アルゼンチン鉄道旅行第三回(2020年1月27日〜2月6日)


   アルゼンチン鉄道路線図(2020年2月時点)

  • 1月28日
    • リニエルス→メルロ→マルコス・パス→メルロ→ブエノスアイレス(オンセ)に乗車、およびブエノスアイレス(ラクロセ)→ヘネラル・レモス→ルベン・ダリオ‥‥フリンガム→ブエノスアイレス(レティーロ)に乗車
  • 1月29日
    • ブエノスアイレス(レティーロ)→ビクトリア→カピシャ・デル・セニョール→マテウ‥‥ビシャ・ローサ→ブエノスアイレス(レティーロ)に乗車
  • 1月29日〜1月30日
    • ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)→バイア・ブランカに乗車
  • 1月31日〜2月1日
    • ビエドゥマ→インヘニエロ・ジャコバッチに乗車
  • 2月1日
    • ラ・トロチータ(インヘニエロ・ジャコバッチ―オホス・デ・アグア)に往復乗車
  • 2月2日
    • サン・カルロス・デ・バリローチェ→インヘニエロ・ジャコバッチに乗車


 ブエノスアイレス市および近郊の鉄道路線図(2020年2月時点、地下鉄は除く) レティーロ〜ビシャ・ローサはフェロビアス社が運営、ラクロセ〜ヘネラル・レモスはメトロビアス社が運営、他の路線はアルゼンチン国鉄である
 ・赤線は今回の旅行で乗った路線
 ・黄緑線は前回までに乗車済みの路線
 ・紫線は未乗の路線
 ・=は高速道路

(文章中の為替レートは乗車当時のものです。)

 前回(2019年2月)の旅行を終えてから、私はアルゼンチンの鉄道路線地図を眺めながら「ひょっとして、この調子であと2〜3回アルゼンチンに行けば、アルゼンチンの鉄道の完乗ができるかもしれない」と思い始めていた。後年になって、それは全く甘い考えであったことを思い知らされることになるのだが、2020年1月27日、私は完乗を目指して性懲りもなくアルゼンチンへと向かった。

2020年1月28日:リニエルス→メルロ→マルコス・パス→メルロ→ブエノスアイレス(オンセ)に乗車、およびブエノスアイレス(ラクロセ)→ヘネラル・レモス→ルベン・ダリオ‥‥フリンガム→ブエノスアイレス(レティーロ)に乗車

 今回の旅行の1月29日夜以降の列車の切符は全て予約を要するものばかりで、日本出発前にネットで購入済みである。その中でも1月29日19時53分ブエノスアイレス発バイア・ブランカ行きは、入手困難なカマロテ(個室寝台車)の乗車券を二ヶ月以上前の前年11月20日に予約・購入しており、国際線の飛行機でよくある遅延・欠航とかのせいでこれを絶対に乗り逃したくはない〜と思い、前日の1月28日にブエノスアイレスに到着する航空券を手配した。

 アルゼンチンの鉄道を完乗するためには、長距離列車と地方ローカル線の短距離列車の乗車が手間も時間もかかるので難関である。が一方、ブエノスアイレス近郊に張り巡らされたアルゼンチン国鉄およびフェロビアス社、メトロビアス社の市内・郊外路線、ブエノスアイレス地下鉄も合わせると約800kmに及び、南北アメリカ大陸ではニューヨークに次ぐ第二の都市鉄道網である。約800kmの内の半分位は長距離列車と線路を共有しているので、長距離列車に乗ることでそれらは自然にクリアできるが、それ以外の近郊列車のみが走る区間は時間の許す限りコツコツと乗り潰さなくてはならない。まずは1月28日朝にブエノスアイレス到着次第、ブエノスアイレス近郊路線の中でも一日3往復しか運行していない、アルゼンチン国鉄サルミエント線群のラス・エラス〜ロボス間を攻略したい。一日3往復のうち1本目(一番列車)は日の出前の早朝、3本目(終列車)はほぼ日没後の夜間の運行で、沿線の景色が見れるのは昼間の2本目のみである。これに乗るためには、まずサルミエント線ブエノスアイレス(オンセ)発9時15分のモレノ行き電車に乗らなければならない。

