コスタリカ鉄道旅行(2018年6月27日〜2018年7月4日)



  • 6月29日
    • サンホセ・アトランティコ→サンホセ・パシフィコ→ベレン→サンホセ・パシフィコ、
      およびサンホセ・アトランティコ→ロス・アンヘレス‥‥カルタゴ→サンホセ・アトランティコに乗車
  • 6月30日
    • サンホセ・アトランティコ→アラフエラ‥‥アテナス‥‥リオグランデ川の鉄橋
  • 7月1日
    • サンホセ‥‥シキレス→モイン(リモン郊外)→シキレス‥‥サンホセ
  • 付録:コスタリカの鉄道の歴史と概況

 中米南部に位置するコスタリカは、周辺の中米各国が1990年代に次々と鉄道を廃止した中、今も鉄道の運行が続いている数少ない国ある。

2018年6月29日:サンホセ・アトランティコ→サンホセ・パシフィコ→ベレン→サンホセ・パシフィコ、およびサンホセ・アトランティコ→ロス・アンヘレス‥‥カルタゴ→サンホセ・アトランティコに乗車

 2018年6月29日金曜日午前6時半、コスタリカの朝は早く、市内の通りは多くの通勤通学の人達が足早に歩いている。首都サンホセにはアトランティコ駅(大西洋駅)と、パシフィコ駅(太平洋駅)という2つのターミナル駅があって、かつてはアトランティコ駅からは文字通り大西洋岸にあるリモンへ、またパシフィコ駅からは太平洋岸にあるプンタレナスへかつては鉄道が通じていたのだが、いずれも多くの区間が廃線となり、現在定期旅客列車はサンホセ近郊でのみコスタリカ鉄道公団 Instituto Costarricense de Ferrocarriles (INCOFER) により運行されている。
 サンホセ中心街の北東にあるアトランティコ駅は1908年に作られた、小さいながらも歴史を感じさせる古い駅舎が今も使われている。折しもカルタゴ発の列車が6時51分に到着し、多くの通勤通学客が下りてきた。まずは、サンホセより14km西にあるベレンへの路線に乗車することとしよう。駅舎内にはカルタゴ方面、エレディア・アラフエラ方面それぞれの切符売場の窓口があるが、ベレン方面の切符について駅員に尋ねると車内で買ってくれとのこと。INCOFERのウェブサイトに掲載されている時刻表(2018年3月12日改正)によると、ベレン行きの列車の殆どはサンホセ市内南部にあるパシフィコ駅始発であるが、朝の2本のみアトランティコ駅からパシフィコ駅を経由してベレンに行くようになっている。実は念の為、昨日夕方に、ここアトランティコ駅に時刻表の確認に来たところ、4月16日にダイヤが改正されていて、アトランティコ駅発ベレン行きは7時1分発の1本のみに減っていた。案の定というか、やはり現地での時刻の再確認は欠かせない。


 サンホセ・アトランティコ駅と駅舎内の切符売り場
 Esterior y Boletería de la estación San José Atlántico

 6時55分、ベレン行きの6両編成の客車がディーゼル機関車に引かれて入線。7時1分、時刻表通りにアトランティコ駅を発車した。東へ数百メートル走った所でカルタゴ方面への線路と分岐するポイントにさしかかるが、分岐器の手前で一旦停車すると客車から車掌が飛び降りて手動で転轍器を操作、列車が少し走って客車全部が分岐器を越えた所で再び停車すると、車掌は再び転轍器を切り替えてポイントをカルタゴ方面へ戻し、腕を大きく振って運転士に発車オーライの合図をすると客車最後尾に飛び乗ってきた。私が見た限りでは、コスタリカの鉄道のポイント操作は全てこんな感じの車掌による手動切り替えで、車掌の業務も大変である。


 列車が到着すると多くの通勤通学客が下車してきた サンホセ・アトランティコ駅に入線するベレン行き客車列車
 Muchos pasajeros bajan del tren en la estación San José Atlántico en la hora punta y Tren de pasajeros con destino Belén

