ペルー鉄道旅行(2024年6月8日〜2024年6月20日)

  • 6月9日
    • メトロ・デ・リマ1号線(ビジャ・エル・サルバドール―バジョバル)に全線乗車
  • 6月11日
    • クスコ(サン・ペドロ)→マチュピチュ村に乗車、およびマチュピチュ遺跡観光
  • 6月12日
    • マチュピチュ村―水力発電所駅に往復乗車、およびマチュピチュ村→クスコ(ポロイ)に乗車
  • 6月13日
    • ベルモンド・アンディアン・エクスプローラー第1日:クスコ(ワンチャック)→プーノ埠頭に乗車
  • 6月14日
    • ベルモンド・アンディアン・エクスプローラー第2日:チチカカ湖観光、およびプーノ埠頭→フリアカ→サラコチャに乗車
  • 6月15日
    • ベルモンド・アンディアン・エクスプローラー第3日:サラコチャ→アレキパに乗車

 私、若い時から中南米には何度となく鉄道を乗りに行っていて、中南米で鉄道が走っているのに未だ訪れたことのない国はパナマ、ベネズエラ、ドミニカ共和国、プエルトリコと、短距離の観光鉄道のみが走るカリブ海島嶼国(バルバドス、セントキッツ・ネイビス、マルティニーク、グアドループ)のみとなっている。南米のペルーはかつて1993年に訪れたことがあり、その時はチリ北部のアリカという町から62kmを走る国際列車に乗ってペルー南部のタクナという町に行ったが、その日のうちにアリカに戻ったのでペルー滞在は一日だけで、実は首都リマもマチュピチュも行ったことが無かった。31年ぶりになる今回のペルー旅行は、未乗区間約800kmの乗車という、私にとっては中南米に残された数少ない長距離の未乗路線となる。

2024年6月9日:メトロ・デ・リマ1号線(ビジャ・エル・サルバドール―バジョバル)に全線乗車

 2024年6月9日日曜日午前7時、首都リマの空港に隣接したホテルをタクシーで出発する。昨晩遅くペルーに入国してからまだ8時間しか経っていないが、今日これから乗ろうとするメトロ・デ・リマ(リマ・メトロ)は今回の旅行で乗車する鉄道の中でもいきなり一番治安に要注意な代物である。メトロ・デ・リマは人口約一千万の首都リマの都市鉄道で、現在運行しているのは1号線約34kmと、部分開業の2号線約5kmの2路線のみだが、6号線までの建設計画がある。これから乗る1号線はリマの中心街からやや東に外れた地域を南北に走っていて、観光名所が集まる旧市街も高級商店街が並ぶサン・イシドロ地区やミラフローレス地区も通らない。1号線に26ある駅のどこから乗り始めようかと検討すると、空港に比較的近いのは1号線の沿線北側にある駅だが、リマを東西に貫くリマック川の北側のこの地域は治安が悪く、またその辺りから数駅ほど南へ下ったラ・ビクトリア地区もまた治安が悪いことで有名である。そのため、更にその南のサン・ボルハ地区にあるサン・ボルハ・スール駅から乗車することと決め、タクシーで連れて行ってもらう。


 メトロ・デ・リマのサン・ボルハ・スール駅
 Estación San Borja Sur del Metro de Lima

 サン・ボルハ・スール駅周辺は普通の静かな日曜の朝といった感じで危ない感じはないが、足早に駅構内に入る。メトロ・デ・リマの運賃は距離に関係なく1.5ソル(62円)均一で、紙の乗車券はなく、ICカードにお金をチャージするプリペイド方式である。駅にはカードの自動販売機もあるが、有人窓口でICカード代5ソル(205円)と5ソル分のチャージをしてもらいカードを入手。自動改札でカードをタッチして入場し、階段を上って高架線の南行きホームに着く。メトロと言っても1号線には地下区間は全く無く、殆どが高架線である。ホーム上には発車時刻表が掲示してあり、平日は3〜10分毎、土曜日は4〜10分毎、日祝日は8〜15分毎のダイヤとなっている。


 サン・ボルハ・スール駅のプラットフォーム(メトロ・デ・リマは左側通行)と、駅掲示の発車時刻表
 Andenes de la estación San Borja Sur y Cartelera de los horarios

 8時8分に来た南行き電車に乗る。日曜の朝にしては予想外の混雑で座席は全て埋まっていて、先頭車両運転席の真後ろで車窓を眺める。電化され、軌道も整備された路線を電車は快調に走るが、周りの景色は茶色い煉瓦造りだったり灰色だったりの燻んだ建物が並び、空が曇っているせいもあるが陰気な雰囲気である。8時36分、南の終点であるビジャ・エル・サルバドールに到着。駅の南東には大きな車両基地があるが外からは見えないし、他に見るべき所もないので8時50分発の北行き電車に乗る。


 ビジャ・エル・サルバドール駅改札口と、同駅発の北行き電車
 Entrada y Tren de la estación Villa El Salvador

 始発駅にして発車時には座席は満席で、先程乗車したサン・ボルハ・スールを通る頃には車内は立錐の余地もない混雑である。平日はもっと混んでいることが想像でき、既に輸送力目一杯の利用客がいる状態なのかと思われる。プレスビテロ・マエストロ駅を出ると、車窓左手に山の中腹まで家がびっしりと立ち並んだサン・クリストバルの丘が見え、電車はリマック川を渡る。サン・クリストバルの丘は頂上からリマ市内が一望出来る名所であるが、そこまでの途中の治安が悪く、以前はあったバスツアーも数年前にバス事故があったとかで今は運行していないので、残念ながら私は訪問は断念した。電車はリマック川北岸のサン・フアン・デ・ルリガンチョ地区に入る。電車内にいる限りは治安の悪さは感じないが、駅の外はどうなのだろうか?。地区内にある8つの駅を通り、9時45分、北の終点であるバジョバルに到着、これでメトロ1号線完乗である。改札を出て見ると、周囲は雑然としながらも商店が立ち並び、家族連れや女性もいて賑わっている。


 バジョバル駅のプラットフォームと駅改札口周辺
 Andenes y Entrada de la estación Bayóvar

 折り返しの南行き電車に乗り、再びサン・フアン・デ・ルリガンチョ地区、ラ・ビクトリア地区を通り抜け、ラ・クルトゥーラ駅で下車。駅前にはペルー国立大劇場や国立図書館もある所でまあ大丈夫そう。ここでタクシーを拾って観光名所の旧市街で向かった。メトロ2号線は未乗であるが、1号線から5kmくらい東に離れた所を走っていて、部分開業の起点エビタミエント駅も終点のメルカード・サンタ・アニータ駅もバスかタクシーでないと辿り着けない場所にある。治安的にも不安な場所だし、2号線は全線地下だし、そもそも部分開業で将来は1号線と接続して市内中心部を通る計画で建設中なので、これはまたの機会とした。

 リマを訪れたのは初めてであり午後は一通りの市内観光をする。その中でも個人的に興味深かったのは、大統領官邸の直ぐ裏にあるデサンパラドス駅である。1912年に竣工したデサンパラドス駅の駅舎は現在ペルー文学館として使われているが、かつてはペルー中部のワンカヨ(ウアンカヨ)との間332kmを走る旅客列車があって、途中のガレラ峠のトンネルは標高4783mと、中国国鉄青蔵線の唐古拉峠に次いで世界で二番目に高所を通る旅客列車であった。(細かいことを言うとガレラ峠の手前から伸びる貨物専用の支線は更に高所の標高4835mを通るらしい。)しかし2020年以降、旅客列車は運休中で、この路線をコンセッション方式で経営するアンデス中央鉄道が現在貨物列車のみを運行している。旅客列車が再開されたら是非にでも乗りたい路線だが、私も若くないし、標高4783mには自信が無い。


 リマの旧市街中心部にあるデサンパラドス駅、構造は単式ホーム1面1線のみ
 Estación Desamparados es ahora donde hay un solo andén y un riel

6月11日:クスコ(サン・ペドロ)→マチュピチュ村に乗車、およびマチュピチュ遺跡観光

 6月10日朝の国内線飛行機でリマからクスコに向かい、同日はクスコ市内や周辺を観光し、ホテルにチェックインする。明日から乗車する列車は全てペルーレイルのウェブサイトで予約購入してあり、クスコ市内のチケットオフィスで予約証を提示して乗車券を発行してもらう(乗車券といってもその場でモノクロプリンターで印刷されたA5の紙で、氏名やパスポート番号なども記されている)。