 メキシコシティから乗った飛行機は15分の遅れで、1月28日火曜日午前7時15分にブエノスアイレスのエセイサ国際空港に着陸した。飛行機が誘導路を通り、ボーディング・ブリッジに横付けされ、前方の客から順番に降機し、入国審査までの長い通路を速足で通り抜け、でも入国審査はそれなりに行列で待たされ、(荷物は機内持ち込みだけなので)税関検査に直行し、制限区域から空港内ロビーに出た時には既に8時20分過ぎであった。アルゼンチン・ペソの持ち合わせは僅かなので空港内のアルゼンチン国立銀行で両替をし(為替レートは良くないが、首都の国際空港なのにここは民間の両替所は無い)、ロビーにあるタクシー会社のブースでタクシーチケットを買い(空港の外で待っている流しのタクシーの方が安いかもしれないが、この空港ではボッタクリタクシーに出会うリスクが高い)、空港をタクシーが出たのは8時35分頃であった。今の時間帯を考えると、道路渋滞で市内中心部にあるオンセ駅に9時15分までに着くのはまず不可能であろう。でも私はこういう場合に備えて、前もって代案も用意していた。オンセ発モレノ行き電車は途中リニエルスという駅を通るが、リニエルス駅は高速道路に近く、またブエノスアイレス市内中心部からもやや離れているので道路渋滞にも合わずに済むかもしれない。タクシー運転手にリニエルス駅に向かってくれるようお願いし、タクシーは道路渋滞も殆どなく高速道路を順調に走行し、リニエルスの高速道路の出口は駅から1km程と近く、9時7分にタクシーは首尾良くリニエルス駅前に到着した。約10分毎に運行しているモレノ方面行きの電車は5分くらい遅れていたが、余裕で予定より2本前のモレノ行きに乗る。車窓には変哲もないビルと住宅の都会の光景が流れるが、一年ぶりの海外の鉄道に訳もなく心が踊るのは我ながらビョーキである。10時3分、乗換のメルロ駅に到着した。


 サルミエント線リニエルス駅と、メルロ駅で発車を待つラス・エラス、ロボス方面への客車列車
 Estación Liniers de la Línea Sarmiento y Estación Merlo donde se observa al tren diésel con destino Lobos

 メルロからラス・エラス、ロボス方面への列車ホームは頭端式で非電化である。10時19分発ロボス行きはディーゼル機関車に客車3両で、クロスシートの座席に3割程度の客が乗るが、発車時間を過ぎても一向に発車する気配は無く、隣の電車線には10分毎に次々とモレノ行きが到着しては出て行く。時々駅舎の拡声器からのアナウンスが何か言っているのが聞こえてくるが、全く意味が分からない。車内で待っている乗客もいることだし、ここは待つしかないだろう。先ほど空港で一人バタバタ焦っていたのが我ながらバカらしく思えてくるが、得てしてこんなものである。11時15分、約1時間遅れでやっと発車。列車は南西に進路を取り、並行する道路を走る車に抜かれながら住宅が散在する郊外を走る。11時44分、マルコス・パス駅に到着。この駅は降りる客が多いな、と思っていたら私以外の乗客全員が降りてしまった。嫌な予感がして私もホームに降りてみると、新たな客が数人乗り込み、また列車の進行方向を見ると機関車が客車から切り離されて遠ざかって行く。ここで運転打ち切り?、となるとこの列車は折り返し運転に?、の疑惑が強まる。機関車は渡り線を通って客車の横をすり抜け、到着時とは反対側に付け替えられのを見て、疑惑は確定した。ホームにいた駅員に「次のロボス行きは何時?」と聞くと、平然と「18時だ」と終列車の発車時刻を告げられる。まさか18時までここで待ってはいられない。折り返しとなった列車に乗りメルロに戻り、メルロでオンセ行き電車に乗り換え、13時21分にブエノスアイレスのターミナル駅の一つであるオンセ駅に到着した。


 サルミエント線マルコス・パス駅と、オンセ駅
 Estación Marcos Paz y Estación Once de la Línea Sarmiento

 初っ端からつまずいてしまったが、海外の鉄道ではこういった予期せぬ突然の運休・運転打ち切りは日常茶飯事で、私自身今までに中国、ドイツ、カメルーン、米国、グアテマラ、ニカラグアなどの国で既に経験済みである。日本の鉄道だけが世界的にも珍しいくらい正確なだけである。いつか将来、またロボス行きの列車に乗る日が来るのを想像するのも悪くない。気を取り直し、ホテルにチェックインして日本から持ち続けてきた荷物を部屋に置いてやっと身軽になる。今日の午後は楽な程度の乗りつぶしのみとしよう。地下鉄B線に乗ってフェデリコ・ラクロセ駅で降りて地上に上がると、「ウルキサ将軍鉄道 Ferrocarril General Urquiza」と大きな看板を掲げた駅舎があり、これがウルキサ線のフェデリコ・ラクロセ駅(通称ラクロセ駅)である。「ウルキサ将軍鉄道」は旧アルゼンチン国鉄時代の6つの路線網の名称の一つで、かつてはここからパラグアイ国境のポサーダスまで1100kmを走る長距離列車が走っていたが、1991年から1995年にかけて旧アルゼンチン国鉄は全路線がコンセッション方式で民営化されると、全国の長距離旅客列車は次々と廃止され、ブエノスアイレス(ラクロセ)〜ポサーダス間の旅客列車も2011年に廃止。2010年から2015年までに殆どの鉄道は再国営化されて新アルゼンチン国鉄となったが、旧ウルキサ将軍鉄道で現在も旅客列車が走っているのは、アルゼンチン国鉄が運行するパラナ州のパラナ〜コロニア・アベシャネーダ間15kmと、メトロビアス社が運行するここブエノスアイレス(ラクロセ)〜ヘネラル・レモス間25km(通称ウルキサ線)のみである。今や近郊電車が発着するのみのラクロセ駅だが、今は使われていない長距離列車の長いホームを含めて5面9線もあり、かつての大ターミナル駅の面影を残している。


