アルゼンチン鉄道旅行第二回(2019年2月13日〜2月24日)


   アルゼンチン鉄道路線図(2019年2月時点)

  • 2月15日〜2月16日
    • ブエノスアイレス(レティーロ)→コルドバに乗車
  • 2月17日
    • 山の列車(コルドバ―コスキン)に往復乗車
  • 2月18日
    • サルタ→グエメスに乗車
  • 2月19日
    • 雲の列車(サン・アントニオ・デ・ロス・コブレス―ラ・ポルボリージャ)に往復乗車
  • 2月20日〜2月21日
    • サン・ミゲル・デ・トゥクマン→ブエノスアイレス(レティーロ)に乗車

 

(文章中の為替レートは乗車当時のものです。)

2019年2月15日〜2月16日:ブエノスアイレス(レティーロ)→コルドバに乗車

 前回の旅行で私はすっかりアルゼンチンの鉄道ファンになってしまい、前回から三ヶ月と空けず、またアルゼンチンに来てしまった。
 2019年2月15日金曜日の朝、ブエノスアイレス市内に4つある鉄道ターミナル駅の一つであるレティーロ駅を訪れる。レティーロ駅はミトレ線(軌間1676mm)、ベルグラーノ北線(1000mm)、サン・マルティン線(1676mm)という3つの路線群のターミナル駅となっていて、いずれも頭端式ホームの駅舎が別々に3つ並んでいる。


 ブエノスアイレスのレティーロ駅 時計台の後ろがミトレ線の駅舎、右側の塔のあるのがベルグラーノ北線の駅舎、右端の低い三角屋根がサン・マルティン線の駅舎(工事中)
 Estación Retiro de la Línea Mitre, de la Línea Belgrano Norte, y de la Línea San Martín (en obras), de izuquierda a derecha

 3つの駅舎の中でも1915年にオープンしたミトレ線の駅舎は壮麗な外観で、コンコースは当時のデザインのままでリニューアルされており、高い天井の風格ある佇まいである。一方、プラットホームに入ると百年前そのままの武骨で巨大なトレイン・シェッドがホームを覆い、歴史の匂いが充満している。現在、アルゼンチン国鉄はレティーロ駅の改修工事および周辺路線の高架化などの大規模なプロジェクトを進めている。サン・マルティン線の駅舎は取り壊し工事中で、同駅発だった近郊列車は4駅先のビシャ・デル・パルケ駅始発となっている。ミトレ線も、レティーロ駅の構内配線などの設備が1915年当時のままで老朽化が著しく、先日1月29日にもレティーロ駅構内でミトレ線近郊電車が脱線事故を起こしている。線路改修・高架化工事に伴い2019年2月からミトレ線近郊電車の一部がレティーロ駅への乗り入れを中止し、同駅からの長距離列車はサン・マルティン線仮設ホームからの発着に変更されている。レティーロ駅の風景も今後数年で大きく様変わりするかもしれない。


 レティーロ駅ミトレ線の駅舎のコンコースと、プラットホーム
 Vista del hall y techos de bóveda de andenes de la estación Retiro Mitre

 同日20時、コルドバ行き長距離列車に乗るべく、薄暮のレティーロ駅に再び向かう。アルゼンチンの長距離列車は突然の運休がしばしばあり、ブエノスアイレス〜コルドバ間の週2往復の列車は2017年はダイヤ上往復合わせて計208本予定されていたが、うち24本が運休しており1)、約10分の1の確率で乗れないことになる。長距離列車の乗客は発車1時間前にサン・マルティン線ホーム脇の仮設改札口に来るように通知されており、行ってみると既に百人以上の行列が出来ていてホッとする。こざっぱりした紳士淑女が闊歩するブエノスアイレスの中心街の中で、ここの行列だけは大きな荷物を抱えた垢抜けない身なりの家族連れなどで占められている。ブエノスアイレスから国内第二の都市コルドバまでは、いくつものバス会社により長距離バスが毎日数十本運行されており所要時間は10時間前後。いっぽう鉄道はわずか週2往復で所要時間は19時間と競争相手にもなっていないが、バス運賃は最安値でも1000ペソ(2900円)程度はかかるのに対し、鉄道運賃はプリメラ(横2+2列の普通座席車)で500ペソ(1450円)、プルマン(横2+1列の上級座席車)で600ペソ(1740円)と安く、おそらく低所得層に対しても移動手段を提供するという福祉的意味合いもあるのだろう2)(ラテンアメリカではかつてこういった運賃政策を取っていた国が他にもメキシコなどいくつかあった)。質素な身なりながらも、帰郷を心待ちにして楽しそうに語らいながら改札を待つ彼等の佇まいは、さながら石川啄木の歌「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」を連想させる光景であった。 間もなく改札が始まり、乗客が次々と列車に乗り込む。コルドバ行きはディーゼル機関車を先頭に、電源車-プリメラ5両-食堂車-プルマン3両-カマロテ(個室寝台車)-荷物車の12両編成で、全車指定席である。指定席乗車券は駅窓口以外にもアルゼンチン国鉄のウェブサイトからのオンライン購入が可能で、日本からでもクレジットカード決済で購入できる。Eメールで送られてきた乗車券を自宅などでプリントアウトすれば乗車当日の駅窓口立ち寄りは不要で、プリントアウトした乗車券を改札で見せれば乗車出来る(2019年時点)。但し乗車券は記名式で、購入時に氏名や身分証(外国人ならパスポート)番号の入力が必須、改札では身分証での本人確認がしっかり行われている。コルドバ行きおよびトゥクマン行き長距離列車はどちらも週2往復の運行だが乗車券の人気は高く、座席車(プリメラとプルマン)は大体一ヶ月前、寝台車(カマロテ)は二ヶ月前には売り切れるようで、私が1月4日にウェブサイトで購入した時も、2月15日発のこの列車の座席車が直近の空席有りであった。指定されたプルマンの座席は一人掛けでゆったりとしているが、リクライニングはほんの少し一段傾斜するのみで、夜行列車の座席としては今一つだ。