 クリスト・ブランコのある丘から見下ろすクスコの街並み
 Vista de la ciudad Cusco desde la cima del cerro El Cristo Blanco


 薄暮時のクスコ中心部のアルマス広場
 Crepúsculo de la Plaza de Armas de Cusco

 6月11日火曜日、本日よりいよいよ鉄道乗車再開である。本日の予定は、午前はクスコから鉄道で世界的観光地のあるマチュピチュ村へ行き、午後はマチュピチュ遺跡の観光をして、マチュピチュ村に一泊することになっている。マチュピチュ村と外界を繋ぐ自動車道は無く、唯一の交通機関は鉄道である。マチュピチュ村への列車はペルーレイル PeruRail およびインカレイル InkaRail という2つの鉄道会社が同じ線路で運行しているが(線路の管理はトランスアンディーノ鉄道会社 Ferrocarril Transandino S.A. が行っており、すなわち上下分離方式である)、鉄道運賃はウェブサイトで見ると最安値でも往復約1万5千円と観光地価格である。そのため一部の旅行者はクスコ方面から車が入れる所ではマチュピチュに一番近い「水力発電所」という場所までミニバスで行き、そこからマチュピチュ村まで線路敷を約11km歩いていて、日本人旅行者はこれを米国映画に倣って「スタンド・バイ・ミー」コースと呼んでいるらしい。

 私は普通に鉄道でマチュピチュ村へ向かうが、これも主に3つの選択肢がある。一番ポピュラーなのがクスコから約60km北西にあるオジャンタイタンボ(オリャンタイタンボ)という町までバスなど車で行き、そこから鉄道に乗ってマチュピチュ村へ向かう手段で通年運行されており、列車はペルーレイルとインカレイル合わせて毎日20往復以上と本数が多い。2番目がクスコ市内から西へ約16km行ったポロイという町へバスやタクシーで行き、そこから鉄道に乗ってオジャンタイタンボ経由でマチュピチュ村へ向かう手段で、オンシーズンの乾季である5月から12月までのみペルーレイルが毎日4往復運行している。3番目がクスコ市内にあるサン・ペドロ駅からポロイ、オジャンタイタンボ経由でマチュピチュ村へ向かう手段で、これもペルーレイルが5月から12月まで毎日2往復のみ運行している。クスコ〜オジャンタイタンボ間は鉄道よりバスなどの車の方が速いので、鉄道乗車区間が長いほど所要時間がかかることになり、3つの選択肢の後者ほど時間を要する。しかしながら私にとっては当然ながら3番目の選択肢しかあり得ず、特にサン・ペドロ〜ポロイ間にある5段スイッチバックに乗車したくて遥々ここまで来たのだ。私にとって5段スイッチバックに比べたらマチュピチュの遺跡観光なぞは付け足しである。そのため私はここ数年、5月から12月の間を狙ってペルー旅行のチャンスを窺っていたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による国内外の移動制限が解除されつつあった2022年および2023年はペルーでは政情不安に伴う暴動、ストライキ、道路や線路の封鎖、空港占拠が繰り返され、マチュピチュ村への鉄道もマチュピチュ遺跡の入場も断続的に中止されていた。更にマチュピチュ遺跡の入場券を文化庁が委託した一社のネット販売のみとしたことに対するマチュピチュ村の抗議活動が加わり、2024年1月25日から31日まで列車が運休する事態も起こったが、その後は事態は一先ず沈静化しており、やっと今回の旅行の実行に至ったのである。

 朝6時半にホテルをチェックアウトし、サン・ペドロ駅まで15分ほど歩く。高山病のせいか昨晩から少し頭痛があるが、食欲もあり、ゆっくり歩く位は大丈夫である。市中心部にある市場の向かい側にあるサン・ペドロ駅の周りは建物や塀がビッシリと囲んでいて、駅の外からは列車も線路も見えない。ペルーの主要駅はこういった造りのが多い。駅構内に入ると頭端式ホームの2番線にはこれから乗るマチュピチュ村行き列車が止まっていて、青い客車は観光列車らしく綺麗で、客車の窓を駅職員が磨いている。駅係員に乗車券を見せて待合室で待っていると、隣の1番線に別の列車が貨車+客車2両で入線して来た。これは地元住民専用のローカル列車で、ペルーレイルのウェブサイトにもこの列車の時刻表は載っていない。クスコからマチュピチュ村までのローカル列車の運賃は僅か11ソル(450円)と観光列車の十分の一以下であるが、ローカル列車はペルー国民の身分証明書がないと切符は買えない(更にサン・ペドロ発着便は地元住民の身分証明書がないと乗れない)。


 クスコ市内のサン・ペドロ駅と、サン・ペドロ駅を発車する地元住民専用ローカル列車(右側の列車)
 Exterior de la estación San Pedro de Cusco y Salida del tren local para pasajeros locales y residentes con destino Machu Picchu y Hidroeléctrica

 地元住民専用の列車が7時2分にほぼ満席の客を乗せて発車すると、私の乗る列車の乗車となる。ディーゼル機関車に引かれた客車は6両編成で、前2両がエクスペディションと呼ばれる普通座席、次の3両がビスタドームと呼ばれる上級座席、最後尾1両は展望車でビスタドームの乗客のみが入れる。展望車が連結された列車のビスタドーム車の運賃は、ビスタドーム・オブザーバトリーと呼ばれ更に高額で、片道で税込112.5米ドル(17600円)もするが、展望車最後尾からの風景を楽しみたいのでビスタドーム・オブザーバトリー運賃の座席を購入している。車内はボックスシートと一方向向きクロスシートが混じった座席で、備え付けのテーブルもあって前後幅は広々としているが、3フィート(914mm)軌間のためか座席の横幅がやや狭い気がする。


 サン・ペドロ駅で発車を待つマチュピチュ村行き203列車と、そのビスタドーム車の車内
 Tren de pasajeros Nro. 203 con destino Machu Picchu y Interior del coche Vistadome

 座席の半分位が乗客で埋まり、マチュピチュ村行き203列車は定刻の7時30分にサン・ペドロを発車した。1kmほど西へ走ると早速スイッチバックの開始である。高低差を稼ぐためのスイッチバックというと大抵は人跡稀な山中にあるものだが、ここクスコのスイッチバックは人家が密集するクスコの市街地の中にあり、住宅すれすれの場所に急勾配の線路が敷かれているのが珍しく、坂の多いクスコの町らしい。スイッチバック全体で高低差が約200mあるらしい。展望車でスイッチバックが見れたらと向かうが、乗務員に「今はまだダメ」と断られる。列車は推進運転で後退しながら2段目に入り、急勾配を登る。クスコの町並みが眼下に見えるようになる。7時41分に3段目に入り、7時46分に4段目に入って再び推進運転になるにつれどんどんと視界が開けていき、すり鉢の底に密集するようなクスコの市街地が眼下に広がる。7時52分に最後の5段目まで登り切ると、あとはクスコの郊外の起伏の多い所をクネクネと急曲線を描きながら列車は進む。


 クスコのスイッチバックの図 赤実線が線路(軌間914mm)、赤点線は貨物のみの線路(914mmと1435mmの三線軌条)
 Mapa de los zig-zags de la vía férrea en Cusco


 スイッチバック3段目に入った所、4kmを示すキロポストが見える
 Zig-zag donde el mojón 4km


 スイッチバック5段目に入った所、6kmを示すキロポストが見える
 Zig-zag donde el mojón 6km


 スイッチバック5段目からの景色、眼下にスイッチバック2段目と3段目の間の折り返し地点が見える(黄色の矢印)
 Vista desde la cima de los Zig-zags

 8時19分、ポロイに到着。若干の新たな乗車客があり8時25分にポロイを発車する。ここで展望車の開放が始まるが、3両のビスタドームのうち1両の乗客ずつの入場ということで、私が乗っている車両の客はまだ入れない。乗務員が車内を回り、飲み物と菓子が配られる。これはビスタドーム・オブザーバトリー運賃に含まれている。しばらくは平坦な盆地を走るが、9時12分にウアロコンドを通過すると川の両側の山が迫り、渓谷地帯を北へと走るようになる。