 アトランティコ駅〜パシフィコ駅間は1日1往復のみの運行で、時刻表を見た印象ではおそらく車庫からの運用の都合か何かで利用客など殆どいないだろうと思っていたのだが、予想に反して車内は8割方の座席が埋まり、途中駅でも通勤客が続々と乗り込んで車内は通路も立客で一杯。パシフィコ駅までの区間は併用軌道となっている所が多く、列車は朝のラッシュ時間帯のサンホセ中心街をタイフォンを鳴らし続けながらおそるおそる走る。7時21分、パシフィコ駅に停車。列車は満員の客を乗せ、3〜4分毎に小さな駅に停まりながら走るが、7時39分、ハックス駅で殆どの客が下りると車内は急にガラガラとなった。駅周辺は巨大な倉庫が立ち並んでおり、このあたりへの通勤輸送を担っているようだ。


 サンホセ・アトランティコ駅〜サンホセ・パシフィコ駅間の併用軌道の線路と、パバス・セントロ駅、ベレン行き客車内
 La vía sentada sobre la calle entre la estación San José Atlántico y Pacífico, Estación Pavas Centro y Interior del coche

 やがて沿線はスラム街とまではいかないが、トタン屋根のみすぼらしい家々の間を列車は走り、線路の両側は生活用地と化しているため枕木やバラストは泥で埋まって荒れていて、ゴミが軌道上に散乱している。いくつかの川にかかる錆びた鉄橋を渡り、家並みがやっと途切れ、牧草地の中を走ると間もなく列車はサンアントニオという小さな町に入り、8時1分、終点のベレンに到着した。ベレン駅には機回し線があって、折り返し運転のため反対側に機関車をつなぎ替え、4分遅れの8時8分に折り返し列車はベレンを発車した。


 メトロポリ〜ペドレガル間の鉄橋
 Puente entre Metrópoli y Pedregal


 ベレン駅はかつてはサン・アントニオ駅と呼ばれていた、ベレン駅で発車を待つサンホセ・パシフィコ行き
 Estación Belén (ex Estación San Antonio) y Tren de pasajeros con destino San José Pacífico parado en la estación Belén

 乗客は各車両数人ずつ程度のみで、途中駅でも乗客は殆ど増えないまま、8時49分の定時にパシフィコ駅に到着した。パシフィコ駅の待合室は階段手すりの曲線から床の模様まで優美な作りで、写真を撮っていると駅員が寄って来て、自慢げに「どうだ、立派な駅だろう」と話しかけて来た。


 サンホセ・パシフィコ駅に到着、美しい駅舎内
 Llegada a la estación San José Pacífico y Interior de la estación


 サンホセ・パシフィコ駅の全景
 Vista de la estación San José Pacífico

 同日午後、再びサンホセのアトランティコ駅に向かう。カルタゴ方面への午後最初の列車は15時発で、カルタゴの一つ先のロス・アンヘレスまで行く。列車は2両編成の気動車だ。大部分のガラス窓の外側に金網が張ってあるのは投石被害を避けるためであろうか、ちょっと車窓を眺めづらい。5割方の座席が埋まって15時2分に発車。UCR(コスタリカ大学)駅、Ulatina(ラティーナ大学)駅、UACA(中米自治大学)駅と停車し、下校の大学生が次々と乗って来て車内は満席となる。列車は緩やかな勾配を上りながら走り、トレス・リオスを過ぎた辺りで両側に山が迫る間を縫って小さな峠を越え、再び市街地に出て15時47分、カルタゴに到着。ここがカルタゴ市街の中心であり、殆どの乗客が下車した。


 サンホセ・アトランティコ駅で発車を待つロス・アンヘレス行き気動車は旧スペイン国鉄524系を輸入したもの、トレス・リオス付近の車窓
 Tren de pasajeros (ex Serie 524 de Renfe) con destino Los Ángeles parado en la estación San José Atlántico y Paisaje cercano a Tres Ríos

 ここからロス・アンヘレスまでの約1kmは2014年に廃線跡を復活して延伸されたばかりの区間で、市街地の専用軌道とも併用軌道ともつかぬ所を列車はタイフォンを鳴らし続けながら走り、15時51分、時刻表より4分早く終点のロス・アンヘレスに着いた。駅の直ぐそばにはカルタゴ一番の名所であるロス・アンヘレス大聖堂がある。


 ロス・アンヘレス駅と、ロス・アンヘレス大聖堂
 Estación Los Ángeles y Basílica de Nuestra Señora de Los Ángeles

 大聖堂を見学し、タクシーで市街地へ戻り、街中を少し散歩してカルタゴ駅へ行くと間もなく16時22分カルタゴ止まりの列車が少し遅れて到着、4両編成の客車列車であった。折り返しの16時30分発アトランティコ行きに乗車する。通勤通学とは逆方向なので車内は空いている。