 レティーロ駅で発車を待つコルドバ行き267列車と、その車内(プルマン)
 Tren de pasajeros Nro. 267 con destino Córdoba parado en estación Retiro San Martín y Interior del coche Pullman

 21時1分、コルドバ行き267列車はレティーロ駅を発車。列車は間もなくサン・マルティン線から渡り線を通ってミトレ線に入る。10分間隔で近郊電車が走るミトレ線に割り込むので30km/hくらいの徐行運転がしばらく続いたが、22時頃になると近郊区間を抜けたらしく街の灯りも途切れ、列車は60-80km/hに速度を上げて走る。車内はほぼ満席だが、座席も通路も広いので混雑した感じはしない。広軌のためか走行中の揺れもさほどなく、車内は減灯され何とか眠れそう。但し冷房が効きすぎて少し寒いのでセーターを着込んで寝る。3時13分にロサリオ北駅に到着。ロサリオ市は国内第三の都市であり、深夜にも関わらず数十人の乗車があった。ここは頭端駅なので機関車は反対側に付け替えられ、3時31分、進行方向が逆となって発車、西へ向かって列車は進む。


 深夜のロサリオ北駅
 Estación Rosario Norte

 朝6時半、東の空が明るくなってきた。外の景色は大豆畑や麦畑だったり草原だったりと、パンパと呼ばれる山も谷もない平野がずっと続く。線路は一直線でしかも広軌なので列車は速度が出せるはずなのだが、線路の保守や改修が行き届いていないためか、30-40km/hくらいの何とも気怠い走り方をしている。20〜30分毎に草原の中から忽然と町が現れては、町の中心にある廃駅を通過していく。町の住民は移動にもはや鉄道でなく、バスや自家用車を利用するのであろう。ロサリオ〜コルドバ間の鉄道が開通したのは1870年で、一直線に引かれた線路上には10〜20kmおきに町が点々と作られ、ヨーロッパから移民が次々とやって来ては農地を開拓してきた。この開拓の歴史が、大豆とトウモロコシの輸出量は世界第3位、小麦は世界第7位を誇り「世界の食糧庫」と呼ばれるアルゼンチンを築いてきている。通過する各駅の横にはたいてい穀物を貯蔵する巨大なサイロと引込線の跡があるが、旅客列車の停まらないレンガ作りの駅舎は朽ちかけていて、鉄道の栄枯盛衰を見る思いである。


 カニャダ・デ・コメス〜ベル・ビシェ間の車窓
 Paisaje entre Cañada de Gómez y Bell Ville

 8時半、食堂車に行ってみる。椅子はほぼ満席だが、皆が食べているのはコーヒーにお菓子くらいでここの朝食は質素なよう。私もアルゼンチンの国民的菓子であるアルファホール(ドゥルセ・デ・レチェと呼ばれるミルクジャムを2枚のクッキーで挟んだお菓子)とコーヒーを買って朝食とした。9時29分、3時間半ぶりの停車駅であるベル・ビシェに到着。乗客達は車外に出て外の空気を吸う。


 ベル・ビシェ駅 乗客たちは外に出て小休止 機関車の運転士たちは笑顔で写真撮影に応じてくれた
 Estación Bell Ville

 ベル・ビシェを出発すると列車は再び大平原の中を進む。11時7分に貨物列車と交換。この区間の貨物列車は民間の新アルゼンチン中央会社 Nuevo Central Argentino S. A.(略称NCA)が運行を行っていて、百両以上を連ねた貨車にはNCAのロゴが描かれていた。11時12分、ビシャ・マリアに到着。ビシャ・マリア市はロサリオ〜コルドバ間では一番大きな街で人口約8万。鉄道と道路の立体交差もある近代的な街並みで、旅客列車もこのブエノスアイレス〜コルドバ間の週2往復が停まるのに加えて、ビシャ・マリア〜コルドバ間を週3往復運行する列車がある。しかし駅舎は古びた建物に一部白い塗装を付け足すように塗っただけで、昔の面影を残していた。