 ポロイ駅と、車窓から見えるウアロコンドの村
 Estación Poroy y Vista del pueblo de Huarocondo

 9時26分、3段スイッチバックが現れ、川沿いの斜面を降りていく。9時35分、展望車への入場案内がやっとあり、展望車最後尾に行き渓谷の風景を堪能する。乗客はみな観光客なので、展望車では乗客同士お互い自己紹介したりと会話が弾み賑やかだ。


 ウアロコンド〜ポマタレス間の展望車からの風景
 Paisaje entre Huarocondo y Pomatales


 ポマタレス〜パチャール間の風景
 Paisaje entre Pomatales y Pachar


 列車最後尾にある展望車の車内
 Interior del coche observatorio

 9時59分、パチャール駅を通過。パチャール駅の構内はほぼ三角形に線路が敷かれていて、当列車は左にカーブして進行方向を北から西へと変えるが、分岐器で右にカーブして東へも線路が伸びており、13km東のウルバンバという所まで1日1往復の旅客列車が走っている。旅程にウルバンバへの列車も加えることもギリギリ可能ではあったが、今回は無理はしないこととした。


 パチャール駅
 Estación Pachar

 10時18分、オジャンタイタンボに到着。この町にはインカ帝国の遺跡がある。ここからの乗客が結構あって車内はほぼ満席となり、10時33分発車。列車はウルバンバ川(ビルカノタ川)沿いの渓谷を進む。車窓右手には雪を頂いたベロニカ峰(標高5893m)がチラチラと見え隠れする。


 オジャンタイタンボ駅と、タンカク付近の車窓
 Estación Ollantaytambo y Paisaje cercano a Tanccac donde se puede observar el Nevado Verónica

 オジャンタイタンボを出てしばらくは渓谷沿いに谷底平野があって耕作地が見られたが、徐々に川の両側の山が迫り、両岸が険しい崖に沿って走る絶景となる。11時半頃に私が乗っている車両の乗客の展望車への入場案内が再びあって、展望車最後尾に行く。オジャンタイタンボ〜マチュピチュ村間は単線の線路に1日23-24往復の列車がひしめくように走っているので、殆どの駅は列車交換が出来るように駅構内は2線になっている。当列車も3回の列車交換がある。11時35分、パンパカウア駅に運転停車すると間もなくオジャンタイタンボ行き列車と交換する。


 パンパカウア駅での列車交換と、パンパカウア付近の風景
 Se cruzan los trenes en la estación Pampacahua y Paisaje cercano a Pampacahua


 パンパカウア〜セドロバンバ間の風景
 Paisaje entre Pampacahua y Cedrobamba

 渓谷沿いの線路が延々と続いていたのが分岐器を渡り、突然4〜5階建ての建物が並ぶ所に入ると、2面3線の頭端式ホームと駅舎が現れ、12時13分、マチュピチュ村に到着した。


 マチュピチュ村駅に到着と、マチュピチュ村駅の外観
 Llegada a la estación Machu Picchu Pueblo y Exterior de la estación

 マチュピチュ村駅は両側の険しい山の間の僅かな平地に作られた駅で、世界的観光地の玄関口らしく整備されている。駅構内を出て振り返ると駅への入り口は2つに分かれていて正面が観光列車用だが、その左脇にローカル(地元住民用)列車の入り口がある。またここにはペルーレイルのウェブサイトなどには公開されていないローカル列車の時刻表が掲示されていて、これは貴重な情報だ。


 ローカル(地元住民用)列車の時刻表掲示
 Cartelera de los horarios de los trenes locales

 写真に納め、ペルーレイルやインカレイルのウェブサイトおよびクスコ - サン・ペドロ駅に掲示してあった観光列車時刻表と突合して作成したのが、下記の時刻表である。ローカル列車は5往復設定されいているが、列車一本がまるまる地元住民専用となっているのはクスコ - サン・ペドロ〜水力発電所 Hidroeléctrica を直通する21列車と22列車のみで、他の4往復は観光列車車両との併結である。

2024年5月〜12月 クスコ - サン・ペドロ〜クスコ - ポロイ〜(ウルバンバ〜)オジャンタイタンボ〜マチュピチュ村〜水力発電所間 列車時刻表
 *下り時刻表の距離 (km) はクスコ - ワンチャック駅を起点として表示(沿線に立っている距離標は全てワンチャック駅を起点として記されている)
 **運行会社:P=ペルーレイル PeruRail、I=インカレイル InkaRail
 ***列車種別:T=観光列車Tren Turístico、L=ローカル(地元民用)列車 Tren Local
 ****連結車両等級:
      ペルーレイル(運賃が高い順に)→H=ハイラム・ビンガム、O=ビスタドーム・オブザーバトリー、V=ビスタドーム、E=エクスペディション、L=地元民用車両
      インカレイル(運賃が高い順に)→FP=ファーストクラスまたはプレミアム・アンド・ラウンジ(日によりどちらか)、3=360˚、Vo=ボイジャー

 午後はマチュピチュ村からバスで山道を30分ほど登り、14時からマチュピチュ遺跡を観光する。マチュピチュ遺跡の建築物や段々畑などどれもがインカ帝国時代を想像させ興味深かったが、私にとっては眼下約400mの谷間に小さく見えるウルバンバ川と、一方ここより高い周囲の山々のダイナミックな風景がより印象的であった。


 マチュピチュ遺跡の眺め
 Vista de la llaqta Machu Picchu


 マチュピチュ遺跡の眺め
 Vista de la llaqta Machu Picchu

15時5分頃には眼下からタイフォンの響きが聞こえ、ウルバンバ川沿いの線路を走る水力発電所からマチュピチュ村へ向かう列車が小さく見えた。


 マチュピチュ遺跡からの眼下にプエンテ・ルイナス駅と列車が見える
 Vista de la estación Puente Ruinas y el tren procedente de Hidroeléctrica

 今晩はマチュピチュ村のホテルに泊まる。マチュピチュ村はかつてアグアス・カリエンテス(「熱い水」という意味)という村名であった。狭い渓谷沿いにホテルやレストランが立ち並ぶ様は、日本で見かけるような渓谷沿いの温泉街そっくりで、観光客で賑わっていた。


 マチュピチュ村内を走るディーゼル機関車
 Locomotora diésel cruzando el pueblo de Machu Picchu

6月12日:マチュピチュ村―水力発電所駅に往復乗車、およびマチュピチュ村→クスコ(ポロイ)に乗車

 6月12日水曜日、ホテルの朝食会場は早朝5時からマチュピチュ遺跡に向かう観光客で賑わっているが、私が早起きしたのはマチュピチュ遺跡のためではなく、マチュピチュ村〜水力発電所間11kmを走る朝の列車に乗るためである。マチュピチュ村内には鉄道駅が2ヶ所あり、一つは昨日列車を降りた、行き止まり駅の所謂「マチュピチュ村駅」で、全ての上り列車の発車と多くの下り列車の到着に用いられる。もう一つが「マチュピチュ村駅」に着く100m位手前で線路が分かれ、村内を南東から北西へと通る線路兼道路沿いにある駅で、時刻表には「インカ帝国通り Av. Imperio de los Incas」という駅名?で記されていて、オジャンタイタンボ方面から水力発電所へ直通する2本の列車の発着と一部の観光・ローカル車両併結列車の到着に用いられている。今日これから乗る水力発電所行きの観光・ローカル車両併結列車は「マチュピチュ村駅」は通らず「インカ帝国通り」の方に停車することは調べて分かっているのだが、YouTubeをいくつか見てみると列車の停車場所が村の通りの南東寄りだったり北西寄りだったりと異なっている。なので、昨夕は散歩がてら駅の位置を確認しようと線路兼道路となっている「インカ帝国通り」を南北に一通り歩いたが、通りの両側はホテルやレストランが並ぶばかりでどこにも駅舎などない。ただ、通りの北寄りの線路は列車交換用なのか一部が2線になっていて、荷物の積み下ろし場所らしき倉庫がある。おそらくこの辺りが停車場所だろう。