 ウルキサ線フェデリコ・ラクロセ駅
 Estación Federico Lacroze de la Línea Urquiza

 ウルキサ線は平日昼間は15分毎に電車が運行しており、14時30分発ヘネラル・レモス行きに乗って出発。当路線は軌間1435mm、第三軌条方式で、電車は1973年に東芝などの日本企業連合が製造・輸出した電車(一部はアルゼンチンでのノックダウン生産もあり)で、現地では "Toshiba" の愛称で現在も活躍している。


 フェデリコ・ラクロセ駅で発車を待つ電車と車内 車体番号M.U.3820は、機器は東芝または三菱製、製造は東急車輌で1973年製
 Coches eléctricos Toshiba parado en estación Federico Lacroze y su interior

 電車は2-3分毎に小まめに駅に停車しながら住宅街を西に向けて走り続け、ルベン・ダリオ駅の先で車両基地を過ぎると電車は右に急カーブして北西に向けて走り、8分の遅れで15時25分に終点のヘネラル・レモスに到着した。ヘネラル・レモスの駅前は郊外の大通りが交差するだけの所で特に見る所もなさそう。


 ウルキサ線ヘネラル・レモス駅前と、駅のホーム
 Exterior y Andenes de la estación General Lemos

 ルベン・ダリオまで折り返し、そこから5分程歩くと国鉄サン・マルティン線のフリンガム駅があり、そこから15分毎に走っているレティーロ行きに乗ってブエノスアイレスに戻った。


 ウルキサ線は第三軌条方式で、踏切に警告の掲示があるが危なっかしそう サン・マルティン線のフリンガム駅
 Tercer riel a situado en la Línea Urquiza y Estación Hurlingham de la Línea San Martín

1月29日:ブエノスアイレス(レティーロ)→ビクトリア→カピシャ・デル・セニョール→マテウ‥‥ビシャ・ローサ→ブエノスアイレス(レティーロ)に乗車

 1月29日水曜日、今日は夜行列車に乗るまでの昼の間、ブエノスアイレス近郊路線の乗りつぶしに引き続き精を出すこととする。まずレティーロ駅ミトレ線へ行き、7時4分発ティグレ行き電車に乗る。通勤方向とは逆なので車内の座席は3割位が埋まる程度だが、何人もの物売りがひっきりなしに車内を行き来しては、大声を上げながら菓子や文房具などを売り回っている。7時45分、ビクトリア駅で降りる。次なるターゲットはここから出るカピシャ・デル・セニョールへの非電化の支線56kmで、特に末端のマテウ〜カピシャ・デル・セニョール間は平日8〜9往復のみの閑散路線である。カピシャ・デル・セニョール行きはディーゼル機関車に客車2両で、各車両に10人位の客を乗せて時刻表通り8時20分に発車。


 レティーロ駅のミトレ線ホームと、ビクトリア駅で発車を待つカピシャ・デル・セニョール行き(牽引機は米国ゼネラルモーターズ・エレクトロ・モーティブ・ディビジョン (GM-EMD) 製G12型ディーゼル機関車)
 Andén de la estación Retiro de la Línea Mitre y Tren de pasajeros con destino Capilla del Señor parado en la estación Victoria

 最初は工場や住宅地の中を走っていたが、9時22分にマキニスタ・サビオ駅を出た辺りから家並みが途切れ、9時35分にマテウ駅に到着。交換列車の遅れのためマテウを9時54分に発車、車窓はアルゼンチンらしい畑や草原の風景となり、10時57分、25分の遅れで終点カピシャ・デル・セニョールに到着した。こういった閑散ローカル線を制覇した時の満足感は何とも言えない。


 マテウ駅での列車交換と、カピシャ・デル・セニョール行き車内
 Estación Matheu y Interior del coche


 マテウ〜カピシャ・デル・セニョール間の車窓と、終点カピシャ・デル・セニョール駅
 Paisaje entre Matheu y Capilla del Señor y Estación final Capilla del Señor

 11時20分発の折り返し列車でカピシャ・デル・セニョールを後にし、12時24分に着いたマテウで下車する。ここマテウから12km程南西に行くとベルグラーノ北線の終点ビシャ・ローサ駅があり、これに乗ってブエノスアイレスへ戻れれば、ほぼ一往復の行程で二路線を制覇できる。駅前のバス停(東行)から「276番」のバスに乗ればビシャ・ローサ方面へ行けることを前もってネットで調べておいたが、いざ276番と表示されたバスが来て運転手に「ビシャ・ローサへ行く?」と尋ねても「No」の返事。300m程歩くとマテウとビシャ・ローサを結ぶ大通りがあり、ここのバス停で待った方が確実そう。アルゼンチンのバス停は(ブエノスアイレス市内を除くと)時刻表はおろか路線名の表示すら全く無い簡素なバスシェルターが多く、余所者が利用するにはハードルが高い。で、ここに現れた276番は幸いビシャ・ローサへ行くらしく、バスは15分程でビシャ・ローサ駅横へ着いた。

