40分にベラサテギを出ると、ボスケス方面への路線と別れる。私にとってここからは未乗区間である。7時47分に通ったウドソン駅の辺りから家並みは途切れ、林の中を電車は走る。一方各駅毎に乗客は増えていき車内は立客も出る混雑で、人口約77万のラ・プラタ市に向かっていることを感じさせる。電車は再び都会に入り、8時26分に終点のラ・プラタに到着。ホームはトレイン・シェッドに覆われ、外に出てみると駅舎はドームを伴った立派な建物であるあった。


 ラ・プラタ駅舎と、コンコース ラ・プラタ駅は1906年完成で、その当時の外観を現在も残している
 Exterior y Vista del hall de la estación La Plata de la Línea Roca (inaugurado 1906)

 ここで乗り換える次の列車は、今回の旅行の中でも楽しみにしていたものの一つである。その列車は「大学列車 Tren Universitario」と呼ばれ、単行気動車がラ・プラタからオスピタル・サン・フアン・デ・ディオスまでのラ・プラタ市内約8kmを月曜から金曜までは9往復、土曜は4往復している(日曜は運休)。この路線の大部分は元々旧アルゼンチン国鉄ロカ将軍鉄道のラ・プラタ〜レザマ線およびラ・プラタ〜ラス・ピピナス線の一部で1977-1979年に廃止されていたが、ラ・プラタ市内を通る一部区間を旅客鉄道として復活したものである。2013年4月に復活開業した最初の区間はラ・プラタから途中のポリクリニコまでの4.6kmで、この時の7駅のうち4駅が国立ラ・プラタ大学のいくつかのキャンパス前にあって学生の利用が主なので「大学列車」と命名されたのであろう。先月2023年9月18日にはポリクリニコからオスピタル・サン・フアン・デ・ディオスまでの3.4kmが延長開業している。開業したばかりの路線に乗れるのも楽しみだが、それに増して興味深いのがここで使われている気動車である。この気動車はスウェーデンのNOHAB社 (Nydqvist & Holm AB) 1948年製で、ポルトガル国鉄に納入され長らく運用されていたが、2013年頃?に数両が中古としてアルゼンチンに輸出され、アルゼンチン国鉄の1676mm軌間のいくつかの中距離列車など(ポルトガル国鉄の軌間1668mmと軌間差が僅かであった)で運用されていたが、現在走っているのはここ「大学列車」のみになっている。


 ラ・プラタ駅で発車を待つ「大学列車」
 Tren Universitario en la estación La Plata

 大学列車は8時56分定時にラ・プラタを出発。一両の車内は学生でほぼ満員だったが、建築学部駅 Arquitectura、情報学部駅 Informática、医学部駅 Medicina、ジャーナリズム学部駅 Periodismo と停車する毎に学生が下りてだんだん空いてくる。列車は市街地を走るため踏切が多いのだが、遮断機も警報機もない踏切もあり、列車は踏切直前で一旦停車し乗務員が列車から飛び降りては踏切保安係役を務め、踏切通過後に超徐行の列車に飛び乗るの繰り返している。9時18分にポリクリニコを出ると新開業区間となるが、実際は四十数年前の廃線の復活であり、古いレールを掘り起こしたように見える。列車は踏切で一々停車しているので速度も出ずママチャリより遅いような気がするが、余裕のダイヤらしく、時刻表より2分早い9時32分に終点のオスピタル・サン・フアン・デ・ディオスに到着した。距離と時刻表から計算すると表定速度12.5km/hである。


 医学部駅と、終点のオスピタル・サン・フアン・デ・ディオス駅
 Parada Medicina y Estación final Hospital San Juan de Dios

 今日は早起きできたため時間に余裕がある。折り返し列車に私は2駅だけ乗って、途中のシルクンバラシオン駅で下車した。この路線の駅ではラ・プラタ駅を除くとシルクンバラシオンは四十数年前まで使われていた駅舎が唯一残っている。