 カルタゴ駅と、カルタゴ駅に入線する列車
 Estación Cartago y La formación acercándose a la estación

 客車なので列車最後尾からは線路がよく見える。コスタリカの鉄道は殆どが単線だが、この時間帯には対向列車と10〜20分毎に交換がある。駅とは別に信号場が所々にあって列車交換があるのだが、信号場と言ってもただそこだけ複線になっているというだけで「信号機」はどこにも見当たらず、転轍器は相変わらず車掌が列車から飛び降りては手動で切り替えている。タブレットや通票の交換も行っておらず、単線なのに果たして閉塞システムが存在しているのかも怪しく、車掌や運転士が腰にぶら下げているトランシーバーによる連絡が頼りのように見える。車窓からは平行する国道が見えるが、サンホセ→カルタゴ方面は大渋滞を起こしている。それを横目にスイスイと走る列車に乗っていると、コスタリカの旅客列車のダイヤが朝夕の通勤通学時間に集中して設定されているのも頷けるような気がする。17時26分、夕暮れのアトランティコ駅に到着。駅のホームは折り返しとなるカルタゴ行きを待つ乗客で一杯であった。


 信号場での列車交換と、CFIA駅、客車の車内
 Se cruzan dos trenes en un desvío, Estación CFIA, y Interior del coche

6月30日:サンホセ・アトランティコ→アラフエラ‥‥アテナス‥‥リオグランデ川の鉄橋

 6月30日土曜日、午前6時過ぎ、もうすっかり馴染んだアトランティコ駅へ三たび向かう。土曜日のダイヤは平日とは全く異なり、アラフエラ行きは6時30分発から1時間毎に発車し最終は12時30分発、カルタゴ行きは6時30分発から1時間毎に発車し最終は13時30分発(ロス・アンヘレスまでは行かない)と、買い物の外出あたりを想定したような運行である。6時30分発のアラフエラ行き始発を待つが、発車時刻が過ぎてもアラフエラ行きもカルタゴ行きも入線して来ない。始発から遅延なんて乗務員の寝坊を訝ってしまったが、後でINCOFERのFacebookページを見た所、この日の未明にサンホセ市内の併用軌道上で自動車同士の衝突事故があったため、車庫からアトランティコ駅への始発列車の回送が遅れていると記されていた。INCOFERは自らのウェブサイトおよびモバイルアプリケーションで時刻表を公開しているが、それに加えFacebookおよびTwitterでリアルタイムの運行状況をマメに発信している。INCOFERのFacebookページを調べると6月1日から30日までの一ヶ月間に列車の運休または遅延の投稿が22件あり、原因の内訳を記すと、車両故障が6件、衝突事故が対自動車4件、対自転車1件、対歩行者2件、前記の線路上の自動車同士の事故の影響が1件、デモ隊による線路封鎖1件、原因記載なし(おそらく列車混雑などによる遅延)が7件となっており、これらの影響により運休となった列車は延べ18本、15分超の遅延は5本に及んでいる。車両故障は致し方ないとしても、鉄道の運行規模に比して衝突事故が多いのが気になる。コスタリカのマスメディアもたびたびこの問題を取り上げていて、新聞La Nación(電子版)によると、2016年の一年間で118件の列車衝突事故が起きているとのこと。実は前日の6月29日朝にもエレディア〜アラフエラ間で列車とトラックの衝突事故があったばかりである。コスタリカの踏切はサンホセ市内ですら警報機があるかないかで遮断機は殆どなく、サンホセ以外の地域では警報機すらない。更に列車の本数が少ないためか自動車も踏切手前での一時停止の習慣がないらしく、サンホセ市内では列車の運行が始まる早朝5時と午後3時頃になると市街地を走る列車のタイフォンが断続的に町中に響き渡り、もはやサンホセの風物詩と言っても差し支えない位だが、踏切でこれを聞き逃すと衝突事故になりかねない。安全上の問題があるのは勿論のこと、この国では貴重な機関車や気動車が衝突事故で次々と使えなくなってしまっては(特にあまり頑丈ではない気動車の損傷がしばしばINCOFERのFacebookページには記されている)コスタリカの鉄道の存続にとっても一大事である。踏切設備の改良は最優先課題に思える。