 ベルグラーノ北線は、旧アルゼンチン国鉄時代の「ベルグラーノ将軍鉄道 Ferrocarril General Belgrano」に由来する。ベルグラーノ将軍鉄道は軌間1000mm、当時の旧アルゼンチン国鉄の6つの路線網の中でも最大で、南はブエノスアイレス州から北はアルゼンチン最北のサルタ 州・フフイ州まで多くの路線を擁し、チリ国境およびボリビア国境へ通じる国際路線まであった。しかし1990年代前半の国鉄民営化の前後で長距離旅客列車の殆どが廃止され(北部のチャコ州のみは州営鉄道として中距離旅客列車が運行された)、2010年代前半の鉄道再国営化を経て現在も残っている旧ベルグラーノ将軍鉄道の旅客営業路線は、ブエノスアイレス近郊のベルグラーノ北線およびベルグラーノ南線、アルタ・コルドバ〜コスキン間57km、サルタ〜グエメス間46km、雲の列車(サン・アントニオ・デ・ロス・コブレス〜ラ・ポルボリージャ間21km)、チャコ州の2路線(カクイ〜ロス・アモーレス間143km、サエンス・ペーニャ〜チョロティス間188km)のみである。うちベルグラーノ北線はフェロビアス社、雲の列車はサルタ州立の会社が運営し、他の路線はアルゼンチン国鉄が運行している。ビシャ・ローサ駅は工事中のため駅舎は無く、仮設のホームが2面あるだけであった。13時32発の客車列車に乗り、列車は途中20の駅に停まりながらブエノスアイレスの郊外を走り、中心街に入り、15時05分、ブエノスアイレスのレティーロ駅に到着した。


 ベルグラーノ北線の終点ビシャ・ローサ駅 ベルグラーノ北線の運営は国鉄ではなく民間のフェロビアス社が行なっている
 Estación final Villa Rosa de la Línea Belgrano Norte, dado en concesión a la empresa Ferrovías

1月29日〜1月30日:ブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)→バイア・ブランカに乗車

 1月29日18時過ぎ、ブエノスアイレスの鉄道の南の玄関と言えるプラサ・コンスティトゥシオン駅に行く。大きな駅舎の上部は「ロカ将軍 General Roca」と彫られ、駅に入るとドーム状の高い天井のコンコースは壮麗で、長旅への期待も自ずと高まる。旧アルゼンチン国鉄時代の「ロカ将軍鉄道 Ferrocarril General Roca」はブエノスアイレス州南部に稠密な路線網を持ち、加えてパタゴニア地方のサン・カルロス・デ・バリローチェや、「ラ・トロチータ」の愛称で知られる軌間750mmのエスケルへの路線なども有していた。しかしこれらの路線網も他の旧国鉄路線網と同様に、1990年代前半の国鉄民営化から2010年代前半の鉄道再国営化までの間に旅客列車の多くが廃止され、現在も残っている旅客営業路線は、アルゼンチン国鉄が運行するブエノスアイレス近郊のロカ線と呼ばれる路線網、同じく国鉄が運行するブエノスアイレス(プラサ・コンスティトゥシオン)から夫々バイア・ブランカまで680km、およびマル・デル・プラタまで399kmの路線、シポシェッティ〜ネウケン間5km、リオ・ネグロ州よりコンセッション方式でトレン・パタゴニコ社 Tren Patagónico S.A が運行するビエドゥマ〜サン・カルロス・デ・バリローチェ間819km、ラ・トロチータの短距離観光列車3ヶ所である。


 プラサ・コンスティトゥシオン駅の外観と、コンコース
 Exterior y Vista del hall central de la estación Plaza Constitución

 19時20分にバイア・ブランカ行きの改札が始まる。バイア・ブランカ行きは週3往復の運行で、列車はディーゼル機関車を先頭に、電源車-カマロテ(個室寝台車)-プルマン3両-食堂車-プリメラ5両-荷物車の12両編成で全車指定席。カマロテ(個室寝台車)に乗るのは二度目だが、一人で使うには十分な広さで、13時間後に終点に着いてしまうのが勿体無く思えてくる。19時53分、時刻表通りにバイア・ブランカ行き333列車はプラサ・コンスティトゥシオンを出発、薄暮のブエノスアイレス市街をゆっくりと南へ進む。市街地を抜けると車窓は真暗となり、ブエノスアイレス近郊列車の終点であるモンテに22時10分に着。ここから先を行く旅客列車は、週3往復走るこの夜行列車だけである。


 プラサ・コンスティトゥシオン駅の長距離列車待合室と、発車を待つバイア・ブランカ行き333列車
 Sala de espera en la estación Plaza Constitución y Tren de pasajeros Nro. 333 con destino Bahía Blanca

 1月30日木曜日、朝6時過ぎに目覚めるとちょうど日の出時で、車窓左手には草原の彼方になだらかな山脈が見える。6時24分にピグエ駅に停車。


 ピグエ駅付近の早朝の車窓と、ピグエ駅
 Paisaje cercano a Pigüé y Estación Pigüé

 6時47分にサーベドゥラ駅に停車、7時22分にトルンキスト駅に停車、畑や牧草地ばかりの車窓からやがて大きな街並みが徐々に現れ、僅か1分の遅れで8時48分、終点のバイア・ブランカに到着した。