 気動車の車内と、シルクンバラシオン駅
 Interior del coche motor y Estación Circunvalación

 ここから線路沿いを逆方向に10分程歩いた所に、旧アルゼンチン国鉄時代のベルグラーノ将軍鉄道ラ・プラタ駅(1977年廃止)の立派な駅舎が保存されており、現在は文化交流施設として利用されている。駅舎の上部には1947年頃に国有化される前の名称「FCProvincialBuenos Aires(ブエノスアイレス州鉄道)」の表示が残っていた。


 旧アルゼンチン国鉄ベルグラーノ将軍鉄道ラ・プラタ駅舎と、プラットホーム(保存されている蒸気機関車はドイツ・オレンシュタイン・ウント・コッペル社1937年製である)
 Edificio y Andenes de la estación La Plata del ex Ferrocarril Provincial de Buenos Aires y ex Ferrocarril General Belgrano, donde se conserva la locomotora alemana Orestein und Koppel fabricada en el año 1937

 路線バスで市内中心部へ行き、ラ・プラタ大聖堂などを見学して、ラ・プラタ駅からロカ線の電車に再び乗ってプラサ・コンスティトゥシオンに戻ってきた。駅窓口に寄って10月29日乗車の列車のリコンファームと発券を忘れずに行う。

10月27日〜10月28日:ブエノスアイレス(レティーロ)→パルミラに乗車

 10月27日金曜日朝7時、ブエノスアイレスのレティーロ駅(サンマルティン線)に向かう。本日これから乗車する列車はここからメンドサ州のパルミラという所まで行く列車で、走行距離は1028kmとアルゼンチンの列車の中でも2番目に長距離を走る。ブエノスアイレス〜メンドサ州メンドサ間は百年以上前に開通している古い路線だが、旧アルゼンチン国鉄がコンセッション方式で民営化を進めていた1993年に一旦旅客列車は廃止され、民営化時代はメンドサまで行くのは貨物列車のみで、旅客列車はレティーロ〜フニン〜アルベルディのみが運行されていた。再国営化された2015年に旅客列車がルフィノまで復活、2017年にルフィノの手前にあるラ・ピカサ湖の上を走る線路が水没してしまいフニンまでに短縮、2021年11月に湖上の線路が修復されてルフィノまで再復活、2022年 7月にフスト・ダラクトまで復活、とここ数年で一進一退しながらも復活区間が延長され、ついに2023年6月2日にメンドサの34km手前にあるパルミラまでの旅客列車が運転開始されている。1984年の旧アルゼンチン国鉄の時刻表を見ると当時の列車はレティーロ〜メンドサ間を13〜14時間で走破していたが、今日これから乗る列車はレティーロからパルミラまで29時間21分と倍以上の時間を要し、しかも レティーロ〜パルミラ間を走る列車は2〜3週毎に1往復のみと、所要時間からも運行頻度からもあまり実用的には思えない。アルゼンチンの新聞「ラ・ナシオン La Nación」電子版6月3日には「プラットホーム上のノスタルジア、列車がメンドサに帰ってきた、29時間をかけて僅かな乗客を運んで Nostalgia en el andén. El tren volvió a Mendoza: tardó 29 horas y trasladó pocos pasajeros」とやや揶揄するような論調の記事が載っている。鉄道の取り柄は車内が広いことと運賃が安いことで、ブエノスアイレス〜メンドサ間の長距離バスの運賃は概ね65000ペソ(9100円)以上、払い戻し不可の座席限定前売り運賃でも40000ペソ(5600円)以上なのに対し、鉄道はレティーロ〜パルミラ間の運賃はプリメラ(横2+2列の普通座席車)で6395ペソ(900円)、プルマン(横2+1列の上級座席車)で8380ペソ(1170円)と数分の一の値段である。