 ホテルを出るときにフロントの人に水力発電所行き列車の乗り場を尋ねると、「コミサリア(警察署)の前だ」との返事。コミサリアは通りの北西寄りにあるので、そこで列車を待つ。6時34分、ディーゼル機関車に引かれた客車5両の列車が到着。客車の前4両がローカル車両、最後尾1両が観光車両(エクスペディション)で、どちらの車両からも降車客が多い。ここから水力発電所までの乗車時間は約40分なので私なぞ安いローカル車両の方で十分なのだが、外国人は観光車両の高い乗車券しか購入できないので、前もってペルーレイルのウェブサイトでエクスペディションの乗車券片道37米ドル(5800円)を購入済みである。乗車時には車両のデッキで乗車券とパスポートをしっかりチェックされる。観光車両にも何組かのグループ客が乗ってきた。


「インカ帝国通り」に停車中の水力発電所行き71列車と、そのエクスペディション車の車内
 Tren de pasajeros Nro. 71 con destino Hidroeléctrica parado en la estación Av. Imperio de los Incas, y Interior del coche Expedition

 6時45分、水力発電所行き71列車はインカ帝国通りを発車。マチュピチュ村の家並みが途切れると、列車はウルバンバ川沿いの峡谷の底に敷かれた線路をゆっくりと進む。両側は切り立った崖なので、空は晴れているのに朝日が差し込まず車窓は薄暗い。6時51分にマチュピチュ遺跡への道路が分かれるプエンテ・ルイナスに停車。6時58分にマンドールに停車。マンドール駅の辺りは2月25日と4月11日の二度に亘って土砂崩れが発生していて、そのためインカ帝国通り〜水力発電所間は4月27日まで運休していた。辺りは土砂崩れの跡であろうか、線路の周囲は白っぽい流木や石がまだ散乱している。7時11分、時刻表には載っていないがインカ・ラカイという所に停車。これら途中の駅周囲はこの区間を歩いて踏破する旅行者のための食堂や小さなロッジやキャンプ地があるだけで、その他の民家はなさそう。7時16分にサン・ミゲルを出ると間もなくウルバンバ川を鉄橋で渡る。終点の水力発電所の手前には3段スイッチバックがあり、7時22分に最初の分岐器のある所に停車。目の前には水力発電所施設の変圧器や送電線が立ち並び、左手の山の斜面を降りる水圧管が見える。列車は推進運転で後退し、別の分岐器を越えるとまた前進し、7時28分、終点の水力発電所駅に到着した。ディーゼル機関車は直ちに機回し線を通って客車の反対側へ付け替えられる。観光車両から降りたグループ客は周囲の山にトレッキングに向かうようで、リュックサックを背負った彼らが去ると駅周囲は急に静かになった。かつてはここから50km先のキジャバンバという町まで鉄道が伸びていたが、1998年の豪雨による土砂崩れにより廃止になっている。


 マンドール駅周辺の風景と、水力発電所
 Vista cercano a la estación Mandor y Instalaciones de la central hidroeléctrica


 終点の水力発電所駅
 Estación final Hidroeléctrica


 水力発電所駅で発車を待つオジャンタイタンボ行き72列車、牽引機はメキシコのサンルイス・ロコモトーラ社2016年製のLSL1400型ディーゼル機関車
 Tren de pasajeros Nro. 72 en la estación Hidroeléctrica con destino Ollantaytambo, Locomotora diésel modero LSL1400 fabricada el año 2016 por la empresa mexicana Locomotoras San Luis

 トレッキングに興味のない私は7時54分発の折り返し72列車に乗ってマチュピチュ村に戻る。実は、水力発電所への往復乗車券をペルーレイルのウェブサイトで購入した時、往復で買うと10%割引になるので、往路は71列車、復路は同日の72列車を指定して購入しようとするも「復路の時間は往路の時間の後でないとならない La hora de retorno debe ser posterior a la hora de salida」とのエラー表示が出て購入できなかった(復路を14時50分発のにすると往復で購入できる)ので、やむなく往路、復路別々に片道で予約購入している(なので割引が効かなかった)。どうもこの予約システムは私のような変人には対応していないようである。72列車の観光車両は私一人だけだ。帰りの車窓では山の上半分くらいに日光が差し込んでいる。昨日はマチュピチュ遺跡から眼下を走る列車が小さいながら見えたので、列車の車窓からも山の尾根にあるマチュピチュ遺跡が見えないかと目を凝らしたが、私には確認できなかった。やはり空中都市と言われる所以である。列車はインカ帝国通りは止まらずマチュピチュ村内を通り過ぎ、マチュピチュ村駅の南の分岐器を越えると推進運転で後退し、8時36分にマチュピチュ村駅に到着した。


 サン・ミゲル〜マンドール間の車窓
 Paisajes entre San Miguel y Mandor

 10時からもう一度マチュピチュ遺跡を観光し、その後はマチュピチュ村内のレストランで昼食をとり、駅前に市場のように立ち並ぶ土産物屋を散策し、15時20分発のポロイ行き34列車に乗る。今度は一番安いエクスペディション席にしたが、それでも片道税込68.4米ドル(10700円)かかる。列車は夕暮れのウルバンバ渓谷を走り、日が暮れた18時57分、ポロイに到着した。駅の外に群がるようにいるタクシー運転手と交渉し、40ソル(1640円)でクスコの中心部まで連れて行ってもらった。今晩は一昨日と同じホテルに泊まる。


 列車は夕暮れのウルバンバ川(ビルカノタ川)を渡る、とポロイ駅に到着した列車
 Cruzando sobre el río Urubamba (el río Vilcanota) y Llegada a la estación Poroy

6月13日:ベルモンド・アンディアン・エクスプローラー第1日:クスコ(ワンチャック)→プーノ埠頭に乗車

 6月13日木曜日、本日から3日間は今回の旅行で一番楽しみにしていた豪華列車の旅となる。クスコとアレキパを2泊3日で結ぶ列車はアンディアン・エクスプローラーと名付けられていて、運行はペルーレイルが行なっているが、車内サービスは世界各地で高級ホテルや豪華列車を展開しているベルモンド社(旧オリエント・エクスプレス・ホテルズ社)が担っている。ベルモンド社が運営している豪華列車は、ペルーではアンディアン・エクスプローラーの他にもマチュピチュへのハイラム・ビンガムがあり、またヨーロッパ大陸ではベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスを、シンガポールとマレーシアではイースタン&オリエンタル・エクスプレスを運営している。アンディアン・エクスプローラーは毎週火曜にクスコ→プーノ、水曜〜木曜にプーノ→クスコ、木曜〜土曜にクスコ→プーノ→アレキパ、土曜〜月曜にアレキパ→プーノ→クスコと運行している(但し2月は全便運休する)。全席個室寝台車で、個室寝台は上級から順にスイート・キャビン(ダブルベッド)、ツインベッド・キャビン、バンクベッド・キャビン(2段ベッド)の3クラスがあり、各室2人または1人使用となっている。寝台の予約購入はペルーレイルのウェブサイトでできる。ベルモンド社が世界中で運営している豪華列車の料金はどれも高額だがアンディアン・エクスプローラーの料金も高く、料金には3日間の全ての飲食代や途中地でのツアー代金が含まれたいわゆるオールインクルーシブだが、それでもここに書くのも憚られるような値段で、私は一番安いバンクベッド・キャビンを予約したが、これほどのお金を鉄道料金に払ったのは生まれて初めてである(料金に興味のある方は御自分でペルーレイルのウェブサイトで調べてみて下さい)。オンラインで予約購入すると翌日にはメールで乗車券のpdfと共に「食物アレルギーや食事制限があるか?、何か特別な記念で旅行するのか?、歩行に支障はあるか?、クスコでの宿泊ホテル名を教えて欲しい」の問い合わせが来る。5月14日に再びメールが来て「6月4日クスコ出発以降、クスコでのアンディアン・エクスプローラーのチェックインは乗車当日午前10時よりベルモンド・ホテル・モナステリオで出来ます。そこからワンチャック駅までは(メルセデス・ベンツ)スプリンターのマイクロバスで送ります」とのこと。ベルモンド・ホテル・モナステリオはクスコ市内中心部にある最高級ホテルで、私が前の晩に泊まるホテルからは徒歩圏内にあり好都合である。