 トルンキスト付近の車窓と、カマロテ(個室寝台車)の室内
 Paisaje cercano a Tornquist y Interior del coche camarote


 バイア・ブランカに到着、駅舎の外観
 Andenes y Exterior de la estación Bahía Blanca


 バイア・ブランカ駅に留置中の列車
 Tren de pasajeros Plaza Constitución - Bahía Blanca parado en la estación Bahía Blanca

1月31日〜2月1日:ビエドゥマ→インヘニエロ・ジャコバッチに乗車

 首都ブエノスアイレスからバイア・ブランカ、カルメン・デ・パタゴネス、ビエドゥマを経由してアルゼンチン南西部のサン・カルロス・デ・バリローチェ(以下、バリローチェと略)まで1741kmは線路が繋がっており、 1995年までは直通列車が走っていたが、その後に旅客列車は北東側半分のブエノスアイレス〜カルメン・デ・パタゴネス間と西側半分のビエドゥマ〜バリローチェ間にネグロ川を挟んで分断され、更に2011年には北東側はブエノスアイレス〜バイア・ブランカ間のみに短縮されて現在に至っている。従って現在は、列車が途切れたバイア・ブランカからビエドゥマまではバスで行くしかない。

 1月31日金曜日、バイア・ブランカのバスターミナルから朝6時40分発のバスに乗ってビエドゥマに向かう。車窓は緑の草原から茶色がかった半乾燥の草原(ステップ)に変わり、ネグロ川に架かる道路専用橋を渡ると、10時47分にビエドゥマのバスターミナルに着いた。ビエドゥマはリオネグロ州の州都で、ネグロ川を挟んだ北岸にあるブエノスアイレス州のカルメン・デ・パタゴネスとは双子都市になっている。ビエドゥマ発の列車の発車まで時間がある。この町で私が一番見たい場所は、先程通った道路専用橋とは別の、ネグロ川に架かる鉄道道路併用橋である。バスターミナルで客待ちしていたタクシーにお願いして連れて行ってもらう。カルメン・デ・パタゴネスとビエドゥマを結ぶこの鉄道道路併用橋は1931年竣工で橋長は268m、橋桁のビエドゥマ側は可動橋(跳ね橋)となっている。かつてブエノスアイレスからバリローチェまで直通列車が走っていた時代は、列車に乗った新婚旅行のカップルはここで車窓からコインを川に投げる習慣があったとか、また2012年から2013年にかけて橋桁の架け替え工事が行われたが、その後もここでカップルが橋の金網に南京錠をかけるのが流行ったらしい。2019年8月にはビエドゥマとバリローチェを結ぶ旅客列車がこの橋を渡ってカルメン・デ・パタゴネスまで延長運転されたが、橋の列車運行に危険が見つかったとのことで僅か一往復しただけで再び運休になり、現在この橋を渡る列車はない。橋への歩行者用階段を登ると車道に接して鉄板の歩道もあって、歩くこともできる。いつの日か旅客列車が再開されて、ここを再び訪れる機会はあるだろうか?。


 カルメン・デ・パタゴネスとビエドゥマ間のネグロ川に架かる鉄道道路併用橋と、その可動橋の接続部
 El puente ferrocarretero que une Carmen de Patagones y Viedma, cruzando sobre el río Negro


 列車の来ないカルメン・デ・パタゴネス駅 駅前には1922年にカルメン・デ・パタゴネスまで路線が開業した時の蒸気機関車が静態保存されている
 Estación Carmen de Patagones que no presta servicios de pasajeros


 ビエドゥマ側から見たカルメン・デ・パタゴネスの町
 Vista hacia Carmen de Patagones observada desde la costanera de Viedma

 16時半、町外れにあるビエドゥマ駅へ行く。駅にはバリローチェ行きの列車が既に停まっている。これがビエドゥマ〜バリローチェ間819kmを週1往復のみ運行している列車で、ビエドゥマ発は毎週金曜日18時である。ディーゼル機関車を先頭に、車運車(いわゆるカートレイン)-荷物車-カマロテ(個室寝台車)2両-食堂車-プリメラ1両-プルマン2両の8両編成で全車指定席。この鉄道はアルゼンチン国鉄ではなくリオネグロ州が所有し、コンセッション方式でトレン・パタゴニコ社が旅客および貨物列車を運行している。トレン・パタゴニコ社はウェブサイトを持っているが、指定席乗車券はPlataforma 10というアルゼンチンのバス座席予約システムのウェブサイトからの購入となっていて、私は二ヶ月以上前の前年11月20日に(カマロテは満室で)プルマンの乗車券を入手した。その後もPlataforma 10のサイトを時々チェックしていた所、日本出発の1週間前に、おそらくキャンセルが出たカマロテの空き1席を見つけ、プルマンをキャンセルしカマロテを購入している。