 レティーロ駅(サン・マルティン線)と、発車を待つパルミラ行き583列車
 Estación Retiro de la Línea San Martín y Tren de pasajeros Nro. 583 con destino Palmira

 この列車には食堂車が連結されているが、コロナ禍以降は食堂車はちゃんとした食事は提供しておらず、コーヒなどの飲料とパンや菓子を売っているだけである。なので私は乗車前に駅周辺の売店で丸一日分の飲料、パン、エンパナーダなど食料を買い込んで列車に乗り込んだ。列車はディーゼル機関車重連に続き、電源車-荷物車-カマロテ(個室寝台車)-プルマン3両-食堂車-プリメラ4両-の11両編成で、私の座席はプルマンの一人席である。今回の私のアルゼンチン旅行のクライマックスと言ってもいいパルミラ行き583列車は、8時ちょうどにレティーロをゆっくりと出発した。しばらくはサン・マルティン線を十数分毎に走る近郊列車の間に挟まれるようなダイヤなので、ブエノスアイレスの市街地をゆっくりと走るが、それも長距離列車の助走のような感じでいい。8時37分にフリンガムを通過、私にとってここから終点のパルミラまでの全てが未乗区間だ。8時50分に駅間で列車が停まってしまったので、遥か1000km先までこの列車は無事に走ってくれるかちょっと心配になったが、9時1分に再び走り出す(次に通過したホセ・クレメンテ・パス駅での折り返し列車の入れ換えのためだったようである)。9時33分に通過したDr. カブレでサン・マルティン線の近郊区間は終わると、家並みも途切れ、野原や林の中を列車は進む。メルセデスの町が近づく左手に一昨日乗ったサルミエント線の線路が現れしばらく並走し、 10時27分にメルセデスP.駅を通過する。


 メルセデスP.駅付近ではサン・マルティン線の線路と並走する
 Se pone al lado de la Línea Sarmiento en la cercanía de la estación Mercedes P.

 ほぼ満席の車内の乗客達はそろそろ退屈してきたのか、お互いに周りの乗客に話しかけあちこちで会話が始まる。通路に立って目の前の座席の客に熱弁を奮っている人も老若男女を問わず何人もいる。スペイン語なので聞こえてくる内容はあまり分からないが、自分の地元や旅先についての話から、日々の生活の不満や政治・社会の批判まで延々と話が止まらない。日本人だと初対面の人相手に政治の議論をすることなど殆どないがここアルゼンチンでは異なるようであり、また激論を交わした後もお互いの関係が悪くならないらしく笑顔を交わしているも興味深い。列車は人家もまばらで起伏のない放牧地や草原を走り、12時11分にチャカブコ、13時14分にフニンに着き7分停車する。フニン駅の北側には大きな車両基地が広がっている。


 カスティーシャ〜ラウソン間の車窓と、チャカブコ駅
 Paisaje entre Castilla y Rawson y Estación Chacabuco


 フニン駅
 Estación Junín

 16時過ぎに列車の最後部へ行く。最後部のデッキは施錠されていて入れないが、長細いガラス窓越しに列車後方の線路が見える。もうすぐラ・ピカサ湖だ。以前よりラ・ピカサ湖は降水量により湖の面積が拡大したり縮小していたが、2006年の大雨によって水深が増して湖上を突っ切るように敷かれた土手道の国道と線路が水没してしまい、この時は国道の復旧に一年半、鉄道の復旧に二年半を要した。その後の2017年に長雨のために再び線路が水没し、再復旧に四年を要している。16時18分、湖の手前だが線路の両側は盛土の流出防止のための大きな石が並び始め、16時19分、列車はラ・ピカサ湖の上を走り始める。 湖上の線路は約13kmで、軌道はPC枕木やバラストも新しく、両岸の眺めも良い。16時30分に湖上を離れ、17時10分、ルフィノに到着し7分停車する。ルフィノ駅のホームは広く、駅舎も立派であった。