 泊まっていたクスコのホテルを午前10時前にチェックアウトして歩く。ベルモンド・ホテル・モナステリオが近づくと、キャリーバッグを転がしながら歩く私を見たホテルのドアマンが寄って来て、荷物を運んで乗客の待合室となるホテルのロビーバーへ案内してくれる。初っ端からきめ細かなサービスである。キャリーバッグは列車の個室まで運んでおいてくれるとのことで預け、ロビーバーのソファーで寛いでいるとドリンクと菓子を持って来てくれる。一角ではヴァイオリンの生演奏をしている。列車のスタッフがやって来て、乗車券とパスポートのチェック、本日のこれからの予定、食物アレルギーや食べられない物があるかの質問、終点のアレキパでの空港への送迎の有無などを確認する。スタッフはスペイン語と英語が喋れる。各乗客それぞれにスタッフが説明してくれるので当方はソファーに座ったままで手続きが出来て楽であり、分からないことがあれば質問も出来る。10時40分過ぎになると送迎の案内があり、乗客はホテル前で待つマイクロバスに分乗してワンチャック駅へ向かう。マイクロバスは10分弱でワンチャック駅に着き、駅ホームのすぐ手前に横付けされる。ホームにはアンディアン・エクスプローラーの客車が連なって停まっていて、列車の先頭部を撮影しようと思っても、編成は長く、ディーゼル機関車や最前部の客車はホームからはみ出ていて撮れなかった。


 アンディアン・エクスプローラーのチェックインを行うベルモンド・ホテル・モナステリオのロビーバーと、ワンチャック駅で発車を待つアンディアン・エクスプローラー
 Lobby bar del Belmond Hotel Monasterio donde se realiza el check-in de Andean Explorer y el tren Andean Explorer en la estación Wanchaq

 後ろから5両目のピアノバーの車両から乗車し、ピアノバーのソファーに座っていると順番に案内があり、スタッフの一人が個室の鍵を持って個室寝台まで案内してくれる。ホテルのベルボーイのようなサービスだ。3日間の私の居室となる個室はTaraの1号室で、バンクベッド・キャビンは5.5平米と狭い部屋ながらもソファー兼2段ベットに窓際の机、クローゼットがあり、ミネラルウォーターやレターセットも置かれている。個室内の内扉を開けると水洗トイレと洗面器があり、その奥にはシャワーがあり、タオル一式から石鹸、シャンプー、コップなどが備えられており、狭いことを除けば高級ホテルと遜色のない設備である。空調温度は個室内からは操作出来ないとのことで、室温調節やその他何でも用件があったら呼び鈴を押して下さい、スタッフがすぐ来ますとのこと。


 アンディアン・エクスプローラーのバンクベッド・キャビンの個室内(ソファーベッド、洗面器とシャワー、トイレ)
 Interior del la Cabina Bunk del Andean Explorer (sofá-cama, ducha y lavamanos, y WC)

 11時7分、アンディアン・エクスプローラー14列車はクスコ・ワンチャック駅を出発した。個室内のアメニティーを確認したら、次は列車内を探検する。列車はディーゼル機関車重連に引かれて客車16両と長編成で、各客車の大部分にはペルーの動物や草花に因む愛称名が付いているのでチェックしてみると(カッコ内が愛称名、?は不明でスタッフルームかも)、前から電源車 - 寝台車 (?) - 寝台車 (?) - 寝台車 (Yareta) - 寝台車 (Tola) - 寝台車 (Tara) - 寝台車 (Totora) - 寝台車 (Chilca) - 寝台車 (Capuli) - 寝台車 (Coca) - スパルーム (Picaflor) - ピアノバー (Maca) - 食堂車 (Muña) - 厨房車 - 食堂車 (Llama) - 展望車 (Ichu) の順である。各寝台車には個室が2ないし3部屋あって、全ての個室を2人使用した場合の列車の乗客最大定員は48名らしい。厨房に丸々一両が当てられているのも珍しいが、パブリックスペースとして用いられる車両が5両も連結されており、ともかく贅沢な編成である。これらの客車は1999年オーストラリア製で、元々は同国クイーンズランド鉄道で運行されていたグレート・サウス・パシフィック・エクスプレスという豪華列車だったが、僅か4年後の2003年に廃止され、客車はその後しばらく使われていなかったが、2016年にベルモンド社の所有となってペルーに送られ、2017年よりアンディアン・エクスプローラーとして走っている。私に指定された個室の寝台車Taraからお目当の最後尾展望車までは、寝台車の狭い廊下を何両も歩かねばならないが、いい運動だと思うこととする。


 個室寝台車の廊下と、スパルームの室内
 Pasillo del Coche Dormitorio y Interior del Coche Spa


 ピアノバーと、食堂車
 Coche Piano Bar y Coche Restaurante


 展望車のバーカウンターとソファーと、最後尾のオープンデッキ
 Coche Observatorio con un bar y un balcón

 展望車は車内の3/4位がバーカウンターとソファーになっていて、最後尾1/4位がオープンデッキになっている。一昨日乗ったマチュピチュ村行き列車と違って乗客数が少ないので、好きなだけ居放題である。オープンデッキから外を眺めているとスタッフがナッツのおつまみを持ってきて、何か飲み物は如何ですかと聞いてくる。至れり尽くせりである。スタッフは車掌、客室係、食堂車の給仕、コック、バーテンダー、エステティシャン、ミュージシャン、警備員、看護師、ツアーガイドなど総勢50人近くが乗務しているらしい。列車はクスコ郊外の盆地を走り、12時12分にウアンブティオ駅を通過した辺りから両側の山が迫って来て、蛇行するウルバンバ川(ビルカノタ川)沿いを縫うように進む。


 ウアンブティオ駅と、ウアンブティオ〜アンダワイリジャス間の風景
 Estación Huambutio y Paisaje entre Huambutio y Andahuaylillas


 ウアンブティオ〜アンダワイリジャス間の風景、キロポストの303kmはフリアカからの距離
 Paisaje entre Huambutio y Andahuaylillas, se ve el mojón 303km desde Juliaca

 12時40分、昼食の案内があり、食堂車または展望車のどちらでも食べれるとのことで展望車のソファーで頂く。アミューズ、前菜、メイン、デザート、コーヒーが1時間以上かけてゆっくり供される。


 食堂車の昼食:アミューズと前菜(セビチェ)
 Almuerzo en el coche restaurante: Amuse-bouche y Entrada (Ceviche)


 メイン(アンティクーチョ)とデザート(ケーキ)
 Plato principal (Anticucho) y Postre (Pastel)

 14時21分、ティンタ駅に停車。ここで乗客達は一旦下車してマイクロバスに乗り、5km南東にあるラチ遺跡へエクスカーションをする。ラチ遺跡はインカ帝国時代の建造物が残っっていて、ビラコチャ神殿の跡と言われるアドベ(日干しレンガ)で出来た壁や、コルカと呼ばれる石組みの食料貯蔵庫などを見学する。アンデス高原の晴れた日の陽射しは強く、歩き回ると汗が出る。マイクロバスでティンタ駅に戻ると、列車のスタッフから冷たいおしぼりが渡された。


 ティンタ駅
 Estación Tinta


 ラチのインカ時代の遺跡:ビラコチャ神殿と、コルカ
 Sitio arqueológico incaico Raqchi: Templo de Huiracocha (Viracocha) y Colcas

 15時59分、ティンタ駅を発車。再び展望車へ行くと 果物・シャーベットとコカ茶が提供される。16時44分、シクアニ駅を通過。現在はこの駅に停車する旅客列車はない。ペルーの鉄道の線路はしばしば町の中心部を貫いて敷かれているので、そこでは広い線路敷には自動車が停めてあったり屋台があったりで人出が多く、住民の生活が垣間見えるようで面白い。ティンタを出た時には半袖でも暑かったのに、夕方になるとみるみる寒くなってきてコートを着込む。


 シクアニの中心部と、シクアニ駅
 Centro de la ciudad Sicuani y Estación Sicuani

 列車は夕暮れの村々を次々と通り過ぎ、17時30分に標高4045mのアグアス・カリエンテス駅(マチュピチュ村のかつての村名と同じで、ここには温泉場がある)を通過する頃には太陽は山の稜線に沈みかけていた。ここからクスコ県とプーノ県の県境にあるラ・ラヤ峠までは集落がなく、列車は山と山の間の勾配を登って行く。先頭のディーゼル機関車重連がもくもくと黒煙を吐いているのが見える。