 ビエドゥマ駅で発車を待つ週1本のサン・カルロス・デ・バリローチェ行き列車 牽引機は米国アメリカン・ロコモティブ (ALco) 製RSD-16型ディーゼル機関車
 Formación de Tren Patagónico con destino San Carlos de Bariloche parado en estación Viedma, maniobrada por la Locomotora diésel eléctrica ALco modero RSD-16

 17時半頃、カマロテに乗ろうと乗降口の車掌に乗車券を見せると、車掌は「ちょっと待て」と言って車内に消える。間もなく戻ってきた車掌は「同室に既に女性客が一人乗っている」と。カマロテは上下2段式の個室寝台で各室定員2名。アルゼンチン国鉄だとカマロテを部屋単位で販売しているが、この列車は寝台単位で販売しているのでこういうことが起こってしまう。私は旧ソ連や中国で男女同室の個室寝台車を何度も経験しているので「私は気にしない」と車掌に伝えるが、まず向こうは断ってくるであろう。車掌はもう一度車内に消えて、しばらくして戻ってきた車掌はダメだったと言わんばかりの困った顔をして考え込んでいる。予想通りである。車掌はまた車内に消えてしまい、乗降口で随分待たされた末に案内されたのは車端の個室で、一応寝台はあるが、壁や寝台の上部には配電盤があって、たぶん車掌の休憩室であろう。寝台から起きる時には頭をぶつけないように気を付けねばならない。隣のちゃんとした個室を覗くとふかふかのソファーベッドで随分と差がある。せっかく予約購入した指定の寝台が私だけ使えないのは、男女相部屋という理由だけでなくもっと他の理由があるような疑いも感じられるし文句をつけようかとも思ったが、文句を言ったところで他の寝台も満室で空きは無いだろうし、払い戻しを要求してもプルマンの座席を充てがわれて終わりかもしれないし、ここは収めて不快な気分は引きずらないこととした。(今から思い返すと、ちゃんとした寝台を寄こせと抗議すべきだったような気がする。アルゼンチンタンゴの《カンバラッチェ》という曲の歌詞の一節に、"El que no llora no mama"ー直訳で「泣かない赤ん坊はおっぱいを貰えない」→即ち「欲しいものはしっかり主張しないと手に入らないよ」というのがある位だし。)


 カマロテ(個室寝台車)の通路、私に充てがわれた(多分)車掌休憩室、本来の個室寝台車内
 Pasillo, Cuarto de conductor, y Interior del coche camarote

 列車は18時2分にビエドゥマをゆっくりと発車。車窓は茶色がかった草木のステップ地帯が続く。食堂車の従業員が食堂の予約を取りに来た。21時か23時のどちらかとのことでアルゼンチンの夕食時間は遅い。21時を予約し、この個室に居るのも陰気になりそうなので、20時半に早々と食堂車に行って夕食をのんびり待つこととする。食堂車は木の椅子に緑色のテーブルクロスと古き良き時代を思わせるようないい雰囲気。食事も前菜、メイン(ラビオリ)、デザートが出てまずまずの味であった。夕暮れの車窓左手遠くには海が見えた。


 食堂車、夕暮れの車窓からは遠くにサンマティアス湾が見える
 Coche comedor y Vista al Golfo San Matias


 食堂車の夕食は前菜、メイン(ラビオリ)、デザートのコース
 Cena en el Coche comedor

 すっかり日が暮れた21時51分、サン・アントニオ・オエステに到着。ここで列車は方向転換する。機関車と車運車を反対側に付け替えるため長時間停車する。22時37分発車。ここから翌朝到着予定のインヘニエロ・ジャコバッチまでの435kmの間に大きな町は無く、1-2時間毎に小さな村の駅に停まりながら西を目指す。寝台は硬かったが、翌朝6時頃までまずまず眠れた。


 夜のサン・アントニオ・オエステ駅 機関車交換のため長時間停車する
 Andén y Exterior de la estación San Antonio Oeste


 早朝のマキンチャオ駅と、インヘニエロ・ジャコバッチ付近の車窓
 Estación Maquinchao y Paisaje cercano a Ingeniero Jacobacci

 2月1日土曜日午前7時34分、ほぼ定刻にインヘニエロ・ジャコバッチに到着し列車を降りる。発車を見送った後は、ホーム上にある小さな喫茶店で朝食を取り、その後は駅周辺を散歩する。ここは人口約六千人を擁する一応「市」だが、碁盤目状の道路の町並みは人影も少なく静かで、よくあるアルゼンチンの田舎町の風情である。この町の名のインヘニエロは技師の意味、ジャコバッチはイタリア出身の土木工学技師 Guido Amadeo Jacobacci (1864-1922) のことで、彼は1889年にアルゼンチンに移住し、当時のパタゴニア鉄道 Ferrocarriles Patagónicos の総支配人としてビエドゥマ〜バリローチェの鉄道建設を指揮した。鉄道は1916年に当時Nahuel Niyeoと呼ばれていたこの町まで開通したが、ジャコバッチは1922年に死去。バリローチェまで全通したのは彼の死後の1934年である。Nahuel Niyeoの町は彼の死後、彼の功績を讃えて町の名をインヘニエロ・ジャコバッチに変更して現在に至っている。ちなみにJacobacciはスペイン語の発音だと「ハコバッシ」となるが、私の滞在中に聞こえた現地の人の発音は「ハコバッシ」より「ジャコバッチ」の方が多かった。