 ラ・ピカサ湖の湖上の線路からの車窓
 Vistas de la Laguna La Picasa


 ルフィノ駅の駅舎と、ホーム
 Exterior y Andén de la estación Rufino

 ルフィノ出発後に食堂車へ行ってみる。売っている食べ物はパンと菓子だけで、サンドイッチとミルクコーヒーを買い、食堂車の椅子に座って夕暮れの車窓をのんびり眺める。行けども行けども大草原が続くばかりだが、空と大地の色彩が刻々と変わって行くアルゼンチンの草原の夕暮れの風景は何度見ても美しく飽きない。


 ラボウライェ〜ヘネラル・レバージェ間の車窓
 Atardecer pampeana entre Laboulaye y General Levalle

 19時半頃には日は暮れ、21時15分にビクーニャ・マッケンナに停車、23時24分にフスト・ダラクトに停車する。そろそろ寝ることとする。プルマン(上級座席車)はリクライニングするとは言え、寝るには座席はやや硬かったが、連日の早起きでやや睡眠不足だったこともあり、まずまず眠れた。


 ビクーニャ・マッケンナ駅と、フスト・ダラクト駅
 Estación Vicuña Mackenna y Estación Justo Daract

 10月28日土曜日、朝7時頃に目が覚め、食堂車へ行ってコーヒーを飲む。昨日朝にブエノスアイレス(レティーロ)を出発して以来、進むにつれて列車の速度が徐々に落ちている感じがする。今朝からは延々と徐行運転をしているが如しで、自転車よりはやや速いかな〜体感的に20km/h位である。ちなみに線路は1676mmの広軌で、殆どが起伏のない草原上に敷かれた直線の線路である。今朝未明に通ったベアスレイと終点パルミラ間208kmについては、所要時間9時間14分から計算してみると表定速度は22.5km/hの鈍足ぶりである。30年ぶりに旅客列車が復活したと言っても数百キロに亘る線路を敷き直したわけではなく、貨物列車が低速で運行していた線路を旅客列車の安全基準の最低限の改修をして、あとは脱線しないようにゆっくり走りなさいということであろう。列車の最後部の窓から後方の線路を眺めると、木製の枕木は所々斜めになっていて、バラストの隙間からは雑草が生えている。8時34分、ラ・パスに到着し13分停車する。発車後の車窓は低木が生える乾燥した草原や林が続く。10時27分、ホセ・ネストール・レンシナスに停車し一組の老夫婦が下車。時刻表上この列車はここには停まらず通過するはずなのだが(というか時刻表には表示されていない)、下車客がいた場合は臨時停車するのだろうか?。


 ラ・パス駅付近の車窓、列車後方から見る線路と、ラ・パス駅
 Paisaje cercano a La Paz y Estación La Paz

 車窓に時々ブドウ畑が現れ、その向こうには山頂に雪を抱いたアンデス山脈が見えてくる。ワイン生産で有名なメンドサ州らしい風景だ。


 リベルタドール・ヘネラル・サン・マルティン付近の車窓
 Paisaje cercano a Libertador General San Martín donde se puede observar los viñedos y la cordillera de los Andes a lo lejos

 12時43分にリベルタドール・ヘネラル・サン・マルティンに停車。終点まであと一駅だ。列車はメンドサ郊外の住宅地やブドウ畑の中をゆっくりと走り、13時22分、終点パルミラに到着した。


 降車の準備をする乗客達と、終点パルミラ駅
 Interior del coche y Estación final Palmira


 パルミラ駅に到着した列車、左側には貨物列車が停車している
 Tren de pasajeros procedente de Buenos Aires Retiro y tren de carga parados en la estación Palmira