 6時57分になって、2両編成の気動車が3編成ほど次々とアトランティコ駅に入線して来た。編成の一つは本来なら5時30分位に回送でアラフエラに向かい、6時30分アラフエラ発アトランティコ行き始発となるはずであったがこれは運休となり駅構内に留置され、残り2編成がそれぞれアラフエラ行き、カルタゴ行きの始発となる。7時5分、35分遅れでアラフエラ行きはアトランティコ駅を発車した。土曜の朝の下り列車なので車内は空いている。列車はサンホセ市内北部の住宅街を進むが、住宅が一時途切れた所でビリヤ川にかかる鉄橋を渡る。鉄橋自体は50m程のさして長くもないトラス橋だが、鉄橋の下は深い谷となっていて谷底をビリヤ川が流れている。遡ること1926年3月14日、アラフエラを出発してサンホセ経由でカルタゴを目指した観光列車は6両の客車に約千人の乗客を満載して走っていたが、ここビリヤ川の鉄橋に差し掛かる直前のカーブで後ろ3両の客車が脱線し、うち2両が谷に転落。この事故による死者は資料により248名とも385名とも報じられており、コスタリカ史上最悪の鉄道事故とされている。


 アラフエラ行き気動車の車内と、ビリヤ川の峡谷に架かる鉄橋
 Interior del coche motor y Puente ferroviario sobre el cañón del río Virilla

 列車は再び住宅街の横を走り、7時28分エレディアに停車。エレディアは人口約12万のコスタリカ第4の都市であるが、小さな駅舎の壁はトタン板の質素な造りであった。エレディアからアラフエラまでは2017年に運行を再開したばかりの区間で、軌道は新しく、途中にある無人駅は簡素ながらこざっぱりとしている。車窓前方を見ていると、乗っている列車が踏切を通過するほんの5秒くらい前に自動車が平気で踏切を突っ切っていてヒヤヒヤする。


 サン・ホアキン駅と、サン・ホアキン〜リオ・セグンド間の車窓
 Estación San Joaquín y Paisaje entre San Joaquín y Río Segundo

 やがて車窓左手にコスタリカの空の玄関であるフアン・サンタマリーア国際空港が見えてくる。線路は空港ターミナルビルまでわずか数百メートルの所を通るが、平日5往復、土曜7.5往復のみ(日曜運休)の鉄道では空港アクセスの用をなしていない。但し、線路脇にあるエアポートホテル前に駅を作る計画はあるとのこと。列車はアラフエラ郊外の起伏のある住宅地の中を縫うように走り、7時49分に終点アラフエラに到着。遅れた列車は折り返しのアトランティコ行きとなって直ぐに発車していった。アラフエラ駅は市街地の南の外れにあって駅前には商店もなかったが、駅のすぐ横に市内一の総合病院があって、そこには客待ちのタクシーが何台も停まっていた。


 アラフエラ付近の車窓と、終点のアラフエラ駅
 Paisaje cercano a Alajuela y Estación final Alajuela

 これでコスタリカの定期旅客列車は完乗したことになるが、今日は時間がある。ここアラフエラから約20km西にあるアテナス市の郊外にリオグランデという集落があり、そこに今は廃線となったがコスタリカで最も高い鉄道橋がリオグランデ川にかかっている。訪れてみることとする。アラフエラのバスターミナルからアテナス行きの路線バスに約30分乗り、アテナスの市街地へ入る少し手前でバスを降り、30分ほど田舎道を歩いたリオグランデの村はずれに、廃止された線路とアテナス駅があった。駅舎内は小さな鉄道博物館となっており、あいにく今日は開いていなかったが、外には電気機関車が保存されており、ここはかつて電化路線であったことを偲ばせる。


 旧アテナス駅跡 電気機関車が保存されている
 ex Estación Atenas donde se conserva una locomotora eléctrica del ex Ferrocarril al Pacífico

 ここから廃線跡を10分ほど歩くとリオグランデ川の鉄橋に辿り着く。(資料により数字は若干異なるが)全長約219mのアーチ橋で、川底からの高さは102m。1902年の竣工で、イコモス(国際記念物遺跡会議)コスタリカ国内委員会により歴史的建築遺産として登録されている。橋桁の表面や線路は錆びていたが、橋の構造自体はしっかり残っており、まだ列車が通っても大丈夫な気がした。