 インヘニエロ・ジャコバッチに到着した列車と、インヘニエロ・ジャコバッチの駅舎
 Llegada de Tren Patagónico a Ingeniero Jacobacci y Edificio de la estación

2月1日:ラ・トロチータ(インヘニエロ・ジャコバッチ―オホス・デ・アグア)に往復乗車

 今回の旅行の最大の「乗り所」はここインヘニエロ・ジャコバッチとオホス・デ・アグア間43kmを走る蒸気機関車牽引の列車で、「ラ・トロチータ La Trochita」の愛称で有名である(スペイン語でtrochaは線路の軌間を意味するので、その指小辞Trochitaは「ちっちゃい軌間」と直訳できる)。またアルゼンチン国外では米国の作家ポール・セローが書いた旅行記「The Old Patagonian Express」(1979) で知られている。元々はインヘニエロ・ジャコバッチとエスケル間402kmを結ぶ、1945年開業の軌間750mmの狭軌鉄道で、1993年に一旦全線廃止となっていたが、1999年にラ・トロチータはアルゼンチン政府により国家歴史建造物に指定され、一部の短区間が観光列車として復活。現在はトレン・パタゴニコ社がリオネグロ州のインヘニエロ・ジャコバッチとオホス・デ・アグア間を、南部チュブト州では州営でエル・マイテン近郊とエスケル近郊の二ヶ所を観光列車が走っている。インヘニエロ・ジャコバッチ発のラ・トロチータは夏季の1〜2週毎の土曜日11時発の1往復のみの運転と希少で、今回の旅程もこの列車に合わせて組んだようなものである。座席は予約制で、私は2ヶ月前にトレン・パタゴニコ社に予約希望メールを送り、予約証明の返事を貰っている。インヘニエロ・ジャコバッチ発の切符売り場で返事のメールのプリントを見せ運賃1100ペソを払うと、乗車券の紙片と記念切符のような硬券をくれた。


 乗車券の紙片と、記念切符のような硬券
 Pasajes de La Trochita desde Ingeniero Jacobacci hasta Ojos de Agua

 8時45分くらいになると、駅裏の車庫から機関車と客車が現れ、発車準備の操車が始まる。蒸気機関車は1922年ヘンシェル製104号機で、石炭炊きから重油炊きへ転換されている。


 インヘニエロ・ジャコバッチ駅の車庫で発車準備中のラ・トロチータの蒸気機関車
 Locomotora a vapor Henschel Nro. 104 se prepara en el patio de maniobras de la estación Ingeniero Jacobacci

 10時半には駅ホームに列車が据えられ、バリローチェからバスで来たツアー客達も乗り込み車内はほぼ満席に。11時6分、汽笛の音も高らかにインヘニエロ・ジャコバッチを出発した。


 インヘニエロ・ジャコバッチ駅ホームで発車を待つラ・トロチータと、客車内
 Formación de La Trochita y Interior de un vagón

 しばらくはバリローチェ方面への軌間1676mmとラ・トロチータの750mmが線路を共用する三線軌条を走るが、11時53分にエンパルメという信号場を通過すると2路線は別れ、ラ・トロチータは南南西へ向きを変えて走る。


 インヘニエロ・ジャコバッチ駅構内西端は軌間1676mmと750mmの三線軌条、エンパルメ信号場で両線は分岐する
 Al oeste de Ingeniero Jacobacci la vía forma la trocha mixta 1676/750 mm y se divide en el parador Empalme

 列車は草が疎らな荒野のような所を走り、山頂が卓状台地のような山の間を縫うようにカーブし、絶景の連続である。


 列車はパタゴニアの荒野を走る
 La Trochita circula por la estepa patagónica


 オホス・デ・アグア付近の車窓
 Paisaje cercano a Ojos de Agua

 やがて小さな集落が現れ、13時12分に列車は折り返しのオホス・デ・アグア駅に到着した。オホス・デ・アグアは荒野の中に約20軒位の民家が並ぶ小さな集落である。近くに食堂があるとの案内があり、羊のシチューの昼食を頂く。食堂で相席させて下さったのはバリローチェからのツアー客のガイド二人で、彼らが言うには「ここのラ・トロチータとエル・マイテンやエスケルで走っているラ・トロチータでは、運営がリオネグロ州とチュブト州で異なるから直通運転という話が出ないんだよ」とのこと。食事を終えて駅に戻ると、駅の少し南にあるデルタ線で方向転換した蒸気機関車が既にインヘニエロ・ジャコバッチ側に連結されている。


 オホス・デ・アグア駅は線路が2線になっているだけでホームはない 駅周囲はわずかな家々が並ぶ
 Estación Ojos de Agua no tiene andén y Alrededor de la estación