 パルミラは州都メンドサから約30km南東にある近郊の町である。ここまで旅客列車を復活したのなら、あともう少し延長すればメンドサまで列車が直通するのにとも思うが、ここから22km先のグティエレスまでは貨物列車すらも長らく通っていない廃線で、更にグティエレスからメンドサ駅までの12kmはメトロトランビアと呼ばれるライトレールの建設時に1676mmから1435mmに改軌している。もしも将来延長開業が為されたら、私にとってはブエノスアイレスから遠く離れたこの地にまた未乗路線が出来てしまうが、それは無いような気がする。

 パルミラからメンドサまでのバスの経路や時刻はネットで予め調べていたが、駅前にはメンドサまで行くタクシーの呼び込みが居て料金は7000ペソ(980円)と。約30km乗るタクシー料金とブエノスアイレス〜パルミラ間1000km以上の鉄道運賃がほぼ同じなのは奇妙な気分だが、便利で速いのでタクシーに乗る。タクシーは高速道路となっている国道を快走し、14時前にはメンドサ中心部に着いた。メンドサは一年前にも来たことがあってあの時は慌ただしかったが、今回も滞在時間は僅か4時間である。昼食をとり、昨年一泊したホテルのあたりの公園をせめてもと散歩するが、今日は空は快晴だが強風が吹き荒れ、砂埃で目も開けていられない位だ。この強風はソンダと呼ばれる、アンデス山脈から吹き下ろす乾燥した高温の風らしい。タクシーで空港に向かい、18時発のアルゼンチン航空便に乗り、19時40分頃にはブエノスアイレスのアエロパルケに着陸。ブエノスアイレス市内の駅で長距離切符売り場が土曜日20時以降も開いているのはプラサ・コンスティトゥシオン駅のみなので、タクシーで向かい、駅窓口で10月30日乗車の列車のリコンファームと発券をしてもらった。

10月29日:ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)→マル・デル・プラタに乗車

 10月29日日曜日、本日列車で向かうマル・デル・プラタはアルゼンチン国内最大のビーチリゾートである。そのためアルゼンチン国鉄長距離列車の指定席乗車券の中でもマル・デル・プラタ行きは最も入手困難で、毎日2往復(金曜下り、月曜上りのみ3本)の列車の乗車券はたいてい乗車券発売開始日に即日完売となってしまう。特に12月から2月までの夏期の乗車分の乗車券発売開始日(大抵11月中旬)には(アルゼンチン国鉄のウェブサイトからのオンライン購入もあるが、クレジットカードなどの電子決済の手段を持たない人が多いのか)その何日も前からレティーロ駅やプラサ・コンスティトゥシオン駅など主要駅の長距離切符売り場には長蛇の行列ができ、それは毎年テレビで報道され、中には「列車の切符のためにキャンプする」とまで紹介されて風物詩となっている1)。私も10月乗車分の発売開始日9月6日に、まず最初にウェブサイトで購入したのが本日乗車する列車の指定席乗車券で、発売開始日にして既にプルマンは満席で、プリメラの一席を購入できたのがやっとであった。


 プラサ・コンスティトゥシオン〜マル・デル・プラタの指定席乗車券(プリメラ)
 Pasaje del coche primera de Buenos Aires (Plaza Constitución) a Mar del Plata

 朝8時半にプラサ・コンスティトゥシオン駅へ行く。決して治安のいい駅とは言えないが、カフェで朝食をとる位はできる。8時50分には改札は始まっていて、長距離列車専用の14番線ホームには既にマル・デル・プラタ行きが発車を待っている。編成はディーゼル機関車に続き、荷物車-プルマン2両-食堂車-プリメラ4両-電源車の9両である。定刻の9時42分、ほぼ満員の乗客を乗せてマル・デル・プラタ行き303列車は出発した。


 ブエノスアイレスのプラサ・コンスティトゥシオン駅で発車を待つマル・デル・プラタ行き303列車と、発車前の車内(プリメラ)
 Tren de pasajeros Nro. 303 con destino Mar del Plata en la estación Plaza Constitución y Interior del coche primera