 ビシャ・マリア駅の駅舎と、プラットフォーム
 Edificio y Andén de la estación Villa María

 11時36分、ビシャ・マリア発車。食堂車へ行き、昼食を取れるか聞いてみると「12時半まで待ってくれれば出す、鶏肉料理だ」と。カフェオレも併せて注文し、椅子に座って外の景色を眺めながらゆっくり待つ。出て来た料理は骨付き鶏足を焼いたものにフライドポテトの付け合わせにパンで、シンプルながら結構美味しかった。


 食堂車内と、出て来た料理
 Coche comedor y su almuerzo

 あとは終点のコルドバまで途中駅は全て通過する。空は晴れて外は暑そうだが、車内は冷房が効いて快適。ビシャ・マリアで下車した客も多く乗車率は7割くらいに減っていて、昼寝をしている人が多く車内は静かだ。車窓は朝から余り変わり映えのしないパンパの大平原が続き、並行する道路を走る車に追い抜かれ、小さな駅を通過して行く。


 ビシャ・マリア〜コルドバ間の車窓
 Paisaje entre Villa María y Córdoba

 15時40分、コルドバの市街地に入る。ブエノスアイレスを出て以来の大都市だ。列車は徐行しながら走り、15時58分、時刻表より1分早くコルドバ駅に到着。大勢の降車客と出迎えの人々で賑わう、終着駅らしい光景であった。


 コルドバ駅に到着
 Llegada a la estación Córdoba


 コルドバ駅 軌間1676mmに加えて一部の線路は軌間1000mm併用の三線軌条となっている
 Estación Córdoba

2月17日:山の列車(コルドバ―コスキン)に往復乗車

 コルドバ市内にはターミナル駅が2つある。一つは先ほど下車したコルドバ駅で、かつての旧アルゼンチン国鉄ミトレ将軍鉄道の駅で軌間は1676mm(一部三線軌条もあり)。もう一つはコルドバ市街中心部より北に2kmほどの所にあるアルタ・コルドバ駅である。こちらはかつての旧アルゼンチン国鉄ベルグラーノ将軍鉄道の駅で軌間は1000mm。1993年頃まではここからもミトレ将軍鉄道とは別ルートでブエノスアイレスへの旅客列車が運行されていたが、現在この駅発の旅客列車は57kmほど北西のコスキンへ行く各駅停車が1日3本あるだけだ。コスキン行き列車は「山の列車 Tren de las sierras」という愛称が付けられ、行楽客で休日は特に混むらしい。コスキン一帯はコルドバ山脈の中に位置しており、どこへ行っても大平原のアルゼンチン中央部の中では珍しく山と湖の景観で、また気候は温暖で温泉もあって、19世紀末より保養地として知られてきた。現在もアルゼンチン国内では観光地として有名で、毎年1月下旬から2月上旬に催される「コスキン・フォルクローレ全国フェスティバル」は南米でも有数の音楽祭である。2月17日日曜朝7時前、アルタ・コルドバ駅に行く。旅客列車は1日3往復だけなのに駅舎は大きく、ホームの背後には10本以上の側線を持った操車場があって、多数の貨車が留置されている。


 早朝のアルタ・コルドバ駅
 Exterior y Andenes de la estación Alta Córdoba

 始発列車の発車までまだ1時間半もあるが、駅待合室には既に30人位の乗客がいる。7時過ぎに窓口が開き切符を購入。コスキンまで僅か15ペソ(44円)とバスの数分の一の運賃であり、余計人気の列車となるのだろう。切符は乗車当日のみの販売で、列車(発車時刻)が指定されるが全車自由席で切符も改札も先着順、あっという間に改札口前には釣竿やクーラーボックスを持った家族連れや若者の長い行列ができ、7時半過ぎになると駅員が列の後方の客に「もう今から並んでも立席になる」と告げている。7時50分、改札が始まり乗車。列車は2両編成の気動車で、アルゼンチン国産車両(一部の部品は輸入)である。2両の間にエンジン専用のごく短い車両が連結器を使わずに接続され、エンジンの下の台車の両端が2両の客車も支えているいわゆる連接車で、2両半くらいに見える変わった車両である。


 アルタ・コルドバ駅で発車を待つコスキン行き列車と、乗車券
 Coche motor con destino Cosquín y Pasaje a Cosquín

 8時26分、座席は満席で各車両10人弱の立客も乗せて列車はアルタ・コルドバ駅を出発した。2つ隣駅のロドリゲス・デル・ブストまでの区間は一部スラム街の中を走る。アルゼンチンではスラム街は「ビシャ・ミセリア(貧困の村)」または略して「ビシャ」と呼ばれていて、ブエノスアイレスでは市内最大のスラム街「ビシャ31」がレティーロ駅のすぐ脇にあるが、ここコルドバでもトタン屋根に石やコンクリートブロックの重しを乗せただけの貧しい家々が線路脇に並んでいる。以前はビシャの住民が列車に投石したり線路を壊したりの被害が多く、2012年から2015年と、2017年から2018年5月までアルタ・コルドバ〜ロドリゲス・デル・ブスト間を運休していたが、住民教育をしたり線路脇にフェンスを設けたりの対策を行い、また2018年5月の運行再開直後は走行する列車に警察のバイクが伴走しての警護まで行い、現在は何とか全線の運行を維持している。