 14時15分、 オホス・デ・アグアを出発。エンパルメを過ぎてもう直ぐインヘニエロ・ジャコバッチ、という所で列車は急停車し、しばらく待っても動かない。乗務員達が機関車の所に集まっているので、降りて見ると機関士がブレーキ片だか連結棒だかをいじっている。修理は20分程で終わり列車は再出発。齢98歳の蒸気機関車であり、こんなことは日常茶飯事なのかもしれない。


 荒野の真ん中で臨時停車 機関車を修理する 見るとこの列車には乗務員が機関士、車掌など合わせて8人もいる
 Avería de la locomotora a vapor en la estepa patagónica

 16時40分、インヘニエロ・ジャコバッチに到着した。この時間にはバリローチェへ行く列車もバスもないが(バスは夜中の3時発の一日1本しかない)、2ヶ月前にラ・トロチータの予約をした時にバリローチェへの移動手段を相談した所、バリローチェ発着のツアー客のミニバスに便乗させてくれることになっていて、昼食で一緒だったガイドの案内で無事ミニバスに乗せてもらい、20時半過ぎにバリローチェの中心街に到着した。

2月2日:サン・カルロス・デ・バリローチェ→インヘニエロ・ジャコバッチに乗車

 サン・カルロス・デ・バリローチェは標高約800メートルにある湖畔の町で、ナウエル・ウアピ湖とアンデス山脈の美しい風景は南米のスイスと呼ばれている観光地である。リフトに乗ってカンパナリオの丘へ、またロープウェイに乗ってオットー山へ登るなど一通りの観光をする。


 サン・カルロス・デ・バリローチェの湖畔沿いと、カンパナリオの丘からの風景
 Vista del lago Nahuel Huapi desde la costanera de San Carlos de Bariloche y Vista desde el Cerro Campanario

 明日ブエノスアイレスに戻るまでに私にとって一番しなくてはならないのは、昨日トレン・パタゴニコの夜行列車を途中のインヘニエロ・ジャコバッチで下車したため乗り残しているインヘニエロ・ジャコバッチ〜バリローチェ間194kmの乗車である。幸い本日2月2日日曜は週1本のバリローチェ発ビエドゥマ行きの運転日で、ネットで二ヶ月前にこの列車のプルマンの指定席乗車券も購入しておいた。バリローチェの駅舎は瀟洒なレンガ造りで観光地に相応しい佇まいである。ビエドゥマ行きはほぼ満席で、18時1分に発車。


 サン・カルロス・デ・バリローチェ駅と、入線するビエドゥマ行き列車
 Estación San Carlos de Bariloche y Tren Patagónico con destino Viedma

 ナウエル・ウアピ湖の湖畔を行き、やがて山岳地帯に入り右に左にカーブしながら走る。


 列車は高度を上げ、山岳地帯に入る(左写真はニリウアウ駅付近、右写真はピチレウフ鉄道橋)
 Paisajes cercanos a Ñirihuau y Viaducto Pichileufu

 19時29分にピルカニジェウ、20時36分にコマショに停車。両駅とも4〜5分停車するので車外に出れる。両駅とも山の麓の田舎の小駅らしい、いい雰囲気であった。


 ピルカニジェウ駅と、コマショ駅、一部の客車は日本製である
 Estación Pilcaniyeu y Estación Comallo. Algunos coches fueron fabricados en Japón

 日没の遅い夏のパタゴニア西部も21時40分にクレメンテ・オネッリに着く頃にはすっかり真っ暗になり、22時51分、インヘニエロ・ジャコバッチに到着。ここは昨日から3度目の下車になるが、駅周囲は人影も無く静まりかえっている。ここからバリローチェに行くバスは深夜3時発の一日1本のみで、田舎町の夜中の4時間をどう過ごすか。インヘニエロ・ジャコバッチの町のレストランの場所は前もってグーグルマップで散々調べており、この時間でもやってそうなレストランまで10分程歩く。踏切を渡った駅裏にあるホテル兼レストランが幸い開いており、スプレーマという鶏肉のカツを食べつつ暇を潰す。0時半になって他の客も居なくなり店員も暇そうにしているのを見て、さすがにこれ以上はと考えレストランを出る。後は駅で待つくらいしかない。インヘニエロ・ジャコバッチの駅はバスターミナルも兼ねていて待合室は24時間開いている。眠ってしまわないよう気を付けつつ座っていると、2時半位から何人か乗客が現れ、3時5分にバリローチェ行きのバスが到着。 昨日19時30分にラス・グルータスという所を出発した長距離バスで車内はほぼ満席だが、事前に私はネットで座席指定乗車券を購入しているので指定の座席に座り、バスが出発するやいなや眠ってしまった。バスは早朝5時頃に荒野の何もない所で故障してしまい長時間停車、9時頃にやっと替えのバスが到着し乗り換えて、バリローチェに着いたのは午前11時近くであった。

 バリローチェ13時35分発のアルゼンチン航空便は順調に飛行し、2時間後には真夏の暑いブエノスアイレスに戻って来た。計画していた旅程はほぼ順調に進み、予約してある明朝発の日本へ帰る飛行機にもこれで乗れる。

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