 リオグランデ川の鉄橋
 Puente ferroviario sobre el río Grande de Atenas

7月1日:サンホセ‥‥シキレス→モイン(リモン郊外)→シキレス‥‥サンホセ

 コスタリカの鉄道の定期旅客列車は先に述べた通りサンホセ近郊のみだが、バナナや鋼鉄を運ぶ貨物輸送が東部のリモン周辺で今も行われている。この区間、普段は旅客列車は走っていないが、コスタリカ国内の旅行業者が毎年7〜8月頃にシキレスと、リモンの手前約10kmにあるモイン港の間約50kmを貸切列車に乗って往復する日帰りツアーを催していて、このツアーへの参加が列車に乗車する唯一の手段である。2018年には2つの旅行業者がそれぞれ7月1日と8月12日にツアーを実施している。今回の私のコスタリカ訪問も、サンホセの「ヒメネス観光」社が7月1日に催行するツアーに参加することを軸として、5月から同社へメールでツアー参加を申し込んだりといろいろ準備してきたのである。ツアーの予定表によると、早朝4時30分にサンホセ市内のカテドラル前を貸切バスで出発してシキレスに向かい、列車はシキレス駅出発7時と記されている。7月1日日曜日早朝、集合時間通りにカテドラル前に行くが、バス運転士のトラブルがあったとかで、バスが現れたのは5時50分。ちゃんと列車に乗れるのか不安になってきたが、ツアー客のコスタリカ人達は呑気な様子で、お決まりのセリフ「プーラ・ビーダ」とか言っている(プーラ・ビーダ pura vida は直訳すれば「純粋な人生」といった意味だが、コスタリカ人があらゆる場面でも広く使う間投詞のような言葉である)。バスは7時40分にシキレス駅前に到着。幸い目の前にディーゼル機関車を先頭に6両編成の客車が待っていた。


 シキレス駅で発車を待つモイン行きツアー列車 牽引機は1979年米国GEトランスポーテーション・システム製U10B型ディーゼル機関車
 Tren turístico Siquirres-Moín en la estación Siquirres, maniobrado por la locomotora diésel GE Transportation Systems modero U10B

 7時46分、車内はほぼ満員のツアー客を乗せてシキレスを発車。シキレスの町を抜けると間もなく車窓は熱帯のジャングルとなる。パクアレ川にかかる鉄橋をおそるおそる渡り、線路際まで生い茂った林の中を列車は草刈り機のように掻き分けながらが走る。


 パクアレ川にかかる鉄橋を渡る
 Cruzando el puente ferroviario sobre el río Pacuare

 8時26分、バタン駅停車。ツアー列車なので乗降はない。駅と言うより食堂の軒先がホームを兼ねているような所で、住民達が珍しそうに列車を眺めている。8時42分、エストラーダ駅を通過すると、あたり一面はバナナのプランテーションとなる。ドールのブランド名で有名な米国企業のドール・フード社は、子会社のスタンダード・フルーツ・コスタリカ社を通じてモイン港に大きなコンテナ・ターミナルを擁しており、ここから大量のバナナが主に米国へ輸出されていく。


 列車の車内と、エストラーダ付近の車窓
 Interior del coche y Paisaje cercano a Estrada

 9時5分、椰子林の向こうにカリブ海が見えてきた。列車はカリブ海を左手に見ながらゆっくり走り、9時24分、モイン港の少し手前のジャングルの中の信号場に停車。ここがこの列車の終点で、ツアー客はバスでモインの海辺のレストランへと向かい、海辺で思い思いのレジャーを楽しんだ。


 モイン付近の車窓と、モイン信号場に到着した列車
 Vista al Mar Caribe y Llegada al apeadero Moín

 帰りの列車はモインを15時25分発車するも、15時39分、ジャングルの中で突然停車。線路上に倒木があって列車が通れないとのこと。乗客達は様子をうかがいに先頭へ向かう。私も野次馬となって機関車の前方へ行ってみると、確かに倒木が線路を塞いでしまっているが、予め情報が入っていたのか何人かの男達がチェンソーで倒木を切断している。こんなトラブルは日常茶飯事なのだろうか、倒木の排除は予想外に早く終わり、15時56分に列車は運転再開。17時36分に無事シキレス駅に到着した。


 モイン信号場で発車を待つ列車
 Tren turístico en el apeadero Moín


 線路上の倒木をチェンソーで切る、シキエラに到着
 Se cortan los árboles caídos sobre la vía usando la motosierra y Llegada a la estación Siquirres