 列車は駅に停まる度に20人前後の客が乗ってくる。途中駅は無人駅で、車掌が駅ホームで車内補充券を各人に売っては乗車を許可しているので停車時間が長引き、列車は遅れていく。8時59分にラ・タブラダ駅を11分延で発車した時には各車両の立客は30人位まで増えて車内は立錐の余地もない混雑に。すると列車は(時刻表では停車駅の筈の)3つの駅を続け様に容赦なく通過していく。各駅ホームにはそれぞれ10-20人位の行楽客が列車を待っていて、呆気にとられた顔をしている。9時34分にラ・カレーラ駅を発車すると車窓左手に並走するスキア川の両側に山が迫り、渓谷地帯を走る。トンネルを潜るときには車掌がサービスで車内の照明を消したり点けたりしていて、皆そんなにトンネルが珍しいのか、車内が真っ暗になる度に乗客達は歓声を上げている。10時8分、カサ・バンバ駅に着き4分停車。山の中の秘境駅みたいな所だが、近くに温泉と山小屋があって降車客がいる。


 満員の車内と、カサ・バンバ駅
 Interior del coche lleno de pasajeros y Estación Casa Bamba

 カサ・バンバを出て15分程走りダムの横を通過すると、サン・ロケ湖が見えてきた。湖には観光ボートも出ていてのどかな風景だ。列車は各駅で行楽客を降ろし、11時2分に終点のコスキンに到着。小さな駅のホームがいっとき降車客で賑わった。次の折り返し列車の出発は15時ちょうどで、せっかくの観光地であり、町歩きをしたり郊外のパン・デ・アスーカルという山に行ったりと時を過ごした。


 車窓からのサン・ロケ湖と、終点のコスキン駅
 Lago San Roque y Estación final Cosquín


 コスキン郊外にあるパン・デ・アスーカルという山へリフトで登ると、頂上からはコスキンの町並みが一望できる
 Aerosilla Pan de Azúcar y Cerro Pan de Azúcar

2月18日:サルタ→グエメスに乗車

 アルゼンチン中央部のコルドバおよびコスキンの鉄道乗車と観光を終え、コルドバ20時45分発の夜行バスで、北西部の街サルタに向かう。アルゼンチンの長距離バスは大抵2階建で、座席は広く、何種類かある座席のランクの中でも最上級の「スイート」は横2+1列で、座席は180°リクライニングするフルフラットシート、車内では温かい食事からワインまで提供される。バスにはトイレも付いているので途中休憩は無く、私が乗ったサルタ行きは途中のトゥクマンで停車した以外は12時間ひたすら走り続け、2月18日月曜8時55分にサルタのバスターミナルに着いた。


 サルタの中心部 ロープウェイでサン・ベルナルドの丘に登るとサルタの街並みとアンデス山脈が一望できる
 Centro de la ciudad de Salta y Vista de la ciudad desde el Cerro San Bernardo

 アルゼンチン北西部に位置するサルタ市は人口約53万で、サルタ州の州都である。現在、サルタ州から他州へ向かう長距離旅客列車は走っていないが、州内の2つの区間で短距離の旅客列車が運行されていて、それらに乗るべくわざわざここまで来たのである。まずはサルタとヘネラル・グエメス(以下グエメスと略)間46kmを結ぶアルゼンチン国鉄のローカル列車に乗ることにする。グエメスは首都ブエノスアイレスから北へ伸びてきた路線が、更に北のボリビア国境へ向かう路線と、サルタを経て西のチリ国境へ向かう路線に別れる分岐駅である。これらの路線の旅客列車の多くは旧アルゼンチン国鉄の民営化に伴って1993年に廃止されてしまったが、アルゼンチンの鉄道の大部分が再度国営化された2012年にサルタ〜グエメス間の列車が復活している。


 サルタ駅舎と、駅構内
 Exterior y Andenes de la estación Salta

 午後0時、市街地の北にあるサルタ駅へ行く。アルゼンチン国鉄のウェブサイトの時刻表では月〜金曜日は2往復、土曜日は1往復、日曜日は運休となっているが、駅の掲示板には月、水、金曜日はもう1往復の追加列車を運行と記されている。グエメスまでの乗車券は16ペソ(45円)。ホームには既に50人以上の乗客が列を作って改札を待っている。ブエノスアイレスやコルドバとは異なり、先住民やメスティソ(先住民と白人の混血)らしい顔立ちの人が多い。列車は2両編成の気動車で、12時33分にほぼ満席の客を乗せてサルタを出発して北へ向かう。列車はモホトロ川に架かる長い鉄橋を渡ると東へ向きを変え、川の幅広い氾濫原の端を走る。


 グエメス行き車内と、エル・ボルド駅
 Interior del coche motor con destino Güemes y Estación El Bordo