 アグアス・カリエンテス駅と、アグアス・カリエンテス〜ラ・ラヤ峠間の風景
 Estación Aguas Calientes y Paisaje entre Aguas Calientes y La Raya


 アグアス・カリエンテス〜ラ・ラヤ峠間の風景
 Paisaje entre Aguas Calientes y La Raya

 17時51分、ラ・ラヤ峠に到着。ネット上で見る写真などからラ・ラヤ峠の標高はラ・ラヤ駅にある掲示が4319m、近くを並走する道路は駐車場の看板が4335m、道路標識が4338mである。多くの資料でここは世界の鉄道路線の標高ランキング第4位とされている場所で、現在旅客列車が運行されている路線に限定すれば中国国鉄青蔵線の唐古拉峠に次ぐ世界第2位となる(実はアンディアン・エクスプローラーの沿線には更に高い所があることは後述する)。15分ほど停車するので下車する。日は殆ど暮れ、北の方角に聳えるチンボヤ山(標高5489m)がやっと見える位だが、こんな時間でも駅の横では地元の女性達が観光客向けのマントやマフラーなどの織物を売っている。


 ラ・ラヤ峠に停車
 Parada en la Estación La Raya


 ラ・ラヤ峠に停車
 Parada en la Estación La Raya

 ラ・ラヤ峠を出発すると列車は闇夜を進む。19時にピアノバーへ行くとピアノの生演奏があり、ピスコサワーとカナッペが振舞われる。19時40分頃になるとスタッフが乗客を1組づつ食堂車へ案内する。白ワインを飲みつつ、アミューズ、前菜、メイン、デザート、菓子を頂く。


 食堂車の夕食:アミューズと前菜
 Cena en el coche restaurante: Amuse-bouche y Entrada


 メインとデザート
 Plato principal y Postre

 1時間半をかけたディナーが終わり、個室に戻ると昼間のソファーは寝台になっていてシーツや枕がセットされていた。スタッフから「明朝5時半にピアノバーへ来れば夜明けのチチカカ湖を案内します」とのことで早く寝ることとする。外国人が書いたアンディアン・エクスプローラーのいくつかの乗車体験記には、列車の揺れで寝心地が悪いと書いてあったが、ここより遥かに劣悪な路線の夜行列車に数多く乗ったことがある私としてはさほどの揺れでもなく、まずまず眠れた。23時過ぎに列車はプーノの埠頭に着いたようである。


 寝具がセットされたソファーベッド
 Sofá-cama con configuración nocturna

6月14日:ベルモンド・アンディアン・エクスプローラー第2日:チチカカ湖観光、およびプーノ埠頭→フリアカ→サラコチャに乗車

 6月14日金曜日午前5時半、ツアーガイドの案内で列車を降りる。プーノの埠頭の標高は3812m、まだ夜明け前で気温は0度近い寒さだ。列車はチチカカ湖に突き出た埠頭に停まっていてディーゼル機関車は外されている。線路は埠頭の先端の数十センチ手前まで伸びていて、スタッフが準備した焚き火にあたりながら、配られるホットコーヒーを飲みつつ、埠頭の先端で日の出を待つ。6時3分にチチカカ湖の島の向こうから太陽が姿を現し、背後の山の中腹のプーノの町並みがみるみる明るくなってきた。


 プーノの埠頭から眺める夜明けのチチカカ湖と、プーノの埠頭に停車中のアンディアン・エクスプローラー
 Amanecer del lago Titicaca desde Puno Muelle y Tren Andean Explorer en el Puno Muelle

 かつてはここプーノとボリビアのグアキ港の間ではチチカカ湖を渡って国を跨ぐ鉄道連絡船が通っていてが、1980年代にプーノとボリビア国境デサグアデーロ間の道路が整備されたため鉄道連絡船は廃止されている。今いる埠頭の北側の岸壁には1931年就航の英国製蒸気船オジャンタ Ollanta が、南側の岸壁には1971年就航のカナダ製車両航送船マンコ・カパック Manco Capac が係留されているが、いずれも使われている気配はなかった。


 プーノの埠頭に係留されている蒸気船オジャンタと、車両航送船マンコ・カパック(マンコ・カパックの車両甲板の線路はペルー側の1435mmとボリビア側の1000mmの両方に対応した三線軌条となっている)
 Vapor "Ollanta" y Barco transbordador "Manco Capac" amarrados a Puno Muelle

 列車に戻リ、食堂車で朝食をとる。メニューから選べるようになっていて、ハムや卵料理といった一般的な洋朝食の他に「プーノの伝統的冷製ポテト Traditional cold potato from Puno」なるものがあってオーダーすると、ウチュクタというやや辛いソースで和えた角切りのポテトとチーズの盛り合わせが出てきた。


 食堂車の朝食:プーノの伝統的冷製ポテトと果物盛り合わせ、コーヒー
 Desayuno en el coche restaurante: Papas frías tradicionales al estilo puneño, coctel de frutas, y café

 本日は8時半出発のチチカカ湖ツアーが組まれている。列車はプーノの埠頭に停まったままで、時間もあるので個室内のシャワーを浴びる。シャワー室は狭いながらもシャワーの湯温調節はちゃんとできるし、出てくるお湯の量も豊富で、下手な中級ホテルあたりよりずっとお湯の出は良い。おそらく各車両に水を貯めるタンクがあるのだろうが、列車全体でどれだけの水を貯めているのだろう。

 8時半に再び列車を降り、埠頭近くの観光船乗り場まで歩き、乗客は2艘の高速船に分乗して港を出航する。ここで分かったのは乗客は合わせて30人弱で、チチカカ湖ツアーの参加を希望せず列車内に留まる客も数人いるらしいが、アンディアン・エクスプローラーの乗客は合わせて30数名で列車の定員を満たしていない。乗客のほとんどはカップルで1人客は見たところ私以外はもう1人だけのようなので、列車の個室は全部は売れなかったと思われる。


 チチカカ湖ツアーの高速船の船内と、船尾からのチチカカ湖の風景
 Interior del barco de alta velocidad y Navegación por el lago Titicaca

 今日は雲ひとつない快晴で日差しが強い。40分程航行してまず着いたのがウロス島である。ウロス島はトトラと呼ばれる葦を重ね合わせて作った人工の浮島で、数十の浮島があるので島と言うより諸島である。ガイドが言うには、浮島が流されないように湖の底に杭を打つとのことで、さもないと一晩で浮島はボリビア領まで行きかねないとのこと。


 人工の浮島であるウロス島と、トトラで作られた葦船
 Isla flotante de los Uros y Balsa de totora

 次に再び高速船に1時間程乗って着いたのはタキーレ島で、チチカカ湖ペルー領では2番目に大きな島である。島の海岸で島民が笛(サンポーニャ)と太鼓にのって踊るのを見て、島の伝統的な織物を見学して、丘の上のレストランで乗客みんなで昼食をとった。昨日から列車の展望車やピアノバーで、またツアー中に何組もの乗客と会話をしたが、乗客の国籍は米国が一番多い印象で、その他には韓国、カザフスタン、ドイツ、フランス、メキシコ、ブラジルから来た人達と会話をした(日本人は私だけであった、またペルー人の乗客はいなかった)。メキシコ人とブラジル人以外でスペイン語を話す乗客は居ないので英語の苦手な私は会話に疲れるし、また列車スタッフやガイドは全員英語が話せるので、会話中はペルーに居ながらペルーでないような違和感を感じてしまった。


 タキーレ島の湖岸の向こうに見える雪を頂いた山はボリビア領のアンコウマ山(標高6427m)、タキーレ島の段々畑
 Isla de Taquile

 高速船でプーノの港に戻ったのは16時少し前で、列車が停まる埠頭の建物に案内され、飲み物と軽食を頂く。


 プーノの埠頭の建物での午後のお茶と軽食
 Té y merienda de la tarde en el Puno Muelle


 プーノの埠頭で発車を待つアンディアン・エクスプローラー、牽引機は米国プログレス・レール・サービシス社2015年製のGT42AC型ディーゼル機関車
 Tren Andean Explorer en el Puno Muelle, Locomotora diésel modero GT42AC fabricada el año 2015 por la empresa Progress Rail Services