 コスタリカの鉄道は、旅客輸送はサンホセ近郊の道路渋滞や多くの乗客を乗せた列車を見ると鉄道の利用価値は十分ありそうで、またリモン周辺の貨物輸送もジャングルの中の線路としてはまずまず維持されており、この国の鉄道にはまだまだ活路があるように思われた。

付録:コスタリカの鉄道の歴史と概況

 コスタリカの最初の鉄道は、太平洋岸のプンタレナスと近郊の町バランカの間の十数キロで1857年に開通したが、これはロバが曳く馬車鉄道で、わずか数年で廃止になってしまったらしい。本格的な鉄道は、首都サンホセなどの主要都市がある中央盆地の西端のアラフエラと、大西洋岸のリモンを結ぶべく、1871年に両側から着工された。中央盆地側は1872年にアラフエラからサンホセまで、1873年にはカルタゴまで開通。使用される蒸気機関車はプンタレナス港から牛車で何ヶ月もかけて運ばれたとのこと。一方、大西洋側は熱帯のジャングルの中の工事で難航し、ジャマイカや英領ホンジュラス(今のベリーズ)からの黒人労働者や、更には中国からの労働者を用いて建設した。線路は1877年にシキレス近郊のパクアレ川岸へ、1882年にスシオ川近くに達した。
 当時、この鉄道建設は米国の企業家マイナー・キースが仕切っていた。1884年、キースは債務返済が困難となっていたコスタリカ政府と契約を結び、コスタリカ政府の鉄道建設の借金を低金利にする借り換えに応じる代わりに、鉄道の99年間の使用権と、沿線の広大な土地を入手した。1890年にリモン〜アラフエラ間188kmが全通。キースは沿線にバナナのプランテーションを作ってバナナを米国に輸出して財を成し、後のユナイテッド・フルーツ社(現在のチキータ・ブランド)の創業者の一人となった。一方、サンホセからプンタレナスへの鉄道は1897年に着工され、1910年に全線116kmが開通。この区間は1930年に電化もされた。またコスタリカ南部太平洋沿岸には、1930年代にユナイテッド・フルーツ社によりバナナ運搬のための鉄道がいくつか建設された。
 以降、鉄道はバナナやコーヒーなどの農作物をリモン港およびプンタレナス港に運ぶ役割を果たしてきたが、道路交通の発達により鉄道は衰退し始め、更に1991年の地震により多くの線路が寸断され、1995年に政府の決定によりコスタリカの鉄道は一時全廃となった。しかし1998年にはリモン周辺の貨物輸送が再開され、また中央盆地のサンホセ近郊区間では廃線跡の修復工事が行われ、2005年から徐々に旅客列車が再開されている。
 現在のコスタリカの鉄道は全てコスタリカ鉄道公団 Instituto Costarricense de Ferrocarriles(略称INCOFER)により運営されており、全て1067mmの狭軌。サンホセから近郊の3方面(アラフエラ、カルタゴ、ベレン)への旅客輸送、リモン周辺のプランテーションからのバナナの輸送、レースビジェにある製鋼所とリモン港の間の鋼鉄輸送、シキレス〜モイン間およびオロティナ〜カルデラ間のツアー専用列車の運行を行っている。今後の旅客列車の延伸(全て廃線跡の修復)として、カルタゴ(ロス・アンヘレス)〜パライソ間5.3km、ベレン〜サン・ラファエル間4.2kmが既に着工されている(ロス・アンヘレス〜プラサ・パライソ間約3kmは2023年9月18日に開業した)。またコスタリカの新しい国際空港がサンホセの西66kmに位置するオロティナに2027年開港予定で建設されることが決定しており、オロティナへの鉄道の修復も計画されている。
  INCOFERはサンホセ近郊輸送に関する改善計画書を今までたびたび発表しているが、殆どがことごとく頓挫している。2017年の計画書には、道路との立体交差化などの線路改良、電化、列車速度の向上から、GPSを用いた列車コントロールシステムの構築やICカード乗車券の導入まで盛り沢山だが、予算に無理があるのは勿論のこと、技術的にも現状との乖離が著しい印象で、現状に即したフィージビリティスタディが望まれる。
 その後、2021年に中国中車青島四方機車車輛より輸入された気動車が投入され、それまで使用されていた旧スペイン国鉄524系気動車に取って代わられつつある。

《主な和文参考文献》

 

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