 平行する道路も人家もない所をしばらく走り、やがて農地や農家が点在するようになると、13時34分にベタニア駅、13時44分にエル・ボルド駅と停車しては乗客を降ろし、14時2分、終点グエメスに到着した。折り返し列車の切符を買っておこうかと駅窓口に行くと「(時刻表には記されている)15時発は走らない、次の発車は16時半だ」との返事。


 列車の終点のグエメス駅
 Estación final Güemes

 グエメスは小さな町で、町中を散歩するが特に見所もなく、おまけに昼下がりで暑く35度くらいはありそうで、外を歩く人を殆ど見かけず静まり返っている。どうもシエスタの時間らしい。シエスタの習慣は近年ヨーロッパでは廃れつつあるが、ここアルゼンチンでは残っているようで、特にここのような田舎町では今の時間は通りに人影はなく、商店もシャッターを下ろして一時閉店している。早々にサルタへ戻ることとし町のバスターミナルへ向かう。ここではバスは主に長距離客向けらしく、比較的近いサルタへは乗合タクシーが主流で、普通の自家用車に客が4人集まると出発。車は片側2車線で整備された国道を100km/hで突っ走り、50分弱と列車の約半分の時間でサルタ市内中心部に着いた。但し運賃は列車の約6倍の100ペソ(290円)であった。

2月19日:雲の列車(サン・アントニオ・デ・ロス・コブレス―ラ・ポルボリージャ)に往復乗車

 鉄道好きの方なら、世界の鉄道路線の標高ランキングというのは多少は気になると思う。英語版ウィキペディアを見ると、2019年時点では海抜5072mの中国国鉄青蔵線の唐古拉峠をトップに、ペルー・アンデス中央鉄道のティクリオ付近(貨物のみの支線で現在おそらく廃止)、ボリビア・アンデス鉄道会社のコンドル駅(現在貨物列車のみ)、ペルーレイルのラ・ラヤ峠と続き、第5位にこれから紹介するアルゼンチン国鉄C14支線のラ・ポルボリージャ鉄橋が登場する。この路線はサルタから国境を越えてチリの太平洋岸の都市アントファガスタとを結ぶ941kmの国際鉄道で、着工されたのは1921年だが、標高4000m以上のアンデス山脈を越える難工事で、アルゼンチン側だけでも21のトンネル、30以上の鉄橋、2つのスイッチバックに2つのループ線があり、全通したのは1948年。開業当時はサルタからアントファガスタまで旅客列車が国境のソコンパ駅乗り換えで運行されていたが、チリ側の旅客列車は1970年代に運休になっている。アルゼンチン側も週1往復していたソコンパ行き混合列車が2001年頃に廃止されてしまったが、遡ること1972年より、サルタから途中のラ・ポルボリージャ鉄橋までの217kmを日帰りで往復する観光列車「雲の列車 Tren a las nubes」が運行され始めた。沿線の標高の高さから「雲の列車」という愛称になったと思われがちであるが、元は1960年代にアルゼンチンのある学生がサルタ発ソコンパ行き列車の記録映画を撮った時、ラ・ポルボリージャ鉄橋上で蒸気機関車がドレン切りで横に勢いよく出した蒸気が外気の寒さのため鉄橋と列車の周りでしばらく雲のように漂っていた光景を撮影し、これを後に旧アルゼンチン国鉄が短編記録映画として編集した時にナレーション脚本担当者が「雲の列車」と題名を付けたことに由来する(YouTubeでこの記録映画が見れます)。「雲の列車」は沿線の土砂崩れのリスクが高い夏の雨季は運休し、概ね毎年3月から12月までの期間に週1-2往復運行されてきたが、それでも脱線事故や沿線の土砂崩れでしばしば長期運休を余儀なくされてきた。2015年12月にはサルタ市内の鉄橋が「雲の列車」通過の数時間後に大雨による橋脚流出を起こし、鉄橋はその後修復されたものの、全線に亘って鉄橋などの構造物が老朽化して危険な状態であり、2016年からは雲の列車の運転区間を途中のサン・アントニオ・デ・ロス・コブレスとラ・ポルボリージャ鉄橋の間の21kmのみと大幅に減らし、サルタとサン・アントニオ・デ・ロス・コブレス間はバスで連絡するツアーに変わり通年催行で再開されている。スイッチバックもループ線も乗れなくなってしまったのは残念でならないが、将来的にも旅客列車の全線再開はまず無いであろうと考えると、サルタまで来てこのツアーに参加しない訳にはいかなかった。ツアーの申込は「雲の列車」のウェブサイトで可能で、外国人は3420ペソ(9900円)と結構高い(アルゼンチン在住者は2760ペソ、サルタ州民は1100ペソとかなりの価格差がある)。同ウェブサイトには「暖かい上着を持参し、またツアー前夜の夕食は軽めにして、よく寝ておくことを勧める」とあり、また乗車券には「夏季は天候によりツアーが中止や遅延する可能性が増します」と記されてあった。