 10時7分に線路が四方向に別れるテンペルレイを通過し、ここからが私の未乗区間となる。市街地だった車窓は、電化区間が終わるアレハンドロ・コルンを通過した辺りから緑色の草原や林に変わる。列車は快調に走り続けていて、車窓の景色を楽しみながらの楽しい列車旅と言いたい所だが、私が座っている車両を含めたプリメラの3両と食堂車の車体はピンク色に塗装された上に、殆どの窓に同じ色のシールが貼ってあり、ブエノスアイレス州が催している旅行キャンペーン「(ブエノスアイレス)州でのレクリエーション Recreo en la provincia」の宣伝が描かれている。車内から窓のシールを見ると、シールには蜂の巣のような細かい穴が穿たれていて、穴を通して外の景色はやっと見えるかな位で、風景写真など撮れる状態ではない。この列車は観光地へ向かっていて殆どの乗客も行楽客の装いに見えるが、こんなんでいいのか?と思うが、アルゼンチン人にとって真っ平らな草原の風景など見飽きているのだろうか、乗客達はお喋りか、スマホをいじっているか、本を読んでいるか、寝ているかで誰も車窓など見ていない。11時29分にチャスコムスを出発すると、食堂車が営業開始したとの車内放送があったので行ってみる。食堂車と言っても実質は売店で飲料とパン、菓子を売っているだけだが、ミルクコーヒーを買って、食堂車の一部の窓にシールの貼っていない所を見つけて座ってしばらく過ごす。


 細かい穴が空いたシールの貼られた窓と、レザマ〜カステリ間の車窓(車端のデッキの窓から撮影)
 Se pega pegatinas en las ventanas del tren y Paisaje entre Lezama y Castelli

 列車は約20分毎に小さな駅に停車し、この列車の数少ない(行楽客でない)地元客だろうか各駅で数人位下りていく。マル・デル・プラタまで12の途中駅に停車するが、走行中はアルゼンチンの列車としては結構速く、体感で80km/hくらいは出ている感じである。この路線は線路の状態が良いのであろう。この列車はブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)〜マル・デル・プラタ間399kmを6時間8分で走破するので、表定速度を計算してみたらは65.4km/hであった(ブエノスアイレス〜マル・デル・プラタ間を途中2駅のみ停車する速達列車もあり、その表定速度は69.1km/hである)。尤も、アルゼンチンの鉄道が最も栄えた時代の1952年には、「正義の人 Justicialista」と命名された国産の電気式ディーゼル機関車が牽引する旅客列車が、ブエノスアイレス〜マル・デル・プラタ間を最速3時間45分(表定速度106.4km/h)で走破しており、その時代とは比ぶべくもない。

 13時30分に停車したヘネラル・ギドでディビサデロ・デ・ピナマールへ行く支線を左に分け、列車は南へと走る。食堂車営業終了の車内放送がある。約6時間走る列車で食堂車は2時間のみの営業とは、ちょっとアルゼンチン国鉄の親方日の丸(アルゼンチンなので日の丸じゃなくて「五月の太陽」かな)的体質を感じてしまう。アルゼンチンの国情や鉄道事情を詳しく知る訳でもないのであくまで個人的印象だが、ともかく鉄道職員が多い気がする。長距離列車に乗るとやたらと車掌その他乗務員が多く、地上に目を向けると(貨物列車を含めても)一日数本しか列車が通らない途中駅に駅員がいるし、人里離れた草原の一本道の踏切にも踏切係がいて列車の通過を見守っているのを車窓からしばしば見かける。現在の日本の鉄道とアルゼンチンの鉄道では信号や分岐器をはじめとして様々な設備の自動化が大きく異なるので比較できないが、私は日本の国鉄が「親方日の丸」と批判されていた昭和の時代を体験している世代だが、その日本の当時の国鉄と比べてもアルゼンチン国鉄はあちこちに暇そうにしている職員を多く見かける。アルゼンチンの数ある国営企業の中でも国鉄職員は約三万人と最も多く、ある資料によるとアルゼンチン国鉄の収入は支出の僅か2.3%で、殆ど国からの予算で存続しているらしい2)。(かつての日本の国鉄職員数は1980年度末で41.4万人、民営化前年度の1985年度末で27.7万人だったが、日本の鉄道輸送量はアルゼンチンと比べて旅客は数十倍、貨物は数倍なので輸送量あたりの職員数はアルゼンチンの方がたぶん多いと思う3)。)来たる11月19日のアルゼンチン大統領選挙では、長年肥大化してきたこのような政府支出が国の経済危機の大きな一因として省庁削減および政府支出の削減を掲げるハビエル・ミレイ候補が当選するか注目されている4)