 アンディアン・エクスプローラーは行き止まりのプーノの埠頭から昨日とは逆方向に走ることとなるが、客車は今朝停車していた時とは異なって展望車が埠頭先端側にいる、即ち客車の全編成が方向転換されて展望車が編成の最後尾なっている。我々がチチカカ湖ツアーに行っている間にどこかで三角線回しをしたのだろう。16時49分、列車はプーノの埠頭を発車。プーノの市街地を走るが、線路脇には露店が並び賑わっていて、列車は警笛を鳴らしながらゆっくりと走る。市街地を走るときには展望車のオープンデッキに黒服の警備員が居て見張っている。車外から飛び乗ろうとする輩がいないか監視しているらしい。


 プーノの埠頭からの発車光景と、プーノの市街地
 Salida del Puno Muelle y Pasando el centro de la ciudad Puno

 17時0分、プーノ駅を通過。レンガ造りの駅舎は趣があって、かつてはプーノの玄関口であったことを偲ばせるが、現在この駅を発着する旅客列車はペルーレイルがクスコ〜プーノ間を週3往復運行する観光列車のみであり、地元民には殆ど縁のない駅となっている。


 プーノ駅
 Estación Puno

 プーノの市街地を抜けると、車窓右手に湿地帯が広がる。チチカカ湖の水位は徐々に減っているらしく、水が引いた跡と思われる草地に突堤桟橋らしきものが見えたりする。17時42分、パウカルコジャ駅に運転停車すると、間もなくペルーレイルのプーノ行き観光列車と交換。向こうの展望車からは何人もの乗客がこちらの列車にカメラを向けていた。


 プーノ〜チンチェロス間の風景と、パウカルコジャ駅での列車交換
 Paisaje entre Puno y Chincheros y Se cruzan los trenes en la estación Paucarcolla

 すっかり日は暮れたが、展望車のスタッフが「もうすぐ通るフリアカの町のストリート・マーケットは見物ですよ」と教えてくれる。18時42分、フリアカ駅を通過。この駅は標高3825mである。


 フリアカ駅
 Estación Juliaca

 駅を出ると線路の両側にはビッシリと商店が立ち並び、売り物とか店の看板や庇が線路ギリギリまで迫り、列車の最後尾が通り過ぎた途端に人々が線路上に溢れる。少し進むと線路がクスコ方面とアレキパ方面へ分かれる重要な分かれ目に差しかかるが、単線の線路が普通の片開き分岐で分かれる素っ気ない分岐器で、当列車は露店が並ぶ中を左にゆっくりとカーブし、西へと方向を変えてアレキパに向かう。


 フリアカの市街地と、クスコ方面とアレキパ方面へ分かれる分岐器
 Pasando el centro de la ciudad Puno y Desvío de vías a Cusco y Arequipa

 19時45分、食堂車の案内がありディナーとなる。アミューズの冷製スープ、前菜、メイン、デザート、菓子を頂く。食後のコカ茶を飲んでいると21時22分、列車は停車。サラコチャに到着である。これからピアノバーでミュージシャンがライブをするとスタッフが勧めてくるが、明朝5時半から希望者はサラコチャの丘の頂上に登って夜明けの観賞が出来ることになっており、私にとってはライブより明朝の早起きの方が大切なので、個室に戻り寝る。サラコチャに停車中なので車内は静かである。


 食堂車の夕食:アミューズと前菜
 Cena en el coche restaurante: Amuse-bouche y Entrada


 メインとデザート、食後の菓子
 Plato principal, Postre, y Confitería

6月15日:ベルモンド・アンディアン・エクスプローラー第3日:サラコチャ→アレキパに乗車

 6月15日土曜日午前5時半、昨日同様ツアーガイドの案内で列車を降りる。列車から降りた乗客は10人位であった。列車が一晩停車していたサラコチャは標高4210mなので高山病と思われる頭痛が少々あるが、他の乗客も同様で、ガイドは「皆さん、ここではそれはノーマル」と笑っている。日の出前の線路脇の薄暗い丘を、ガイドの懐中電灯の明かりを頼りに息を切らしながら登る。丘の頂上に辿り着くと、東の眼下にはサラコチャ湖が、西の眼下には列車とラグニージャス湖が見え、薄明から日の出へ刻々と空、山、湖の色彩が変わっていく様は絶景としか言いようがなく、写真も沢山撮ったがこの目で見た美しさには敵わない。サラコチャは列車交換が出来るように2線になっているが、鉄道職員のためと思われる建物が一つあるだけで集落もなく、駅と言うよりは信号場だ。列車の先頭部分に目を凝らすと、ディーゼル機関車の前方の線路上に白いピックアップトラックが止まっている。このピックアップトラックには鉄車輪が取り付けられ列車と同じように線路上を走行できるようになっていて、アンディアン・エクスプローラーの少し先を走行しながら線路の異常がないかチェックしているらしい。


 夜明けのサラコチャに停車中のアンディアン・エクスプローラーとラグニージャス湖(西方向)、サラコチャ湖(東方向)
 Amanecer de la laguna Lagunillas y Tren Andean Explorer (al oeste), y la laguna Saracocha (al este)


 サラコチャに停車中のアンディアン・エクスプローラーとラグニージャス湖
 Laguna Lagunillas y Tren Andean Explorer parado en la estación Saracocha

 列車に戻ると、食堂車がオープンしていて朝食をとる。一般的な洋朝食の他に「アレキパ 風ウミータ Humita arequipeña」というのがあるので試してみる。ウミータとはトウモロコシをすり潰して蒸した料理で、出てきたウミータには赤タマネギのマリネが乗っていて、見た目にも凝っていた。


 食堂車の朝食:アレキパ風ウミータと果物盛り合わせ
 Desayuno en el coche restaurante: Humita arequipeña y coctel de frutas

 6時41分、サラコチャを発車。列車はラグニージャス湖畔の山腹を巻くように進む。線路は等高線に沿うようなカーブの連続で、列車は右へ左へとくねくねしながら勾配を登っていて、車窓右手にラグニージャス湖を見下ろしつつ線路と湖の高低差が徐々に広がっていく。この絶景はアンディアン・エクスプローラーのアレキパ行きに乗らないと見ることは出来ない(アレキパ発の逆方向の列車はここを夜間に通る)。大枚をはたいてでもこの列車に乗った価値を感じ始める。早朝のせいか展望車のオープンデッキにかじり付いているのは私だけで、絶景を独り占めの気分である。7時14分にラグニージャス駅を通過してしばらく走ると、車窓は高原地帯に変わる。


 展望車からの眺めと、サラコチャ駅を出発
 Vista desde el Coche Observatorio y Salida de la estación Saracocha


 サラコチャ〜ラグニージャス間の風景
 Paisaje entre Saracocha y Lagunillas


 サラコチャ〜ラグニージャス間の風景
 Paisaje entre Saracocha y Lagunillas


 サラコチャ〜ラグニージャス間の風景
 Paisaje entre Saracocha y Lagunillas


 サラコチャ〜ラグニージャス間の風景と、ラグニージャス駅
 Paisaje entre Saracocha y Lagunillas, y Estación Lagunillas

 個室に戻り、シャワーを浴びたり荷物を整理している間に列車はプーノ県からアレキパ県に入っていた。実は、この旅を終えて当旅行記を書くにあたっていろいろと資料を調べていたら、どうやらこの間に列車はアンディアン・エクスプローラーの沿線の標高最高地点を通過していたのだ。多くの旅行記でアンディアン・エクスプローラーの通るペルー南部鉄道の最高地点はラ・ラヤ峠と書かれているが、ウィキペディアのスペイン語版の「Ferrocarril del Sur (Perú)」の項をよく見ると、この路線の最高地点はクルセーロ・アルト Crucero Alto という所で標高4480mと記されている。Googleマップで調べるとクルセーロ・アルトはプーノ県とアレキパ県の県境から約2kmプーノ県側の小さな集落で、ストリートビューを見ると駅舎の表示には海抜4477mと、また近くを並走する国道の看板には4528mと記されている。ストリートビューを見た限りでは駅舎と国道の高低差が51mもあるようには見えないので現地の表示の十の位と一の位の正確性は怪しいが、それでもおそらくは4400〜4500m台の場所であり、そうなると一昨日通ったラ・ラヤ峠の4319mを確実に越えている。折角この列車に乗りながら、私はこの重要な最高地点を見逃してしまった。