 2月19日火曜日、朝6時半にサルタ駅へ行く。ツアーのチェックインはサルタ駅窓口で、駅前に停まっているバスに乗り込む。7時19分に出発した3台のバスは、40分ほど走るとカンポ・キハノの町にある静態保存された昔の蒸気機関車の横で休憩。そこから10分ほど走るとトロ渓谷にかかる鉄道橋の下で再び休憩、と鉄道好きには嬉しいサービスだ。


 旧カンポ・キハノ駅と、トロ渓谷にかかる鉄道橋(ここは現在貨物列車のみの運行)
 ex Estación Campo Quijano y Puente de la Quebrada del Toro

 道路と線路は並走する場所が多く、小さな川を渡る時に道路の方は洗い越し(橋を架けずに道路が川の中を通ること)の砂利道とやや強引な造りだが、線路の方は律義に鉄橋が架かっているのが見える。やがてバスはどんどん高度を上げ、標高4080mの峠を越える。広大なアンデス高原の彼方には5000m級の山が聳える絶景で、これが汽車旅だったらなあと思う。私には幸い高山病の症状は出ていないが、このツアーではバスに酸素ボンベを積んでいる上に、常に救急車がバスに伴走しており、各バスにはスクラブを着た医療スタッフが添乗する万全の備えである。そうは言え、心肺機能に問題のある方はこのツアーへの参加は断念すべきであろう。


 アンデスの高原地帯をバスは行く 標高は4000m近くだ
 Paisaje de altiplano de los andes

 12時1分、バスは標高3774mのサン・アントニオ・デ・ロス・コブレス駅前に到着。サルタから2600mも高度を上げてきたので薄ら寒い。ホームには「雲の列車」が待っている。列車はディーゼル機関車に続いて食堂車-客車6両-荷物車-無蓋貨車の9両編成。サルタ駅から来たバス以外にも別の旅行会社がチャーターしたバスからの客や、個人でここまで来た客も加わって車内はほぼ満席となり、12時12分、サン・アントニオ・デ・ロス・コブレスを出発した。


 サン・アントニオ・デ・ロス・コブレス駅と、雲の列車を牽引するディーゼル機関車 機関車はゼネラルモーターズ社よりライセンスを得てアルゼンチンのASTARSA社製造されたGT22CU型(帰途で撮影)
 Estación San Antonio de los Cobres y Locomotora diésel modero GT22CU del Tren a las Nubes

 客車はゆったりとしたクロスシートで乗り心地はまずまず。食堂車へ行くと売っているのは飲み物とお菓子のみだが、窓が広くて景色を眺めるのに丁度良い。列車は草木も少ない荒涼としたアンデスの山の中を右へ左へと大きなカーブを描き、高度を上げながらゆっくりと進む。


 サン・アントニオ・デ・ロス・コブレス〜ミーナ・コンコルディア間の車窓
 Paisaje entre San Antonio de los Cobres y Mina Concordia

 13時ちょうど、標高4144mのミーナ・コンコルディア駅に停車。かつて駅周囲は銀の採掘場であったが、現在は廃坑となっている。ここから列車の折り返し地点のラ・ポルボリージャ鉄橋までは2.1kmだが、ラ・ポルボリージャ鉄橋は単線の線路だけなので、側線のあるミーナ・コンコルディアで機関車の機回しを行って推進運転で出発。


 ミーナ・コンコルディア駅と、ラ・ポルボリージャ付近の車窓
 Estación Mina Concordia y Paisaje entre Mina Concordia y Viaducto la Polvorilla

 間もなく車窓左手に巨大な鉄橋が見えてきた。標高4220mにあるラ・ポルボリージャ鉄橋は1932年竣工で全長約224m、地表からの高さは最大63mである。列車は10分程かけて鉄橋をゆっくりと往復し、13時35分、橋のたもとに停車した。30分間の停車となる。列車の脇には小さな広場があって、地元の先住民達が織物などの民芸品を売っている。高さ数メートル程の展望台もあるが、階段を少し登るだけでも息切れがする。鉄橋を眺めていると、90年前の人々はよくぞ辺境のアンデスの山奥にこのような構造物を造ったものだと感心せずにはおれなかった。ガイドの説明によると、現在も貨物列車はサルタ〜アントファガスタ間を不定期で月1-2往復運行しているとのことだが、我々は残念ながらここから先へは乗ることができない。実はこの路線の最高地点はラ・ポルボリージャ鉄橋ではなく、更に12km先のアブラ・チョリージョス駅の標高4475mである。貨物列車の運行が本当にあるのなら、この路線はペルーレイルのララヤ峠を抜いて鉄道標高ランキング世界第4位となる。


 折り返し地点のラ・ポルボリージャ鉄橋
 Vista del Viaducto la Polvorilla

 14時9分、列車はラ・ポルボリージャ鉄橋を出発して帰路に就く。サン・アントニオ・デ・ロス・コブレスで列車を降り、休憩時間で町なかのレストランで昼食を食べ、土産物屋に寄った後に再びバスに乗り、20時前に夕暮れのサルタ駅前に戻ってきた。絶景続きの楽しいツアーであったが、それだけに一層「雲の列車」が走らず乗れなかった区間のことが心残りであった。