 景色を眺めるには例の窓に貼ってあるシールが邪魔なので、車端のデッキに立って、シールの貼っていない乗降ドアの窓から外を眺める。途中の駅は小さな村の外れにポツンと立っていて、小さな駅舎は古びたレンガ造りで、こんな駅でのんびりと列車を待ってみたいものだと思う。


 ドローレス駅(小さな駅にも信号扱所があって係員が操作している)と、ラス・アルマス駅
 Enclavamiento en la estación Dolores y Estación Las Armas

 15時40分、久しぶりの市街地が現れる。列車は警笛を鳴らしながらゆっくりと走り、15時48分、時刻表通りの定時に終点マル・デル・プラタに到着した。マル・デル・プラタの駅舎は2009年に竣工した新しい広々とした建物で、バスターミナルも一体となっている。本日泊まるホテルにチャックインした後、市内や海岸を散策する。気温は10℃ちょっと位でビーチリゾートを楽しむにはまだ寒いが、市内の歩行者天国も海岸もそれなりに観光客で賑わっていた。


 鉄道とバスターミナルが一体となっているマル・デル・プラタ駅と、マル・デル・プラタの海岸
 Terminal Ferroautomotora de Mar del Plata y Playa de Mar del Plata

10月30日:ディビサデロ・デ・ピナマール→ヘネラル・ギド→ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)に乗車

 10月30日月曜日、朝5時半に起床する。アルゼンチンではブエノスアイレス以外の地方のホテルの多くは宿泊料金に朝食代が含まれている。私が昨晩より泊まっているホテルもそうで、朝食は7時からとのことだが、鉄道乗りつぶしの旅はほぼ毎日早朝出発であり、残念ながらホテルの朝食にありつけることはあまりない。6時過ぎにはチェックアウトしてバスターミナルへ行き、7時ちょうど発のバスで120km北東にあるピナマールへ向かい、9時15分頃にはピナマールのバスターミナルに到着した。ピナマールはマル・デル・プラタより規模は小さいもののビーチリゾートで、バスターミナルから海岸への道路の両側には高級マンションが立ち並んでいる。ここの観光シーズンにはまだ早いのか海岸に人影は少なく、曇っていることも相俟って寂しい雰囲気であった。


 ピナマールの海岸
 Playa de Pinamar

 11時半、タクシーに乗って市内中心部から4km離れたディビサデロ・デ・ピナマール駅へ向かう。ヘネラル・ギド〜ピナマール間約100kmは1949年に開業し、当時のピナマール駅は市街地(現在のバスターミナル近く)にあったが、1967年に廃止されてピナマール付近では線路も剥がされていた。しかし1996年に国道との交差を避けた形で2.5kmほど郊外に後退した場所にディビサデロ・デ・ピナマール駅(スペイン語でディビサデロは「遠望する所」という意味)が新設されて列車運行が再開。その後2011年からは長期運休と一時再開を繰り返していたが、2021年1月から現在の形で1日1往復の列車が運行されている。