 GoogleマップのCrucero Alto駅の写真

 Googleストリートビューの並走する国道の看板(奥に見える集落の右側の建物がCrucero Alto駅)


 クルセーロ・アルト〜イマタ間の風景
 Paisaje entre Crucero Alto y Imata

 サラコチャを出て初めて町らしき姿が見えると、8時21分にイマタ駅を通過。標高4402mである。ここは遡る1981年3月17日午前3時10分頃、イマタ駅に停車していたプーノ発アレキパ行き夜行旅客列車に、後続のフリアカ発アレキパ行き貨物列車が追突し、30人以上の死者と90人以上の負傷者を出すペルーの鉄道史上最悪の事故が起きた場所である(当時、旅客列車はフリアカを約2時間の遅れで出発したこと、ラグニージャス駅で旅客列車の15分後に貨物列車が通過したこと、貨物列車はダイヤ上ではラグニージャス〜イマタ間を63分で走る所を僅か45分で走行したこと、イマタ駅では旅客列車は別のアレキパ発の対向列車と交換する予定で、17両編成と長い旅客列車の全体はイマタ駅の待避線に入りきらないので後部の客車数両を駅の外の単線区間にはみ出した形で停車していたこと、後続の貨物列車はイマタ駅構内の速度制限を守っていなかったことが分かっている)。


 イマタの町に入るアンディアン・エクスプローラーと、イマタ駅
 Pueblo de Imata y Estación Imata

 8時57分、ピジョネス駅を通過。ピジョネス駅には周囲の鉱山で採れる銅などの鉱石をトラックから貨物列車に積み替えるヤードがあり、無人の荒野の中に突然大きな施設が現れる。


 イマタ〜ピジョネス間の風景と、ピジョネス駅
 Paisaje entre Imata y Pillones, y Estación Pillones

 山並みの向こうに噴煙が見える。後で調べた所、これはサバンカヤ火山(標高5976m)の噴煙で、スミソニアン協会グローバル・ボルカニズム・プログラムのサイトによると、サバンカヤ火山は月に1〜3回くらいの頻度で数日に亘る噴火を繰り返していて、2024年6月も10日から16日まで噴火していたとのこと。


 ピジョネス〜スンバイ間の風景、山の向こうにサバンカヤ火山の噴煙が見える
 Paisaje entre Pillones y Sumbay, se ve la erupción del Volcán Sabancaya atrás

 列車は周囲を山に囲まれた荒野を走り、峡谷にかかる鉄橋を渡ると、9時49分、スンバイに停車する。スンバイ駅は1.5km程先にあり、停まった場所は駅もない単線の線路上だが、ここから数百メートル歩いた所に「スンバイの洞窟」があって、ガイドの先導で乗客たちは見学に向かう。渓谷の底にあるスンバイの洞窟には推定六千〜八千年前に描かれた動物や人の壁画が残されている。


 峡谷にかかるスンバイの鉄橋は全長約73m、川面からの高さは38mである
 El puente Sumbay tiene 73 metros de longitud y 38 metros de altura desde el nivel del riel a la superficie del río


 スンバイに停車中のアンディアン・エクスプローラーと、スンバイの洞窟壁画
 Tren Andean Explorer parado en Sumbay y Pinturas rupestres de Sumbay

 10時36分に列車は出発。間もなく標高4137mのスンバイ駅を通過し、鉱石を運ぶ貨車を何十両も連結した貨物列車と交換する。駅と言ってもかつての集落は廃村となっているので実質は信号場だ。列車はチリ川の峡谷を左手遠くの眼下に見ながら、勾配の線路を降りていく。


 スンバイ〜km99間の風景、背後の円錐形の山はミスティ山
 Paisaje entre Sumbay y km99, se ve Volcán Misti atrás

 11時9分、駅名が「km99」という所を通過。周りに人家もなく地名もない駅だが、ここにも鉱石の積み込み施設がある。11時34分、カニャウアス駅に停車。ここからはコルカ渓谷という野生のコンドルを見ることができる景勝地へ行くツアー客数人が降りる。


 km99駅と、カニャウアス駅
 Estación km99 y Estación Cañahuas

 12時半、この列車の最後の食事の案内があり食堂車へ行く。メインはコルビーナという白身魚であった。


 食堂車の昼食:前菜(野菜のタルタル)とメイン(コルビーナの鉄板焼にキャッサバのピュレ添え)
 Almuerzo en el coche restaurante: Entrada (tartar de verduras) y Plato principal (Corvina a la plancha y pure de yuca)


 デザート(桃のシロップ漬けとアイスクリーム)と食後の菓子
 Postre (Durazno en almíbar y Helado), y Confitería

 列車は乾燥した山腹を右へ左へと大きく蛇行しながら斜面を降りるように走る。


 アリエロス・デ・パンパ〜キスコス間の風景、これから通る線路を見下ろす、背後の山はチャチャニ山
 Paisaje entre Pampas de Arrieros y Quiscos, se ve la vía que pasa en adelante desde lo alto, y el volcán Chachani atrás


 アリエロス・デ・パンパ〜キスコス間の風景、先ほど通った線路を見上げる
 Paisaje entre Pampas de Arrieros y Quiscos, se ve la vía que pasó hace un rato desde lo bajo

 12時57分、眼下の山の麓に久しぶりに緑色の耕作地が現れ、麓に降りた所にあるモーロ・ベルデ駅では鉱石を運ぶ貨物列車と再び交換する。スタッフがやって来て「現時点では15時5分頃にアレキパに到着する見込みで、15時までに個室を施錠して、鍵を持ってピアノバーに来て下さい、大きな荷物は個室に残して置いてもらえればスタッフがアレキパ駅の待合室まで運んでおきます」と説明がある。


 モーロ・ベルデ駅での列車交換と、モーロ・ベルデ〜ジューラ間の風景
 Se cruzan los trenes en la estación Morro Verde y Paisaje entre Morro Verde y Yura

 13時52分にジューラの町を通り過ぎ、14時頃に昼食を終えて個室に戻り荷物の整理をしていると、列車はアレキパ市の郊外を南に走っていて、線路際には住宅が立ち並び、その向こう北方向には山頂に雪を抱いたチャチャニ山(標高6057m)とミスティ山(標高5822m)が見える。


 ジューラ付近の風景と、アレキパ郊外の風景
 Paisaje cercano a Yura y Paisaje suburbano de Arequipa

 14時51分、列車は左に大きくカーブしてチリ川を鉄橋で渡り、アレキパ市内を北東にゆっくりと走り、車庫の脇を通り、15時6分、終点アレキパ駅に到着した。ピアノバーでは主な列車スタッフの紹介と挨拶があり、15時16分に乗客たちは列車を降りる。駅のホームには赤じゅうたんが敷かれ、列車スタッフが一列に並んで立ち、拍手で乗客を見送ってくれる。アレキパ駅を発着する旅客列車は今は週一往復のアンディアン・エクスプローラーだけだが、何本もある側線には貨車に加えてかつて使われていたであろう客車も留置されていた。駅の入り口ではスタッフが流しのタクシーを拾ってくれた。

 アンディアン・エクスプローラーで過ごした2泊3日は、沿線は絶景の連続だったし、車内の設備は列車内とは思えぬほど快適で、きめ細やかなサービスは私には過剰と感じる程であった。私がいつもやっている海外のローカル線乗りつぶしは絶景ばかりとは行かずむしろ殺風景な所が多いし、このような豪華列車に乗ることもなかったので、今回ばかりは身の丈に合わない場所に迷い込んでしまった気分で、夢か幻を見ているというか、地に足が着いていない旅行をしているような感じがした。


 アレキパ駅に到着
 Llegada a la estación Arequipa

 ペルー南部にあるアレキパは人口約117万のペルー第二の都市であるが、市の中心部は白い火山岩で作られた古い建物が並んでいて「古都」と呼ぶに相応しい佇まいで、ユネスコの世界文化遺産になっている。標高2330mなので数日ぶりに高山病の心配をしなくてよい。


 アレキパ中心部のアルマス広場と、ジャナウアラの丘の展望台から眺めるミスティ山
 Plaza de Armas de Arequipa y Vista del volcán Misti desde el mirador de Yanahuara


 アレキパのカテドラル
 
Basílica Catedral de Arequipa

 

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