2月20日〜2月21日:サン・ミゲル・デ・トゥクマン→ブエノスアイレス(レティーロ)に乗車

 サルタ発21時30分の夜行バスに4時間乗って、約230km南にあるサン・ミゲル・デ・トゥクマン(以下トゥクマンと略)へ向かう。トゥクマン市は人口約55万の国内第五の都市である。50代以上の日本人にはアニメ「母をたずねて三千里」で、話の最後に主人公マルコが母親に再会する町として記憶にあるかもしれない。2月20日水曜日朝10時、トゥクマン市街を散歩する。今日の天気は快晴で暑い。中心部の独立広場には州庁舎やカテドラルなどの歴史的建造物が建ち、一方繁華街には近代的なオフィスビルが並んでいる。12時半、ブエノスアイレス行き列車に乗るべくトゥクマン駅へ向かう。駅舎は、軌間1676mmの鉄道がブエノスアイレスからロサリオ、ラファエラ経由でトゥクマンまで開通した1891年にオープンした古い建物で、特にホームを覆うトレイン・シェッドは開業当時そのままと思われる鉄骨が張り巡らされている。ちょうど改札が始まり、沢山の荷物を抱えた乗客達が次々と改札を通ってホームへと向かう。ブエノスアイレス(レティーロ)行き列車はディーゼル機関車を先頭に、電源車-荷物車-プリメラ(横2+2列の普通座席車)5両-食堂車-プルマン(横2+1列の上級座席車)3両-カマロテ(個室寝台車)-荷物車の13両編成で、機関車は中国の中車大連機車車輛製CKD8H型、客車は中国北車(現在の中車)長春軌道客車股份製のまだ真新しい車両だ。一方、その両側の線路には、かつて民営時代のフェロセントラル社が運行していた時代の客車と、もう一方には更に古い錆び付いた客車が廃車同然で留置されたままになっている。


 サン・ミゲル・デ・トゥクマン駅
 Estación San Miguel de Tucumán


 トゥクマン駅の駅舎と、発車を待つブエノスアイレス(レティーロ)行き266列車
 Exterior de la Estación Tucumán y Tren de pasajeros Nro. 266 con destino Buenos Aires Retiro (a la derecha) y el material rodante de la ex empresa Ferrocetral (a la izquierda)

 本日の私の切符はカマロテ(個室寝台車)である。コルドバ行き列車のところでも触れたが、ブエノスアイレスとトゥクマンおよびコルドバをそれぞれ週2往復する長距離列車は全席指定だがいずれも人気が高く、特に各列車に1両しかない寝台車の切符は二ヶ月前位には売り切れるほどである。それでも私は何としても一度はこの寝台車に乗ってみたいと思い続け、旅行に行ける目処の立った1月4日にアルゼンチン国鉄のウェブサイトで見つけた直近の寝台車の空きが、2月20日発のこの列車であった。念願の寝台車に入る。片側通路式の個室寝台が12室ならび、各室内は上下2段式のシングルベッドと机があり、上段寝台は折りたたみ式になっている。また枕、毛布、シーツが置かれている。寝台車は部屋単位での販売で、1人または2人での使用となっており、ネット割引で1室2425.5ペソ(7030円)であった。


 カマロテ(個室寝台車)の通路、個室内、寝台車乗車券
 Interior del coche camarote y Pasaje de Tucumán a Buenos Aires Retiro

 13時3分、ブエノスアイレス(レティーロ)行き266列車はトゥクマン駅を出発。アルゼンチンの旅客列車の中では現在この列車が最長距離であり、1156km、31時間の長旅がいよいよ始まった。列車はトゥクマン市内を半周するようにゆっくりと走る。これも長距離列車の序走らしい貫禄かなと思っていたが、市街地を抜けてサトウキビ畑や草原地帯に入り、線路は定規で引いたような一直線になっても速度はあまり上がらず30km/hくらいで走っている。かつて1969年から数年間運行されていた「ブエノスアイレス・トゥクマン急行 Expreso Buenos Aires Tucumán」はブエノスアイレス〜トゥクマン間1156kmを14時間58分で走破していたのだが、同じ線路を現在の列車は2倍以上の時間をかけている。線路の保守や改修が行き届いていないためであろうが、この国の鉄道の栄枯盛衰を見る思いである。列車は30分から1時間毎に小さな集落に入ると荒れ果てたレンガ造りの廃駅と給水塔が現れ、その横を通過して行く。


 トゥクマン〜ラ・バンダ間の車窓
 Paisaje entre Tucumán y La Banda

 やがてトゥクマンを出て以来の街並みに入り、18時25分にラ・バンダ駅に到着。ラ・バンダはドゥルセ川を挟んで州都サンティアゴ・デル・エステーロと対峙しており、2つの都市の間には「発展への列車 Tren al Desarrollo」という愛称の鉄道があって、全線高架の8kmをレールバスが走っている。