 ディビサデロ・デ・ピナマール駅と、ヘネラル・ギド行き列車 気動車はスペインCAF社593系(1982-1984年製)で、スペイン国鉄で運用された後アルゼンチンに輸出された エアコン装置が天井の上にコブのように乗っているので「ラクダ」の愛称がある
 Estación Divisadero de Pinamar y Coche motor CAF Serie 593 (ex Renfe) construido en España en los años 1982-1984

 12時57分、ヘネラル・ギドからの列車が到着。3両編成の気動車で、折り返しヘネラル・ギド行きとなる。各車両はそれぞれ車端部でない所に乗降口とデッキが2ヶ所あるので客室は3つに分かれている。ほぼ満員の客を乗せて320列車は定刻13時15分にディビサデロ・デ・ピナマールを発車。列車は人家もない牧草地や湿地帯を40km/h位で走る。 久しぶりに家並みが現れると13時58分にヘネラル・マダリアーガに停車。駅を出ると車窓は再び人気のない草原となり、15分毎くらいに2〜3軒の家が見えてくるとそこは廃止された駅で、当列車は通過していく。


 ヘネラル・ギド行き列車の車内と、ヘネラル・マダリアーガ〜サント・ドミンゴ間の車窓
 Interior del coche y Paisaje entre General Madariaga y Santo Domingo

 列車は踏切と鉄橋で減速する以外はずっと40km/h位の同じペースで1時間以上走り続け、15時12分にサント・ドミンゴに停車。再びしばらく走ると右に大きくカーブしてマル・デル・プラタからの本線と合流し、今回の私の乗りつぶし旅行の未乗路線全てを予定通り終え、15時48分に終点のヘネラル・ギドに到着した。ヘネラル・ギドは乗換駅とは言え駅周囲の人家は疎らで、草原の中に佇むいい雰囲気の所であった。


 ヘネラル・ギド駅
 Estación General Guido

 16時11分にやって来たマル・デル・プラ始発のブエノスアイレス、プラサ・コンスティトゥシオン行きに乗り、20時6分にプラサ・コンスティトゥシオンに到着。明日の飛行機で日本へ帰る。


 ヘネラル・ギド駅に入線するブエノスアイレス、プラサ・コンスティトゥシオン行きと、終点のプラサ・コンスティトゥシオン駅
 Tren de pasajeros con destino Buenos Aires (Plaza Constitución) y Estación final Plaza Constitución

1) 2023年11月中旬に乗車券発売が開始された日のアルゼンチンのテレビ各局の報道は以下のYouTubeで見れる。

2) その後の資料によるとアルゼンチン近郊鉄道(アルゼンチン国鉄が運営するロカ線、サルミエント線、ミトレ線、サン・マルティン線、ベルグラーノ南線と、民営のメトロビアス社が運営するウルキサ線とフェロビアス社が運営するベルグラーノ北線)の7線群全体の2023年12月の収支は、旅客収入7億2200万ペソに対して支出は407億4300万ペソと、支出の約1.8%しか収入を上げていないとのこと。また支出の約58%が職員の給与および社会保険料に費やされているとのこと。( iProfesional 電子版 https://www.iprofesional.com, 15 de Enero, 2024 - Los aumentos que se vienen en el boleto del tren: qué porcentaje paga el Estado con subsidios

3)OECD Data Passenger transportのウェブサイトによると、日本の鉄道の輸送人キロは1986年が3347億4100万、2017年が4373億6300万なのに対し、アルゼンチンの鉄道の輸送人キロは2017年が83億6100である。またOECD Data Freight transportによると、日本の鉄道の貨物トンキロは1986年が204億4600万、2017年が216億6300万なのに対し、アルゼンチンの鉄道の貨物トンキロは2017年が83億7700である。

4) この旅行後の11月19日、アルゼンチン大統領選挙の決選投票が行われ、ハビエル・ミレイ候補が当選し、12月10日に大統領に就任した。彼は国営企業の多くの民営化を計画しており、中でもアルゼンチン国鉄を民営化することを重視している。

 

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