 ラ・バンダ駅と、高架線を走る「発展への列車 Tren al Desarrollo」
 Estación La Banda y "Tren al Desarrollo"

 18時43分、ラ・バンダを発車。夕日が草原に沈んで行くのを眺めていると、食堂車の従業員が夕食の注文を取りに来た。わざわざ注文を取りに来るのは寝台車だけであろうが親切である。メニューはポジョ(鶏肉)またはナントカ、と後者が聞き取れないので鶏肉にする。21時になったら食堂車に来いとのこと。アルゼンチンの夕食時間は一般的に遅く、町のレストランも夜は20時開店の店が多い。外も真っ暗になった21時、食堂車へ行く。出てきた料理は鶏胸肉にチースとトマトソースを乗せて焼いたものにマッシュポテトの付け合わせにパンで、味はまずまずであった。ただこの食堂車で夕食をとる乗客は少ないように見えた。


 草原の夕暮れと、食堂車の夕食
 Atardecer pampeana y Cena en el Coche comedor

 寝台車に戻り寝支度をする。冷房が効きすぎて少し寒いが、セーターを着て毛布を被れば眠れそうである。列車は少し速度を上げ60km/hくらいで走っているが、広軌のおかげで揺れもさほど無い。

 2月21日木曜日朝7時、車窓には牧草ロールが点在し、多数の牛が草を食む草原や、小麦畑が広がっている。8時8分、ラファエラ着。15分間の停車で、長旅の乗客達も車外に出て気分転換をする。ラファエラは人口約10万の地方都市だが、この駅で新たに乗ってきた客は十数人だけ。市街地の外れにある駅は無人駅で、古びた駅舎とホームを覆う大きな木が趣深い雰囲気だが、小さな駅前広場は人影もなく静まり返っていて、殆どの住民には見限られた鉄道の姿を見るようであった。


 ラファエラ駅 牽引機は中国製CKD8H型ディーゼル機関車で最高時速160kmを出せることになっている
 Estación Rafaela y Locomotora diésel eléctrica modero CKD8H con velocidad máxima 160 km/h

 10時30分にガルベスに停車。列車はパンパと呼ばれる山も谷もない平野を南に向かって走り続け、いくつもの小さな村々を通り過ぎて行く。


 ガルベス付近の車窓 牧草地や小麦畑が広がる
 Paisajes cercanos a Gálvez

 13時頃には国内第三の都市ロサリオの都市圏に入り、列車は家並みの間を20km/h位でおそるおそる走る。コルドバおよびブエノスアイレスからの線路と合流して、13時39分、ロサリオ北駅に到着した。ここは頭端駅で、約20分の停車の間に機関車は反対側に付け替えられる。駅ホームは乗降客しか入れないが、ホームの柵越しに何人もの物売りがいて、ミラネサ(牛カツ)を挟んだサンドイッチとアイスクリームを買う。


 ロサリオ北駅 この駅で進行方向が変わるので機関車を反対側に付け替える
 Estación Rosario Norte

 14時51分にロサリオ南駅を出発すると、線路の状態が良くなったのか列車は80km/h以上の今までにない速度で走り出す。ブエノスアイレス〜ロサリオ間はアルゼンチンの鉄道の中でも最幹線であり線路も複線で、旅客列車もブエノスアイレスとトゥクマンおよびコルドバを結ぶそれぞれ週2往復の列車に加え、ブエノスアイレス〜ロサリオ間の区間列車が毎日運行されている。車窓にはパラナ川下流の肥沃な平野が広がる。


 サン・ペドロ付近の車窓
 Paisaje cercano a San Pedro

 17時14分、サン・ペドロでトゥクマン行き列車と交換。18時27分、サラテ通過。ここからはブエノスアイレス方面へ1日8往復の近郊列車が走っている。19時45分にホセ・レオン・スアレスを通過する頃には車窓はブエノスアイレス都市圏の住宅密集地となり、20分毎に走っている通勤電車と度々すれ違う。日は暮れ、ブエノスアイレス市内の街の灯りの中を、列車は私が6日前にブエノスアイレスを出た時と同様にミトレ線からサン・マルティン線への渡り線をゆっくり通り、20時41分、レティーロ駅に到着した。改札を出て通りに出ると駅周辺は大都会ブエノスアイレスらしい雑踏で騒がしく、アンデスの高原やパンパの草原が懐かしく思えた。


 レティーロ駅に到着
 Llegada a la Estación final Retiro San Martín

1) Informe Estadístico Anual 2017 – Red Ferroviaria de Pasajeros Regionales, de Larga Distancia. Comisión Nacional de Regulación del Transporte (アルゼンチン国家運輸調整委員会).

2) アルゼンチンのテレビ局Canal 13 de Buenos Aires (eltrece) の報道番組「Telenoche」はブエノスアイレス発トゥクマン行きの長距離列車を取材して、「貧しい人達の列車 El tren de los pobres」というタイトルで2016年12月に放映している。El tren de los pobres (Primera parte)El tren de los pobres (Segunda parte)

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